鬼の目にも涙を。
「これ面白いか?」って首をひねりながら書きました。これ主人公別に桃太郎じゃなくともよかったんじゃ……。
窓の外にはすっかり夜の帳が下り、空には星が浮かんでいる。
部屋の中を支配するのはテレビの笑い声と、箸が立てる乾いた音だけ。
「なあ」
「ンだよクソ親父」
突然親父から言葉が投げかけられ、肉じゃがを頬張りながら目の前に座っている親父を睨みつけた。
「おまえさ、ウチが桃太郎の子孫に当たる家系だって知ってる?」
「…………は?」
とうとうウチの親父は、頭がイかれてしまったようだ。
◇◆◇
「へえ、俺が桃太郎ね」
洗い物も済ませて親父の話をなんとか全部聞いたが、どうやらマジらしく。俺、桃咲 拾人は十三代目桃太郎なんだと。よくわからないけど。
「信じてくれたか?」
「いや信じるもなにも、そんなに真剣に、なおかつ必死に説明されたら信じざるを得ないだろ……」
眉間を抑え、痛くなった頭を軽く振る。真剣な親父は初めて見たんだけども……話している内容が自分が十二代目の桃太郎だのお前は十三代目だのアホな内容だと頭も痛くなる。これは夢か何かか? 夢だろ? そうだと言ってくれ頼むから。
「で、だ。拾人」
頬を軽くつねっていると、親父が再び真剣な声音で話し始めた。頰から指を離して視線を向ける。
「だいたい予想もついてるだろうが、この街に桃太郎がいるなら鬼もいるんだ」
「予想も付いてないしさも当然のようにこの街に怪物がいるって暴露されても困るんだけど?」
「鬼は危険な存在だ。だから桃太郎が倒さなきゃいけない」
うーん華麗なスルー。とりあえず話をおとなしく聞くしかなさそうだ。まだまだ喉から流れ出そうになったツッコミを一旦飲み込んで、視線で話の続きを促す。
「それでそろそろ、十三代目の鬼が発症するはずなんだ。だからおまえに殺してきてほしい」
「……殺してきて欲しい、っつっても俺は普通の男子高校生だぞ?そんな俺に殺してきてくれと頼まれても困る。それに発症ってなんだよその言い方。まるで病気みたいじゃんか」
そう、俺は普通の男子高校生だ。どこかの少年漫画みたいに特殊能力を持っているわけでもないし、なにか古い拳法の有段者ってわけでもない。無力で、何もできない男子高校生。
なのに俺に『殺してきてくれ』と頼み込んでくる親父の視線はいつになく真剣で。少しだけ、寒気を覚えた。
思わず親父に不安の意を込めた視線を送る。するとそれを受け止めた親父は、
「大丈夫大丈夫。まずお前が死ぬことはないから」
なんて、笑いながら言いやがった。
………いや、いやいや。
「死なないってどういうことだよ。俺人間よ?」
「だから今からそれを説明してやるんだろ?とりあえず落ち着いて聞けって」
言われて、渋々黙る。
「良いか、拾人。桃太郎の血を継いだ人間には、思春期から成人するまである能力が目覚める。その能力は────『不死』だ」
「……不死? 不思議の『不』に『死』って書くあれ?」
「そうそう、その不死。つい昨日からその能力が『発症』してるはずだから、お前は成人するまで何があっても死なない。傷だってかなりの短時間で治るぞ?」
……信じられないが、つい昨日俺は人間を辞めていたらしい。
と言っても大して実感はないし、今から首を吊って死んでみるか!なんて勇気があるわけでもない。
自分の体について色々と疑問は浮かんだがとりあえず飲み込んでおく。
「……で、俺にはその不死の能力があるから鬼を殺して来いと」
「物分りが良くて助かる」
「もしや、とは思うけど鬼も何か能力持ってたりするのか?」
「それは鬼にあってみればわかる」
「……質問ばっかで悪いけど不死だけで鬼とやらを倒せと?無理だと思うんだけど」
「いや別に不死だけで殺してきてくれとは言わない」
言いながら、親父が羽織っていたジャージのポケットの中から何かを取り出し机に置いた。
随分と年季の入った長細い何か。長さは俺の手のひらより少し長いくらいで、真ん中辺りでなにやら線が入っている。何だこれ。
