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乙女ゲーム、壊れた。 ~バタフライ効果は、侮れない!~  作者: 灯乃
『西』

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西條黎 後編 ☆

 その夜黎は、どんよりと落ちこんでいた。

 妹の綾香が、久し振りの家族揃っての晩餐の席で、将来の進路を大幅に変更すると言い出したのである。


 綾香がいずれ思い合う相手を見つけたなら、彼女を守るのはその相手の権利になるということくらいわかっている。

 けれどそうやって彼女が自分のそばから離れていくのは、もう少し先のことだと思っていたのだ。


 もちろん、それが綾香の選択だというなら、兄としては全面的にバックアップするしかない。

 だが綾香は、どちらかといえば外国語習得は不得手だった。西條の屋敷に外国からの客人が訪れるたび『着物を着てお人形のようににこにこ笑っていましょう作戦』で乗り切っていたのである。

 特に外国の文化に傾倒しているふうでもなかったのにいきなりなぜ、と黎は少なからず動揺した。


 いつの間にか両親ともしっかり話をするようになっていた綾香は、その寄宿学校で学びたいことを切々と訴える。

 最終的には「あちらで学べば、綾香さんの経歴も素晴らしいものになるでしょうし……」という母の一言で父もうなずいた。

 そのとき、綾香は満面の笑顔で「ありがとうございます、お父さま、お母さま!」とはしゃいでいたのだが――


(ん……?)


 ふと、小さな違和感を覚える。

 両手を組み合わせて喜びを表現する綾香の瞳が、笑っていない。

 黎は、斉希と綾香のふたりに関することであれば、どんな些細なことでも記憶している。

 その分、時折自分自身のことでうっかりしてしまって、斉希から盛大に叱られるのだが――そのとき綾香は、斉希がにこにこ笑いながら黎の敵を叩きのめすときと同じ目をしていた。


 綾香が去年辺りから子どもじみたわがままを言うことがなくなり、黎に対してどこか一歩引いたような態度を取るようになったときには、それが思春期に入った少女としては当然の反応だとわかっていても、しばらく落ちこんだ。

 斉希に対しては年も近いし同性であるぶん、今では開き直ってされるがままに甘やかされている。


 だが綾香に対しては、まだまだ兄としてカッコつけたいお年頃なのである。

 とはいえ、綾香ももうすぐ十五才になる。これはもしかしたら、少し遅めの反抗期というやつなのかもしれない。


(綾香……大きくなって……)


 妹の成長ぶりに、思わずほろりとしてしまう。

 反抗期を迎えてもやたらと両親に反発するでなく、理路整然と自分の意思を述べ、それを貫き通すとは、我が妹ながら実に天晴れである。

 幼い頃のように、その頭を撫で回してやりたいと思った。けれど、綾香が学園の中等部に上がった辺りからは、黎は無闇に彼女を子ども扱いしないことにしている。


 年頃の女の子は、子ども扱いされるのを極端に嫌うことがあるという。

 もし綾香にいやそうな顔で「触らないでください」なんて言われたら、即座に胃がねじ切れて吐血する自信がある。


 だが、いかに世界各国から由緒正しい良家の子女を集めている寄宿学校であるといっても、そこは遠い異国の地だ。

 そばにさえいれば、綾香に何か困ったことがあったときにはすぐに助けてやれるだろう。しかし、物理的な距離という絶対的な壁があっては、そんなことは不可能である。


 もちろん、兄の自分があんまり構い倒してしまっては、綾香の自立の妨げにしかならないとわかっている。

 しかし、それと自分の感情とは別の問題なのだ。

 ただでさえこのところ、幼い頃のような『お兄さま、大好き!』な笑顔が封印されて、日々の癒し成分がめっきり欠乏気味なのである。


 それがわかっているからなのか、最近斉希のスイーツ作りの腕前がどんどん上昇している。

 それはそれでとってもありがたいのだが、このままでは斉希がいろいろな意味でハイスペックになりすぎてしまう気がして、ちょっと怖い。

 少なくとも自分が女の子だったなら、幼い頃から下心満載な女の毒の部分をいやと言うほど見せつけられたせいで若干女嫌いになってしまった上、ほかの男に人生懸けているお菓子作りの腕前がプロ並の中性的な美人なんて、あまりにもハードルが高すぎる。


