ハクジツ その壱
それは振り返れば楽しく掛け値なしの一時
先の事など保障もなく、決まりもせず、悩み、不安を抱え
それでもなお、心に残るは良き思い出だけ
誰かではなく誰もが、形容できない全てがあってこそ帰着する答え
だからこそ迎える試練は、厳しい
時刻は夕方六時、その日も僕は遅い下校だった。
高校三年生にとって六時の下校なんて部活でもしていれば遅くもなんともない時間なんだろうけど、この羽鳥市に限ってはそうではない。
民間の被害者が十数名であった事が奇跡としか言いようのない大規模な殲滅戦からすでに三週間が過ぎ、暦も十月に差しかかろうとしているが。ガーブがメディアに出て宣言してしまった影響は大きく、街は闇夜を恐れて誰もが帰路を急いでいた。
そんな世論の声の中で学校なんて社会教育的立場の矢面に立たされる組織が早い下校を推奨しないはずもない。
けど、一週間後に文化祭を控えている現状として、生徒達はその準備に浮き足立ち。クラスにもよるけどわりとこの時間まで残っている生徒は少なくない。
とはいえこの時間を過ぎると教師の激が飛んできて強制的に帰らせられるだろうけれど。
この三週間で事件の進展はみられず。そしてガーブも後日何度かテレビに出てはいたけど、だんだんと報道関係も薄くなってきた。
もっともネットではある事ない事、いろんな話が出ては未だに盛り上がっているようだったけれど、これといって僕達の生活に影響が出る事はない。
黒江は未だに登校してくる様子はなく、それどころか黒江の親は警察に捜索願を出しているらしい。新学校という体裁からか学校を通してそんな話があがる事はなかった、タマちゃんの探知にも黒江は相変わらず引っかかる事はなく、またティルトさんの依頼である紫電の探知も引っかからないらしい。
そのおかげで、穏やかとは決して言えはしないけれど普通の学校生活を送らせてもらっている。
エルさんは相変わらずエミリー先生として教鞭を振るっているし、ピエールさんも実に用務員生活が板についている。正宗もクラスは違えどうまくやっているらしく、三人とも学校では接点を持たないようにしている。
とはいえ、最近はニーズが『立て込んでいるから事務所には連絡が無ければ来なくていい』と指示が出ているので正宗と話をする機会がそもそも少なかったりする。
あれから変わった生活といえば、あのライバル宣言からというものやたらと突っかかってくる硬だ。今まで硬を知っていた硬の友人達が、僕が硬に何をしたんだと聞いてくるのだから困ったもので、恋は人を盲目にするとは良く言ったものである。
そしてその恋心で変わった人がもう一人。
「お、敦也! やっと終わったか! さぁ、一緒に帰ろう!」
今日も今日とて、校門の前に座って僕が出てくるのを待っているタマちゃん。年頃の女子高生が地べたにアグラをかいて座っているのはマナーとしていかがなものかと思うのだけど、これといって携帯をいじるような現代っ子のような事はせず、音楽を聴きながら身体を少しだけゆらゆら揺らしながら、この寒空の下で健気に待っているシチュエーションを考えると、どうにもムゲにするのは気がひけてしまう。
それにタマちゃんにも文化祭の準備があるし毎日待っているわけではなく、こうやって待つ、というよりも待ち構えられる日は事前に僕に連絡をいれてくれる。
だから別に一緒に帰るのが嫌というわけではないのだから、教室なり軽音部の部室なりで待っていてくれたほうが気が楽なのだけど『タマの友達が校門で出待ちしたほうがロマンチックでメロメロにできるっていうから、タマは校門で待ってるよ』という一言で僕の至極真当な異見は却下されてしまったのだ。
そんな女の子を待たせてしまったという負い目があるからか、こうやって一緒に帰るたびに最初に何と声をかけていいか考えてしまう。
そんな僕の頭の中とは裏腹に、鼻歌を歌いながら、悩み事など何もないような涼しげで、楽しそうな表情を見せるタマちゃんは夏の匂いがだんだんと消えていくこの季節の帰り道に見事なまでに溶け込んで、それはまるで一枚の絵から抜き出したかのようである。
鷹の言葉を受けてから、僕も勤めてタマちゃんを意識するようになった。
昔、木下が『好きだ』と言ってくれる相手には、自然と好意を持つ人間心理が働くと言っていたけど。その話は本当なんだろう。