思わず手に取りまじまじと眺めていると、親父が口を開いた。
「ウチに代々伝わる短刀だ。それを使え」
まさかと思いながら線を中心にソレの両端を手で持ち、引いてみる。中から現れたのは刃だ。素人目でも良く斬れるとわかるくらいに手入れが行き届いている。
「……俺がイメージしてる鬼とやらはこんなのじゃ倒せなさそうなんだけど。鬼ってどんな容姿してんだ?」
「見てくればわかる」
……鬼の容姿やら能力やら、肝心な部分はぼかされて何も教えてくれない。聞いたら俺が行きたくない、って言うような怖い容姿だったりするのか……うーん。
短刀を机に置いて腕を組み、首を傾げていると親父が頭を下げて、
「……頼む。お前にしかできないんだ」
なんて言ってきた。
……俺だけにしかできない、とか。そんな頼み方をされたら何も言えなくなっちまうじゃんか。
「………あーもうわかった、わかったよ。やってみる」
とだけ言って、居間を出て自分の部屋のベッドに飛び込む。
あんなに真剣に何かを頼み込む親父を見てるのは嫌だった。だから勢いで頷いてしまったけど、正直鬼退治なんて自分にできるとは思えない。
喉元までせり上がってくる恐怖を飲み下して、なんとか眠りについた。
◇◆◇
朝起きると親父に「学校の方はどうにかしておくから」とだけ言われて、一枚の紙が渡された。紙には家から少し離れた場所の地図と、鬼がいるであろう場所の住所が書かれている。
……昨日のあれは冗談でも夢でもなかったんだな、なんて軽く項垂れたがまあ。やると言ってしまったもんはしょうがない。
一応鬼を倒すわけだから、動きやすいジャージに着替えた。部屋の中央を陣取ってる机の上から短刀を手に取り、ジャージのポケットに押し込む。
「……よし、行くか」
両の頬を手のひらで強く叩いて、家を出た。
結論から言うと着いた場所は普通の家だった。普通に人間が住んでいるような二階建ての家。だけど住宅街からはかなり離れた位置にあり、周りにあるのは空き地ばかりで、意図的に孤立させられてる……または孤立してるようだ。
「……でもどうしたもんか」
いろいろ予想はしていたが、鬼ヶ島みたいにドンッと構えてるならやりようはいくらでも考えた。でもこう、普通に構えられてるとどうしていいのか……。
短刀を片手に首をひねって思わず唸る。インターホンを押す?でも相手は鬼だぞ?うーん。思考が頭の中をぐるぐるかき回すばかり。
「ぁ………」
「お?」
突然背後から声が聞こえ、思わず間抜けな声を上げながら振り向く。そこにいたのは若草色の帽子を被った、同い年くらいの女の子だった。
どこかの学校の制服であろうセーラー服を身にまとい、手には買い物帰りなのかビニール袋がぶら下がっている。中身は……見える限りは全部インスタント。
「………………」
「………………」
横たわる沈黙。話しかけてきた少女は俺の顔を見たり地面を見たりビニー袋の中に視線を落としたり視線はひたすら泳いでいるものの、口を開こうとしない。
……これは俺から何か言ってやるべきか。
「えっと、どうかしたか?」
「ぁ……あの、私の家に何か用、ですか」
私の家?今この子は確かに私の家と言ったか。
嫌な予感が頭の中を埋め尽くす。瞬間────
「あっ………」
────風が吹いて、少女の帽子が飛んだ。
その下から現れたのは二本のツノ。まさしく、童話に出てくる『鬼』に生えているようなツノだ。
思考がひとりでに回る。昨日親父は『十三代目の鬼が発症している頃だ』と言った。俺の『不死』と同じ、発症と。
桃太郎が何らかの特殊能力が発症した人間なら、鬼も何らかの特殊能力を発症した人間……。昨日ひたすら鬼の容姿を親父がぼかしていたのは最初から鬼が人間だとわかっていたら、殺しに行く相手が同じ人間だとわかっていたらそもそも行くと言わないから。
「ぁ、ぇ、えっと……その……」
目の前でおどおどしてる女の子にそれ程の脅威があるとは思えない。
なのに、この子を殺せというのか。意味がわからないぞ親父。アンタは俺に人殺しをしろと言ってるのか。
