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乙女ゲーム、壊れた。 ~バタフライ効果は、侮れない!~  作者: 灯乃
『伊』

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伊佐木静流 結 ☆

 ぼんやりと目を開いて、静流は自分が見知らぬ部屋にいることに気がついた。どうやら、かなり大きめのベッドに寝かされているらしい。

 知らないにおい。知らない光。

 頭が痛い。

 虚脱感がひどくて、体を動かすのがひどく億劫だった。

 どうして自分はこんなところにいるんだろう、と思って――他人事のように、意識を失う前の記憶を淡々と思い出す。


 ……もう、あの屋敷に自分の居場所はないだろう。

 なんの行く当ても頼る相手もないのに、明日からどうやって生きていけばいいのだろう、と思うのに不思議と心は凪いでいる。

 扉の開く音。視線だけでそちらを見ると、杉崎が水差しと白い琺瑯の器を持ってくるところだった。


「目が覚めていたのだな。気分はどうだ?」

「……ここ、は……?」

「私のマンションだ」


 少し、意外だった。

 自分が杉崎のマンションにいることもだけれど、彼は静流が知る限り常にあの屋敷にいたから、外に居住用の不動産を所持しているとは思わなかったのだ。

 彼女の戸惑いが伝わったのか、杉崎が小さく苦笑を浮かべる。


「確かに、ほとんど使ってはいないがな。ここは以前、税金対策で購入したものだ」


 なんとうらやましい話だろうか。

 今まで気にしたことはなかったけれど、考えてみればあのとんでもないオカネモチの家で、数多いる使用人たちのトップを張っているのだ。杉崎の給料というのは、やはり相当なものがあるのだろう。

 そんなことを考えていた静流の額に、杉崎が濡らしたタオルを載せる。ひんやりとして、気持ちがいい。


「……おまえに実戦用の護衛術と近接戦闘の訓練を施すように命じられたときに、何かおかしいとは思ったのだが。まさか、本家の方々がおまえの性別を勘違いしていたとはな」


 低く告げられた言葉に、はぁ、と答える。

 静流もまさか、圭司がいきなりあんな真似をするとは思わなかった。

 枕元のスツールに腰を下ろした杉崎が、静かに続ける。


「静流。……すまなかった」

「……ぇ?」

「私はずっと、あの家で生きていく術を教えることがおまえのためなのだと、疑いもしなかった」


 静流は、ぼんやりと瞬きをした。

 聞き慣れた滑らかな声で、まるで知らない言葉を紡ぐ彼は、本当に自分の知る人物なのだろうかと不思議に思う。


「おまえがあまりにもこちらの期待通りに応えるものだから、私はおまえがまだ幼い、守られるべき子どもだったのだということを失念していた。……いや、言い訳だな。私は、最もおまえの近くにいたのに」


 こんなふうに話す彼の言葉を、はじめて聞く。

 まるで、ごく普通の大人のような顔をして。――常に冷静沈着な執事ではなく、ただの、ひとりの人間のような。


「私は、伊集院の先代に拾われた。おまえと同じく、幼い頃に家族をすべて亡くしてな」

「え……」


 目を瞠った静流に、杉崎はゆっくりと告げる。


「静流。――私の子に、なるか?」


 一瞬、何を言われたのか、わからなかった。


「おまえはもう、十七だ。おまえの同意ひとつで、私はおまえの書類上の父親になることができる。そうすれば、伊集院家の庇護は、もうおまえに必要なくなる」

「杉崎……さん……?」


 掠れた声で呼びかけた静流に、杉崎は一呼吸置いてから続ける。


「おまえが望むなら、これからひとりで生きていけるように援助してやってもいい。……だが、それだと伊集院家がどう出てくるかわからない。少なくとも、おまえが私の元にいるということであれば、あちらもそうおかしな真似はしてこないだろう」


 静流は困惑した。


「……すみません。意味が、わかりません」


 本気でクエスチョンマークを浮かべた静流に、杉崎は小さくため息をつく。


「いや。……これは、私の口から言うことではないとは思うのだが。さすがに少々、気の毒な気もするのでな……」


 珍しくもにょった言い方をする杉崎を見つめていると、彼は妙に居心地の悪そうな顔になる。


「伊集院の、末っ子だが。彼が高校に上がった辺りから、しばしば夜間に出かけていたのは知っているな?」

「はぁ……」


 それがどうしたのだろう、と見返した先で、杉崎は再びため息をついた。


「アレは、伊集院家縁の禅寺に行っていたんだ」

「……はぃい?」


 一瞬、何かおかしな幻聴でも聞いたのかと思ったけれど、杉崎は至極真面目な顔で淡々と続ける。


「どれだけ部活で汗を流しても、おかしな煩悩が湧いてきてどうにもならん。ちょっと旅に出て頭を冷やしてくる、と言うのをご家族総出で止める騒ぎになってな。結局、妥協案でそういうことになった」

「……すみません。さっぱり、意味がわかりません」


 自分の理解力が、急激に低下してしまったのかと不安になる。杉崎は微妙に目を逸らしながら、ぼそぼそと歯切れ悪く続ける。


「いや……。先ほどまでは、私も確信はなかったのだが。――おそらく彼は、本能的な部分で……その、おまえのことを女だと気づいていたのだと思う」


 あからさまにそれがどうしたという顔をした静流に、杉崎は言った。


「頭では男だと思っている相手に、『女』を感じてしまうんだ。それはさぞかし懊悩したことだと思うぞ?」

「はぁ……」


 杉崎が何かをものすごく丁寧に説明してくれているのはわかるのだが、静流はやはりその言葉の趣旨をよく理解できなかった。やっぱり自分の頭は、IQポイントがかなり下がってしまったのかもしれない。