 ……その辺りも近頃の懸案事項ではあるのだが、今は綾香の留学話である。

 さてどうしたものかと考えこんだ黎だったが――残念ながら、何も妙案を思いつかない。


 血の繋がった兄妹といえども、いつかは別々の道を歩いていかなければならないのだ。

 綾香が望むならばいくらでも手助けしてやりたいが、すでに彼女は自分の道をしっかりと歩き出そうとしている。

 今ここで余計なことを言ったりしては、野暮で妹離れできていないシスコンの烙印を捺されてしまうだけだろう。

 黎はふっとため息をついて遠くを見た。


(無力だな……)


 だが可愛い妹の新たな決意表明を、兄の自分がどんよりとした顔をして台無しにしてしまうわけにはいかない。

 つくづく『温和な笑顔スキル』を磨き上げておいてよかった。

 綾香の出立に際しては、絶対に多機能搭載型携帯端末に自分のプライベートナンバーとアドレスを登録し、常に肌身離さず持ち歩けと言い聞かせよう、と心に決める。


 幸い、スイスには知人も幾人かいる。

 いざというときには彼らを脅してでも綾香のヘルプに向かわせて時間を稼ぎ、その間に自らフライト――では間に合わないかもしれない。

 やはり自分も適当な理由を捻り出して、ドイツかフランス辺りの大学に留学するべきだろうか。一年も時間があれば、そのために必要な根回し程度はどうとでもなる。


 翌日、生徒会室でふたりになったときにそう言うと、斉希は少し考えてから口を開いた。


「経済学を専攻するんだったら、やっぱりドイツじゃないか?」

「やっぱりそうか」


 うなずいた黎に、斉希はさらりと続ける。


「ただもし、綾香さまが遠い異国で自由を満喫したいと思われているのだとしたら、隣の国に黎が留学するというのはどうなのかな」

「う……っ」


 思いきり、言葉が刺さった。

 行動力に溢れて活動的な綾香のことだ。その可能性は大いにあり得る。

 斉希は小さく苦笑を浮かべた。


「大丈夫だよ。綾香さまは、ちゃんと――黎が好きだよ」

「……そうかな」


 つい、ぼそっと声が低くなる。最近綾香に可愛いわがままを言ってもらえなくて、少々兄の自信を喪失中なのである。

 そんな黎に、斉希はくっくっと肩を揺らして声をひそめた。彼が黎をからかうときのクセだ。


「情けない顔をしてんなよ、生徒会長サマ?」

「そうは言うけどな」


 黎はむぅ、と眉を寄せる。

 妹というのは弟と違って、腹を割って話し合うということがなかなか難しいイキモノなのである。


 何しろ、可愛いのだ。あんな可愛いイキモノに口うるさく説教できる両親に対し、黎はその点だけは素直に尊敬の念を抱いている。

 今まで綾香に何を言われてもオールオッケーで全肯定、全力で甘やかしてきた黎は、自分の甘さが教育上あまりよろしくないことくらいは自覚している。

 それでもついつい甘やかしてしまう綾香の可愛らしさは、本当に世界一だと思う。


 だがそうやってずっと甘やかし続けてきたせいで、今こうして大切な話をするのが難しくなってしまっているのだから、やはり甘やかしすぎるというのはあまりよくないのだろう。後悔先に立たずとはこのことである。

 ため息をついた黎の頭を、斉希が手に持ったファイルでぽんと叩く。


「心配すんなって。おまえがどこに行っても、おれはちゃんと追いかけてくから」


 その笑顔に、幼い頃の彼の笑顔が重なった。


 ――ぼくがいるから、れいもだいじょぶ。ね?