「あのっ……!」
ぐっと、手を握られておかしいくらいに動き回ってた思考が止まった。頭を緩く振り、頭の中に溜まった黒いものを溜息と一緒に吐き出す。大丈夫、落ち着いた。
「す、すごい汗……」
「うわ、ホントだ……」
言われて、額やら腕が汗まみれになってた事に気づく。頭も心なしか重く、息も荒い。
「ぇと……お茶、とか。どうですか。体調悪そうですし」
「………今思いっきり見られちゃいけないようなもん見たし、アレか。家にあげて殺すとかそんな感じか。死人に口なし作戦か」
額の汗を拭いながら半目で言ってやると、恥ずかしそうに自分のツノを隠す鬼っ子。
「べ、別に殺すとかそんな物騒なことは……貴方に殺意とかそういうものは、感じられないですし」
ボソボソと呟くと地面の帽子を拾い上げ、自分の家に入って行ってしまった。……これは付いて来いってことなんだろうか。
しょうがない。なるようになれ、だ。
◇◆◇
通された先はリビングだった。少し広めのリビングで、部屋の奥に台所が見える。外見と同じく、普通の何処にでもあるような感じ。
「…………いや」
違う。注意してなければ見逃すほどだが、壁が所々色が少しだけ違う。それからリモコンは有るのにテレビ本体がなかったり、テレビ本体が無いのにビデオデッキだけがあったり。
「……ぁの。あまりジロジロ見られると恥ずかしい、んですが」
向かい側に座っている鬼っ子がお茶を啜りながら恥ずかしそうに視線を伏せる。
……なんだろ。話せば話すほどこの子が鬼だって事実を忘れそうになる。全くもって鬼らしくないというかなんというか。私は鬼だと言わんばかりに、ツノがその存在を主張しているのだが。
悪い、とボソッと呟いて同じようにお茶を啜る。
「……それで、貴方は私のことを殺しに来たんですか?」
突然、核心を突かれて湯呑みを口につけたまま固まった。
「………今まで、何人も私を殺しに来ました。だから」
貴方も?と言いたげな、少しだけ潤んだ視線が刺さる。言葉をまとめるために時間をかけてお茶を飲み干し、ゆっくりと口を開いた。
「まあ、確かに俺は鬼を殺してくるように頼まれた。でもいざ会ってみたら絵本なんかに出てくるような鬼じゃなくて、俺と同い年くらいの女の子ときた。だから、こう。なんだ。俺も自分がどうしたらいいのかわからない」
親父の真剣な視線と、目の前の少女の怯えるような視線の板挟み。正直こんな状況どうしていいのかわからないし、全てを投げ出して逃げ出したい。
「そう、ですか。よかった」
安心したような笑み。その笑みに、不覚にも少しだけドキッとしてしまった。
思わず笑顔から視線を逸らす。
「…………」
「…………」
二人の間に流れる気まずい沈黙。いや、気まずいのは俺だけかもしれないけど。どうしよ。何か話すべきか。
口元に変に力が入ってヒクッと跳ねる。今俺最高に変な顔してるんだろうなあ!
「あーあのさ!」
とりあえず何か話そうと切り出した瞬間、ぐうぅ〜とヤケに低い、良く響く音に妨害された。
「────ッ、──!」
鬼っ子の顔がみるみるうちに赤くなっていく。あぁ、今の重低音はもしかして……
「あのさ、おまえ。腹減ってる?」
「………………はい。えぇ、まあ。少しですが」
いや今の音は少しって音じゃなかったけど。
……とか言うとなんかぶん殴られそうなんで思うだけに止めておく。流石にそれくらいのデリカシーはあるのさ。
「んじゃ少しだけ台所借りるぞ」
返事を待たず立ち上がり、台所まで歩いていく。俺も腹が減ったし、ちょうどあの気まずい空気から逃げる口実にもなるし。
配膳台の上にはさっき買ったものであろう冷凍食品やらインスタント食品があった。いやいや冷食は冷凍庫に入れておけよ……。
渋い顔をしながら冷蔵庫を開ける。中身は卵3つと、申し訳程度に置かれた味噌。あとは水のペットボトルがたくさん。うん。たくさん。
「………………」
女子力のかけらもない冷蔵庫だな。同い年くらいの女の子ってみんなそうなの?俺が夢見がちなだけ?