 ぼーっとしたままの静流を見て何を思ったのやら、杉崎が不意に「く……っ」と目元を抑える。静流は慌てた。


「す、杉崎さん……? どうされたんですか?」

「いや……これ以上年寄りが首を突っ込むのは、無粋なのだと思うことにした」


 年寄りというような年でもないだろうに、と思いながら杉崎の顔を見上げていると、大きな手が伸びてくる。

 額に載せられているタオルを丁寧にひっくり返すと、杉崎は言った。


「……静流。知っておきなさい。おまえには、おまえ自身が思っている以上に価値がある」

「は……?」


 首を傾げた静流に、杉崎は少しだけ困ったような顔をする。


「まだ子どもだったおまえに戦闘技術を身につけさせるよう指示されたとき、私はそれを疑問に思いながらも、一方では仕方がないことだとも思った。……伊集院の護衛が守るべきは、本家の人間だ。その中に、おまえは入っていない。本家の末っ子のそばにいるなら、最低限自分の身を守れるだけの力はつけさせる必要があったから」

「自分、の……?」


 圭司を、守るためではなく?


「ああ。ところがおまえは、なんというかな……。こと格闘に関しては、天才的なものがあった。教えられたことをあっという間に吸収して、またそれを効果的に使える冷静さと度胸まで持っている。――はじめておまえが襲撃者たちにたったひとりで、しかも涼しい顔をして対処してしまったときには、正直、恐怖さえ覚えたよ」


 杉崎は、苦く顔を歪めた。


「私はきっと、そのときに間違った。おまえを、子ども扱いしてはいけないのだと――自分の力の使い方を誤るような育て方だけはしてはいけないのだと、勝手に思いこんだ。おまえは、こんなにも……ただの、子どもだったのに」


 すまない――と。


「おまえをこんなふうにしてしまったのは、私だ。……おまえは頭がよく、どんな世界でも通用する立ち居振る舞いも身につけている。おまえが私たちに育てられたことも、伊集院の末っ子をずっとフォローしていた実績も、その気になればいくらでも調べ上げられる。おまけにおまえは見目もいい。社交の場にも、問題なく連れていける」


 ……なんだろう。

 はじめて杉崎が自分に対するものすごく好意的な評価を聞かせてくれているはずなのに、それが思いきり厄介ごとのような気がしてならないのは。

 じわじわと目に見えない不安を覚えはじめた静流に、一呼吸置いて杉崎は言った。


「きっともう、おまえはこちらの世界から逃げられない。……静流。私の子に、なってくれないか。そうすれば、私が生きている間は、おまえのことを守ってやれる」

「杉崎、さん……」

「学園には、このまま通いなさい。大学も、好きなところへ行けばいい。ただ、おまえが何か困ったときに堂々と助けられる立場が、私は欲しい」


 大きな手が、そっと頭を撫でる。ぎこちなく。だけど、優しく。


(じーちゃん……ばーちゃん……)


 遠い昔、こんなふうに頭を撫でてもらったことがあった。

 もうすっかり面影も遠くなってしまったけれど、それでも確かに、こうして静流のことを大切にしてくれる手があったのだ。

 じわりと、まぶたが熱くなる。


「杉崎さん……おれ……っ」

「……今すぐ、答えなくていい。ゆっくり休んで、全部はそれからだ」


 胸の奥が柔らかく締めつけられるような痛みを覚えたけれど、その痛みは少しもいやなものではなかった。

 それからどうにか涙をこらえてうなずいたときには――きっともう、心は決まっていた。





静流「お……お父さんって、呼んでもいいのかな(どきどき)」

圭司「………(茫然自失)」

美春「姐御……や、やっぱおれ、金的はムリっすうううううぅっ!!(号泣)」



伊佐木静流


ゲーム設定:

幼い頃に家族を亡くし、引き取ってくれた伊集院家に絶対的な恩義を感じている。護衛役としてずっとそばに付き従っている圭司に淡い想いを抱いているが、立場の差を考えて口に出すことはできずにいる。ゲームヒロインが伊集院ルートを選択した場合、そのクールなお姉さま系の美貌に加え、何があっても圭司を守ろうとする一途さ、それに男装の麗人という萌え要素の満載っぷりに、プレイヤーの心が高確率で折られる。


現在:

花音によるバタフライ効果も多少はあるが、普通に自分の置かれている立場を考えられる頭を持っている子どもなら、そりゃーキレても仕方がないよね、という設定なので、当然キレた。本人は自分を美少年ヅラだと思っているが、普通にキレイ系のド美人。ただしこの世界には『美少女ヅラした美少年』という不思議なイキモノがうようよいるので、男装した美少女が紛れていてもまるで違和感がなかった。この後、杉崎と養子縁組をして伊集院家を出るが、学園内では卒業まで伊佐木姓を通す。今後圭司が彼女を口説き落とせるかどうかは不明だが、いずれにせよ彼女には杉崎・ゴリマッチョ・ハゲマッチョという三人のお父さんがいるので、その壁の高さは作者にも想像がつかない。


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