『可愛いか?』と問われるならば。もちろんタマちゃんは可愛いと即答できる。
容姿も可愛いと言えるけれど、それよりも魅力なのはこの天真爛漫さだろう。
育った境遇からなのか、同年代としては明らかに精神年齢が幼い。
だからといって子供ではない。
なんというか、彼女は危ういのだ。
この明るさは、どこか心の暗さに裏打ちされているようで。それを無理に押えているような。
帰り道、並んで歩く僕達。会話の口引きを切ったのは今日もやはりタマちゃんだった。
「ねぇ……敦也さ……今度の日曜日さ……買い物にいかないか? …………二人で」
いつも明るく思った事をハッキリと告げるタマちゃんらしくなく、後半の言葉は聞き耳を立てなければ聞き取れないレベルでチョボチョボと切り出されたそれは今までありそうでなかった誘いだった。
ずっと横目で観察してたのが幸いか、人の顔がみるみる耳まで真っ赤になるという光景を目にする事ができたのは得だった。
「いいけど、何を買いにいくの?」
タマちゃんの決死の誘いに何気ない返答をすれば、無味乾燥な僕とは対照的に今度こそタマちゃんらしい、大きなリアクションを見せる。
「ほ、ほら! 学園祭が近いからさ、タマはステージで使う小道具とか衣装とかそういったものが欲しいんだ! だけど敦也も大変だからさ! 無理とは言わないぞ! 駄目? 不可?」
恥ずかしさと不安が入り混じっているんだなと、はたから見てバレバレなのがどうにも面白い。
いろいろと考えて行動しなければいけない状態なのは間違いないのだけど、だからといってニーズ達が何か言ってこない限り、僕がが自主的にできる事なんて限られているし。僕の方も同じく学園祭で使う物の買出しはしたかったし、とりあえず現時点で断る必要もない。
タマちゃんのようにルンルン気分で出かけるような事にはならないだろうけど。
「いいよ、僕も買う物あるから」
「そ、そうか! さすが敦也だ、話がわかる男だな!」
そう喜びの声をあげて小さくガッツポーズまで作るタマちゃん。
確かにあの時は特殊な状況ではあったけど、この程度の事なんて好きだと告白するよりも小さな事だと思うのだけど、そこら変はタマちゃんはどう思っているのだろう。
無垢な笑顔を見せるタマちゃんの顔を見て思う。こうやって彼女の事を考える気持ちを何と答えればいいのだろうと。
しかし、タマちゃんは不意に笑顔に影を落とした。
「タマ……今とっても幸せなんだけど……だから思うんだ。好きな事をやれて、誰もタマをいじめないで、こんなに幸せでいいのかなって。サリーがいて、マボがいて、コウがいて、タカがいて。ナッチにヒサポンにヨッシーにマサムネがいて。それに敦也がいて……みんなみんな大好きなんだけど……父様はもういない。いつか父様みたいにみんないなくなっちゃうんじゃないかって思うと怖いんだ」
タマちゃんらしからぬその態度に狼狽しながらも、不意に自己否定をしはじめたタマちゃんの異様な雰囲気に息を飲む。
その姿は触れれば崩れてしまうような砂細工めいた脆さを容易に連想させる。
どんな声をかければいいのか。
いや、かけてあげる言葉なんて最初からなかったのだろう、だから僕は何も口にできなかった。今のタマちゃんに必要な事はその抱えている物を共有してあげる事なんだと自然に理解できた。
彼女に対して強い警戒心を持てずに、そして彼女の無茶に肝要なのかと疑問だったが、なんてことはない。
彼女は昔の正宗に似ているのだ。
過去に何があったか、それは僕には想像もつかない、きっと辛い出来事があったのだろう。
それでもなおタマちゃんが笑っていられたのは父として接していた者の存在と兄弟と呼べる者の存在だ。
その片方が欠けて、いつかその存在がいなくなるのではという不安を抱えていたのだろう。尽きぬ戦いに身をおいていたのならばなおさらだ。
もし、そんな身内が本当にいなくなってしまった時、彼女を支える第三者の存在、タマちゃんはきっとそれを求めている。
誰かに寄り添っていないと不意に自分が消えてしまうような。
あの夜に敬一郎と対峙した正宗。
いや、姫野美幸のように。
秋の到来を告げる風が吹いたと共に、その時に僕は秘めていた自分の気持ちに気がついてしまった。
僕の気持ちは恋慕ではなく慕情だと。
長瀬敦也は恋をしていた。
凛としていて、それでいて憂いをおび、強くも儚かった彼女、姫野美幸に。