……別にインスタントのカレーでもいいか。独り言をボソボソと呟きながら、調理を始めた。
◇◆◇
作り始めてしまったら割と楽しくなってきて、インスタントのカレーでいいかと始めたはずがカレードリアに化けた。
いやまあ、冷蔵庫を漁ってたらピザ用のチーズが入ってて。賞味期限も明日までとなってたら使わない手はないだろうと考え出してしまったのが運の尽き。割と自信作のカレードリアの出来上がりである。
服の袖を伸ばしてまだ熱いカレードリアを持って鬼っ子の元に向かう。
「────?!」
カレードリアを発見した瞬間に、目を輝かせた。
「なんですか、それ」
「インスタントのカレーだよ」
言いながら目の前に置いてやると、信じられないのか焦げ目のついたチーズをまじまじと見つめる。……ここまで色よい反応をされると、なかなか恥ずかしいものがあるな。
「まあどーぞ、召し上がれ」
「いいんですか」
「いや。お前のために作ったんだし」
明らかにさっきに比べるとテンションがバカみたいに上がってる鬼っ子が少し微笑ましい。
自分の分のカレードリアを持ってきて、さっきと同じように向かいに座る。
「美味しい………まさかあのカレーがここまで化けるなんて……」
「喜んでくれたようでなにより」
少しオーバーすぎる感じもするけど満面の笑みで食べてる鬼っ子を見つめながら自分もカレーを頬張る。うん、旨い。……どうでもいいけどいつまでも鬼っ子って呼ぶのはどうなんだろう。ちゃんとタイミングを見つけて名前、聞かないと。
しばらくスプーンがカレーをすくう音と、咀嚼する音だけが部屋に響く。飯時に何か話せるほど芸達者ではないし、こういう沈黙は嫌いじゃない。不味かったら不味いというだろうし、無言で食べてくれてるということはそれなりに舌にあったんだろうと。
「………私も」
良かった良かったと頷いていると鬼っ子がカレーをすくう手を止めて、視線を伏せながらゆっくり、ゆっくりと話し始めた。
「私も、どうしていいかわからないんです。突然鬼だなんて呼ばれ始めて、仲が良かったはずのご近所さんもどんどん引越し始めて。気がついたら一人になってて……何人も、私を殺しにくるんです」
自然と、俺のカレーを食べる手も止まる。
「だから貴方と同じ。私も何をどうしていいのかわからない。死ぬのは怖い。でも、私は殺されなくちゃいけなくて……逃げ回ることしかできなくて」
「…………」
それを聞いて、余計に俺の考えが掻き回された気がする。
死ぬのは怖いけど、自分は生きていてはいけないと。
────コイツはどんな気持ちで自分を殺そうとしてきた人間に向かい合ったのか。
つい最近まで普通の高校生をしてきた俺は、なんて応えてやればいいのかわからない。でもこいつだって同じなんだ。つい最近まで普通の高校生をしていて、普通の日常生活を送っていたはずなのに鬼だとか呼ばれ、人が離れていって。自分のことを殺す人間まで現れた。
何を応えるべきか悩みながら黙りこくっていると、
「御飯時にする話じゃないんですけどね」
なんて、申し訳なさそうに……寂しそうに、笑いながら。
「そーだそーだ。おまえ冷蔵庫にちゃんとしたもの入れとけよ。餓死するぞ?鬼が餓死とか笑えないぞ」
どうしていいかわからず、お茶を濁した。
食事も終わり、心地よい満腹感が襲う。
「洗い物は私が……作ってもらいっぱなしも悪いですし」
「ん、おう。頼んだ」
このままこの家でゆっくりしていたい気持ちもあるがそういう訳にもいかないし。
満腹になった腹を抑えながら、ゆっくり立ち上がる。
「じゃあ、俺帰るわ。俺は俺でやることがあるし」
うーん腹が痛い。ちょっと量作りすぎたか。
いつもより膨れた腹をさすっていると、鬼っ子が寄ってきた。