 思わず、笑みがこぼれ落ちる。


「今まで、それを疑ったことはなかったな」


 斉希は、黎が切り捨てない限りそばにいる。

 それだけは、幼いあの日から一度も疑ったことはない。

 だから斉希とは違い、いつ自分のそばから離れていっても不思議ではない綾香のことが、こんなにも心配になってしまうのかもしれない。


「だったら、あんまり深く考えんな。おまえは、おまえの好きなようにすればいいんだよ」

「そうか。……そうだな」


 ……本当に、これではどちらが兄だかわからない。

 小さく息を吐いた黎は、ふと斉希の髪に桜の花びらがひとひら載っていることに気づく。桜の季節はそろそろ終わりだが、名残の花びらが風に紛れてやってきたらしい。


 ここで「桜の花びらが似合う男子高校生ッ」と指さして笑うようなことは、育ちのいいお坊ちゃんである黎はしない。払い落としてやろうと、笑って手を伸ばす。

 斉希が不思議そうな顔をする。


「黎?」

「じっとしてろ」


 黎の言うことには基本的に素直に応じる斉希は、その手を避けるでもなくおとなしく待っている。

 そして、黎の指先が斉希の髪に触れた瞬間――


「ちょおおおっと待ったああああああぁあああ!?」


 突然、生徒会室の扉を壊れそうな勢いで開いたのは、相変わらず猪突猛進な会計の新藤昌紀だ。

 黎は顔をしかめた。


 確かに山奥では、熊よけのために敢えて声を上げながら行動することがあると聞く。いくら大声を上げて突っ走ろうが大した問題ではないかもしれない。

 だが、ここは学園内の、しかも生徒たちの規範となるべき生徒会役員の集う場所だ。

 その一員である昌紀が、自ら規範を破るとは何事か。


 黎は彼に教育的指導を入れようとしたのだが、何やらその顔色が尋常ではない。おまけに、強張りきった顔にはだらだらと脂汗まで滲んでいる。


「どうした、新藤?」


 何かあったのか、と訝しんで向けた問いに、昌紀がはっと瞬く。それでもひどくぎくしゃくとした動きのまま、黎と斉希を交互に見遣る。


「え……えっと……え? ナチュラル? 普通? 平常モード?」


 なんだかハニワのような顔になっている。面白い。


「……おまえの脳が現在平常でないことは確からしいが、一体どうしたというんだ?」


 重ねて問うと、昌紀はこの世の常識がゲシュタルト崩壊を起こしたような顔になって、ぶんぶんと首を振る。


「いいいいいいいえ! なんでもないです、いやないのか? いやいやいやっぱりあると思われるのですが、ちょっと自信がなくなってきたのです。わーいどうしたらいいでしょうか、隊長!?」