「ぇっ、と……また、来てくれますか?」
と、少し期待したような目で。
「なんだなんだ、胃袋掴んじまったか?」
「いや!食べ物目当てとかそういうモノではなくて……」
頰を紅く染め、視線を伏せる鬼っ子。そっか、図星か。別に食いしん坊でも気にしないのに。
「まあ、そうだな。俺の気持ちがまとまったら、また来るかもしれない」
気持ちがまとまったら。俺には今、片付けなきゃいけない問題があるから。
それを片付けて、その時の気持ち次第、だろうか。
「あー……それで、だ」
次再開した時に、鬼っ子だなんて呼んだらカッコつかないから。
「名前。おまえ名前は?まだ聞いてなかったろ」
せめて、名前だけでも訊いておこうと。
「……まだ名乗ってませんでしたっけ。鬼塚栞です」
「うわ、鬼で鬼塚とかそのままだな……いや他人のこと言えないけど。俺は桃咲 拾人。『桃』が『咲』いて、花を『拾』う『人』って書く」
我ながらわかりやすい自己紹介を済ませて、鬼っ子改め鬼塚と玄関に向かう。
「じゃあまたな、鬼塚」
「……うん、また。桃咲くん」
再開の約束をして、鬼ヶ島────鬼塚家を後にした。
………さて、親父と話をしないと。
◇◆◇
親父と話すことをまとめるため寄り道をしつつ帰っていたら、家に着いたのはすっかり陽が落ちた頃だった。
「──────」
両の頰を強く叩いて玄関の扉を引く。
居間からは廊下に明かりが差し込み、薄っすらとテレビの音が聞こえる。親父は居間か。
「おい、親父」
できるだけ真剣な声音を意識して、玄関の扉を開ける。
「おお、おかえり。どだった?」
俺を迎えたのは昨日の真剣な態度とは正反対の、おちゃらけた態度の親父だった。
「どだった?じゃねぇよ」
「いやーこれでお前も立派な桃咲家の人間だな」
「おい、親父」
「俺もお前くらいの頃は────」
「親父」
こっちの態度を無視しておちゃらけた態度を続ける親父を、強く睨みつける。
「アンタ、鬼が人間だってわかってたんだろ」
「……………」
俺の目をまっすぐと見つめ返して、黙り込む親父。
「わかってて俺に殺させようとしたんだろ?どういうことだよ。俺に人殺しをさせようなんて」
「違う。あれは人間じゃない。鬼だ」
「違うだろ!!」
思わず、声を荒げる。
「アイツは鬼なんかじゃなかった。アイツは立派な人間だった。か弱い……そう、俺なんかよりもよっぽどか弱い人間だった。なのに殺せとか……」
拳を震えるほど強く握りしめる。親父を殴り飛ばしてやりたい気持ちにかられたが、なんとか自分の太ももを強く殴りつけて抑え込んだ。
「……ああ、そうか。拾人は見なかったのか」
「見なかったって。どういうことだよ」
「アイツらが鬼と呼ばれる理由だよ」
俺の怒りを込めた視線を受け止めて、ため息をつきながら頭をボリボリと掻き出す親父。
「いいか、拾人。鬼は根本的なところから人間とは違うんだ。三大欲求って知ってるだろ?」
「ああ。食欲、睡眠欲、性欲ってヤツだろ」
確か動物が生きるのに最低限必要とする欲求、だったか。
「その三大欲求が鬼の場合、食欲、睡眠欲、殺人欲に変わる」
「……どういうことだよ」
「そのままの意味だよ。何かヤツらの三大欲求には優先順位があるらしくてな。確か睡眠欲、食欲、殺人欲の順だったか。つまり────」
嫌な予感がする。
「────その食欲が満たされた瞬間、殺人欲を優先してアイツらはただの殺人兵器に成り下がる」
「あんのバカ……ッ!!」
気がついたら親父の話を最後まで聞かず走り出していた。
足がバカみたいに回り、肺が酸素を求める。酸欠で回らないはずの頭は最悪のイメージが真っ黒に染め上げ、家に引き返せと訴えてくる。
片道20分ほどかかるはずの道のりをものの10分で駆け抜け、インターホンも押さずに玄関のドアをこじ開ける。鍵くらいかけておけってんだ、この無用心。
嫌な予感が的中したのか、破壊音と呻き声が廊下に響いた。舌打ちをしてから一気に廊下を駆け抜け、リビングの扉を勢いよく開ける。
「鬼塚!!!!」
そこにあったのは、変わり果てた鬼塚。
足元にはまたビニール袋が落ちていて、中からは野菜やら肉やら、昼間とは全く違うちゃんとした食材が覗いている。
壁には無数の爪痕。
「ぁ、アアアア、ああああああああ!!」
叫び声と共に振り下ろされる拳。拳はつい数時間前まで一緒にカレーを食べていたはずの机を真っ二つに破壊する。
さっきまで俺を見つめていたはずの優しい瞳は焦点が定まらないのかひたすら泳ぎ。女の子らしかったはずの手は自分の血で赤く染まり、爪もかなり長くなっていた。
口から漏れるのは荒いケモノのような呼吸。粘っこい唾液が口から滴り、床にべとべと、と音を立てて落ちる。
「………鬼塚、ちゃんと買い物行ったんだな。約束、守ってくれたんだな」
言いながら、一歩踏み込む。
「なんだよ……以外と早かったな、再開」
「ぎ、ぁぁぁぁああああああ!!」
拳が腹に突き刺さる。意識が一瞬飛び、痛みが遅れてやってきた。やべ、痛い。死ぬほど痛い。それと異物感。腹に何か自分の体以外の生暖かいものが入ってきた。呼吸しづらい。死ぬ。死ぬ。ああいや、俺不死身なんだっけ。律儀に鬼塚は腕を引き抜きやがった。腹に穴がぽっかり空いてる。腹の中の風通しがやけにいい。気持ち悪い。吐き出したいのに口から吐き出すものすら持ってかれた気がする。
「無理、して……俺の料理全部、平らげやがっ────」
爪が俺の左腕を斬り落とす。痛覚すら麻痺して痛みは無かった。17年と少し付き合ってきたはずの左腕が吹っ飛んだ。バランスが崩れて、倒れかけるがなんとか踏ん張る。絶対に切断された左腕は見るな。切断面を見ると耐え難い痛みがやってくるぞと、本能が叫んでいる。
落ちた腕を見ないように、一歩。
「ちゃんと話せば全部食えなんて言わなかったのによ。なんだ、俺の料理はそんなに美味そうだったかよ。ええ?」
拳が俺の頰をとらえる。激痛とともに白い歯が床に転がり落ちた。視界が霞む。意識が飛ぶ。咄嗟にポケットから短刀を取り出し、刃を剥き出しにして太ももに突き刺す。手放しかけた意識が痛みで引き戻され、やっと一歩進む気力が湧いてきた。
歯を食いしばりながら、もう一歩。
ここまで進んでようやく鬼塚に手が届いた。
上下に荒く揺れる肩を片手で掴み、強く抱きしめる。
「落ち着け、落ち着け。大丈夫だから」
「────、あ、ア!」
穴がぽっかり空いていたはずの腹を思いっきり殴られ、血塊がせり上がってくる。鬼塚の綺麗な黒髪を汚さないために歯をくいしばり、血を飲み下す。不味い。喉が無理やり押し広げられた気分だ。口の中が鉄の味がする。クソ、気持ち悪い。
いつの間にか戻ってきてた左腕も使って抱きしめ直す。暴れられないように、しっかりと。
耳に吹き付けていた荒い呼吸が優しい、鬼塚の呼吸のソレに戻っていく。
「桃咲、くん………?」
「よしよし、落ち着いたか」
ぽんぽん、と優しく背中を叩く。
「ごめん、ごめん桃咲くん……痛かったよね……ごめん、ごめん……」
「おー痛かったわ。不死身じゃなきゃ死んでたわ。死ぬほど痛かったわ」
そりゃ腹を貫かれて生きてる人間なんて居てたまるかって話だけど。
「桃咲くんの料理、すごく美味しくて……」
「インスタントだけどなあ」
「だから全部食べないと申し訳ないなって……だから……」
「うん、そっかそっか……痛かったろ、手。ごめんな」