 残念ながら、黎はしがない一高校生であって、登山パーティーのリーダーでもなければ緊急救助隊の隊長でもない。

 よって彼は、いつも通りに穏やかな笑顔を浮かべて口を開いた。


「疲れているのか? 体調が悪いなら、今日は早く帰って休むといい」


 同調した斉希も、いつも通りに冷静な眼差しで昌紀を見る。


「そうですね。今のところ、差し迫って急ぎの案件もないことですし。――新藤、今日はもう帰ったらどうだ?」


 昌紀の目が丸くなる。そして、何やらわけのわからないことをつぶやきだす。


「え……? あ、あれ? ……幻? 幻覚? オレの脳ってそんなに疲れてた? あぁあああ……やっぱりあんなモノをうっかり見てしまったせいで……」


 今度は、がっくりとうなだれた。

 そのまま「よよよ……」と床にへたりこみそうな勢いである。

 だが、昌紀は体もマッチョだが脳もマッチョらしい。素早く復活すると、へらっと笑った。


「いやー、すいません。過去二分三十八秒間の記憶が、少々歪んでいたみたいでー」

「大丈夫か?」


 気遣った黎に、昌紀は再び笑いながらうなずく。

 相変わらず、脳が楽しそうな笑い方である。こんなふうに笑えるというのは、人生がいろいろと楽しそうで、ちょっとうらやましい。


「大丈夫ですよー。本当にちょびっとだけ、やっぱり男にとって女の子というのは永遠の謎なんだなーとしみじみ思い知った挙げ句、衝撃のあまり少しだけ世を儚みたくなっただけですからー」


 そんなことを、きらっと爽やかに輝く白い歯を見せながら昌紀が言うものだから、黎は思わず斉希と顔を見合わせた。

 一体何があったんだろうな、どうせ井波先輩とのノロケ話に決まっているんだからいつも通り放っとけばいいんじゃないのか、それもそうだな、とすでに習慣となっているアイコンタクトを交わす。


 そんなふたりは知らない。

 先ほど昌紀が生徒会室の扉を開こうとしたのが、斉希が素のままの柔らかい口調で「――黎が好きだよ」と口にした瞬間だったことを。


 それから扉の隙間から垣間見た彼らの姿が、いつもの様子とはあまりにも違っていたために、そのギャップについていけなかった昌紀の脳が危うく破壊されかけてしまったことを。


 そして昌紀が数日前に、一部女生徒の回し読みしていた薄い冊子を没収したクラス委員が青ざめた顔で相談してきたとき「絶対に、会長たちの目には入らないように処分しろ」と、やはり蒼白になりながら指示していたことを。


「はははー。記憶というの、はアレですね。強烈なインパクトとともに刻みこまれてしまったものはそう簡単には消えてくれないどころか、ときに現実の認識機能さえ歪ませてしまうものなんですねー……」


 ……ましてしみじみとそんなことを言う昌紀が目にしたブツが、生徒会室を舞台とした会長×副会長モノだったことなど知る由もなく――


 黎と斉希は不気味なものを見る眼差しで昌紀を眺め、彼との心の距離感を少しばかり遠目に設定し直すことにしたのだった。






黎「のーみそまで筋肉だと、愉快な幻覚を見やすくなるものなんだろうか(ちょっと検証してみたい)」

斉希「もし留学するなら、ドイツにしてくれないかな……(フランス語はマスターしているけど、フランス人のじゅてーむもなむーなノリとゲイ人口の多さがちょっとコワイ)」

昌紀「……やっぱ、疲れてんのかなー(ちょっと脳の病院に行きたくなっている)」




西條黎


ゲーム設定:

何事にもパーフェクツな生徒会長。家柄容姿頭脳運動神経のすべてを兼ね備えている傲慢俺さまキャラ。ただし、自分に心酔している斉希と妹の綾香に対してだけは非常に甘い。ゲームヒロインが西條ルートを選択した場合、「完璧な俺さま生徒会長を特別扱いすることなく、ごく普通の十代の男の子として扱ったドジっ子ヒロインに興味を持って☆」という王道学園ラブストーリーが展開される。


現在:

生まれつきパーフェクツな人間なんているわけがないので、必死に努力して『完璧な西條家の後継者』としての自分を作り上げてきた。また、幼い頃からハイソな大人の社会に放りこまれていたため、傲慢にも俺さまにもなりようがなかった。癒しの対象である斉希と綾香に対する愛情度は普通(?)の兄レベルだが、依存度は彼らに何かあったら壊れるレベル。それを薄々理解している斉希から常にフルスロットルで甘やかされているため、本人は意識していないが女性に対する理想がハンパなく高い。結果、斉希レベルの気遣い及び甘やかしスキルと綾香レベルの愛情と可愛らしさを持っていなければ攻略不可能という、ゲーム設定よりも遙かに難易度が高いことになっている。合掌。

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