少し体を離して、鬼塚の手に目をやる。机を殴りつけた時に骨にヒビでも入ったのか、白い肌が紫に腫れ上がってしまっていた。綺麗な手が傷ついちまった。
「……大丈夫。私もすぐに治るから」
「流石鬼」
言いながら、力の抜けた笑い声が出た。ああ、ダメだ。何かもう無理。
「桃咲くん?!」
足の力が抜けて、真後ろに倒れていく。
ダメだ、少し寝かせてくれ……と言うのも叶わず。俺は、意識を手放した。
◇◆◇
目の前にいたのはまさしく鬼だった。
絵本に出てくる鬼、だなんてそんな生易しいものじゃあない。正直怖かった。逃げ出したかった。だけど鬼塚は泣いていたから。律儀にあいつは殺人欲に耐えながら、約束を守って買い物に行ってきてくれたから。だから、ついつい歩み寄ってしまったんだろう。
蘇る死のイメージ。腹を突き抜ける腕の感覚。17年ほどの付き合いだったはずの左腕が飛んでいく感覚。
いつの間にか腹がふさがってる感覚も気持ちが悪かったしいつの間にか左手は戻ってきてるし殴られて吹っ飛んだはずの歯も戻ってきてて飛び散った血はそのままなのに傷だけ戻る感覚。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。俺はいつの間に、人間をやめてたのか────。
俺は鬼塚のあの姿を見てどうしたいと思った?
殺したいと感じたか?
殺さなければいけないと思ったか?
俺は────
「………………」
目を覚ます。目の前にあったのは知らない天井だった。
「っああああああこれしばらく夢に見るぞ!畜生!気持ち悪い!」
体を一気に起こして皮膚から軽く血が出るほどかきむしる。そんな傷も一瞬で治ってしまうんだから気持ち悪い。
ふんす、と鼻でため息をついてから辺りを見回す。六畳ほどの広さの和室だ。開けっ放しにされた押入れ以外特に目立つものはない。たぶん鬼塚の家だろう。あのまま気を失ったわけだし。
滅茶苦茶にされたジャージとTシャツが綺麗に布団の横に畳まれて置いてあった。身にまとっているのは無地の黒いTシャツ。たぶん鬼塚のものだとは思うけど、俺でサイズがピッタリってどうなんだ。いや、ぶかぶかな服似合いそうだけど。
「…………む」
何かいい匂いが漂ってきた。この匂いは目玉焼きだろうか。
布団を手早く畳んで押入れにしまい、和室から出る。
和室からリビングまでは結構距離があって、この距離を鬼塚は運んできてくれたんだなと思うと少し申し訳なくなってきた。俺重くなかったかな。引きずって連れてきたとか……あ、なんかその図は良い。お姫様抱っこで連れてこられるよりよっぽど可愛い。
そんなアホなことを考えながらリビングの扉を開ける。
「…………うわ」
思わず苦笑を浮かべて、あちゃーと額を手で覆う。
床に飛び散った(主に俺の)血は拭き取られていたものの、リビングは散々な状態だった。壁には無数の爪痕が残り、真っ二つに割れた机はそのまま放置されていて。他にも昨日は気づかなかったがソファからは綿が飛び出し、カーペットも所々破けている。カーペットの上に置かれた折りたたみの机が心なしか寂しそうだ。
「……あ。おはよぅ、ございます………」
語尾に行くにつれて声の音量が落ちていく、特徴的な挨拶が飛んできた。うん、鬼塚もちゃんと元に戻ってるみたいでなにより。
台所から歩いてきた鬼塚の手には一人分のハムエッグが乗った皿が持たれていて、ちゃんと料理できるんじゃんかーとか間抜けな感想が出た。
「これ、桃咲くんの。食べる……でしょ?」
「おう、食う」
ん、と頷いてやると満足げに微笑み、机の上に皿を置く。
「……少し、待ってて。今トースト、できるから」
「あいあい」
適当に返事を返しながら、カーペットに座る。ほぼ同時にトーストが乗った皿が追加される。
「ふむ、鬼塚家の朝食は洋食か。いただきます」
「………はい、召し上がれ」
ハムエッグをトーストに乗せてかじる。うん、うん。普通に美味い。頷きながらペロリと平らげると、鬼塚が満足そうに微笑んだ。そうだよ、女の子はそうやって笑ってるのが一番いい。照れ臭いし絶対口には出さないけど。
「おかわり、いる?」
「んや、いい……昨日の感覚が少し残ってて、いかんせん食欲が」
言いながら、昨日貫かれた辺りをさする。鬼塚には悪いけど正直トラウマものだった。
苦笑を浮かべていると、鬼塚が気まずそうに視線を伏せる。これ癖なんだろうか。
「別におまえは悪くないよ」
「………それでも、です。桃咲くんには悪いことをしたから」
自我がないようだったし、仕方ないとは思うんだけど。勝手に近づいていったのは俺な訳だし。
こっちまで気まずくなって、思わず頰をかいていると、伏せていた鬼塚の視線が俺の顔を捉えた。
「……桃咲くんは、あの私を見て……どう、思いましたか?」
怯えたような問いかけ。
……ああ、鬼塚もああなるのは怖いんだな、と。少しだけ安心した。これで、俺の答えがちゃんとまとまる。
「………正直、怖かった。でも鬼塚も怖かっただろ?自分が自分じゃなくなる感覚。わかるよ、怖いよな。……いやまあ、鬼塚のソレは俺よりヤバいものなのかもしれないけど」
昨日離れ離れになったはずの左腕を眺めながら苦笑する。
「でもさ。それだけ怖いものをおまえは急に押し付けられた。おまえは好きでそうなったんじゃない。ならまんまと殺されるなんてことがあっちゃいけないと思うんだ。突然鬼だとか呼ばれ出して、殺されるのは間違ってる。だから────」
俺はつい最近まで普通の高校生だったわけで。自信はないけれど。
「────だから、俺が盾になる。鬼塚の代わりにいくらでも殺されるし、ああなったら死んででも押さえつけてやる。むしろ俺の能力って、こういう使い道しかないような気がしてさ。それに鬼塚のソレだって俺の不死みたいに期限があるかもしれない。だから、一緒に頑張ろう」
突然変なものを押し付けられて殺されるなんて話はおかしい。鬼塚だって普通の人間なんだから死んでやる必要はないんだ。
誰かしらが死なないといけない運命なら、俺がいくらでも代わってやる。なんて、我ながら少しクサいけど。
言い終わって、しっかりと鬼塚の目を見つめ返す。
「………う、あ」
鬼塚の怯えていた視線が揺らぎ、目から次々と涙が溢れる。やばい、泣かせちまった。なんかこう、か弱い見た目をしてるから余計に罪悪感が次から次へと湧いてくる。え、いや。どうしようこれ。
「んな泣くことないだろ」
「今まですごく、怖かったから……守るだとか盾になるだとか言われて泣かないわけ……ない、じゃないですか……」
「うー、あー………」
予想外の事態に頭が追いつかない。どうしよう、どうしようこれ。
……抱きしめてやる、べきだろうか。ええい、昨日どさくさに紛れて抱きしめたんだ。今更チキるな俺!!
袖で涙をずっと拭っている鬼塚に歩み寄り、昨日とは対照的に優しく抱きしめてやる。
「……うん、まぁ。なんだ。もう大丈夫だから。泣くな」
言いながら、頭を優しく撫でてやる。
長い間ちゃんと泣いてなかったのか、かなりの時間泣き続けて。
涙が止まった頃には面白いくらいに目が腫れていたのは、また別の話。
一番最初に考えてた終わり方はBAD ENDでした。
でもなんか。そっちに向かわせようとしたらどうオチまで持っていけばいいのかわからなくて悩んでいたら天の声が────
────別にBAD ENDじゃなくて良くね?
と。ああ、なら考え直しちまおうってこうなりました。正直微妙な気がしてならない。