ソレゾレ その士
『放課後、屋上で待っている』
達筆な文字で、実にシンプルに一言だけ書かれたその手紙を発見したのは帰宅するべく下駄箱を開けた瞬間だった。
これが例えばウサギやら子猫のイラストの入ったピンクを基調にした可愛らしい便箋にでも入っていて、ファンシーなレター用紙にでも書かれていたのならば。
こんなにも簡潔な文章でも男の子として、例え悪戯だとしても心躍らせたかもしれない。
が、ルーズリーフにその一言だけを殴り書きされたそれは、誰に見られても構わない文面だからか折られる事さえなく下駄箱に入っていたのだから胸がドキドキする要素など皆無だった。
現状、学校に潜伏する人達の事を考えるとただの悪戯とも思えない。
そのせいかこんな形の呼び出しとあってはどうしてもいい方向へと話が流れるとは思えず、だからといってこの呼び出しを無視するという事もまずいのだ。
学校内だからといって生死をわけるような戦いに巻き込まれるとは無いとは言い切れないが。
それでも僕は少なからずそこまで大変な事態にはならないだろうという楽観があった。
なぜなら学園祭が近いため、今は屋上で吹奏楽部が練習をしているのだ。音楽室での練習だけではおさまらないとか何かしら理由があるのだろうけど、ともかく一般人がいる。
学校を巻き込む攻撃をしてくる黒江も、無差別に人を殺そうとするザンビディスも今はいないのだ。
最悪の状況を考えたらキリが無いし、階段を昇りながらそれなりの覚悟はしつつも話し合いですむ相手でいてほしいと切に願っていた。
ラッパの音色が響く中、僕は『ままよ』とドアを開けた。
吹奏楽部の統率がとれているのか取れていないのか判断のつかない音と練習風景の横に、おそらく僕を呼び出したであろう張本人がいた。
「悪かったな、こんなところに呼び出して」
そこには最高でも最悪でもなく、本当に意外すぎる人が待っていた。
僕を呼び出した男。尾崎鷹。
いや裏辺鷹がいかつい笑顔でそこにいた。
強面の顔立ちで、無表情ではあるけどそに敵意は感じられないし、確かに数日前に激しすぎる殴り合いを繰り広げたものの、その遺恨はお互いに無いであろう。
それはわかっているものの、少し萎縮してしまうのは鷹の持つ不良特有の圧迫感というか。そのかもし出す独特の雰囲気が僕は昔から苦手だった。
さらに言うなら接点という接点も無く、会話した事さえほとんど無いというのも萎縮してしまう理由だと思う。
「それで、話って何かな?」
立場は対等なんだから堂々としろと自分に言い聞かせるものの、やはり少し声のトーンが低くなる。しかし鷹としてもこちらも敵意なく切り出したことに少なからず安心感を覚えたようだった。鷹は言葉に詰まりながら低い声で切り出した。
「長瀬。お前、付き合っている人とかいるのか?」
「……え?」
手紙、屋上、このシチュエーションとはいえまさかの展開で言葉に詰まる。
正直に言った方がいいのか、ここは優しい嘘をついた方がいいのか。コンマ数秒の間に僕の頭の中でいろいろなシミュレーションが繰り広げられる。
が、すぐにその思考もショート。何も考えずに立ち尽くしていると、鷹が言葉を続けた。
「タマがお前に告白したと聞いてな。それを確かめにきた」
その言葉と同時に、大きくため息を吐き出す僕。
なんというか、去来していた心配が杞憂だったという事に対する安堵と誤解とはいえそんな考えを繰る広げる自分に対して。
特に後半は不死子さんの影響が少しでているのかもしれないと、少し不死子さんを恨んだ。だからといって文句をつけようものなら、邪悪な笑みを浮かべてかえって馬鹿にされそうだ。
ともかく、健全な話である事は間違いない。硬の態度は本気そのものなのだから、ここは僕も真摯とした対応をしないといけないだろう。
「うん、確かに告白された」
鷹はそうかとだけ呟いて、一人納得したように頷いて続けた。
「理解できないかもしれないが、俺たちは血は繋がってはいないが兄弟同然に暮らしてきた、皆で辛い事を共有してきたんだ。みんな家族みたいな気持ちでいる。だが硬だけは違う。硬はタマを一人の女性として惚れている」
臆面なく真っ直ぐにそう言う鷹。
正直、どう返事していいかわからないけど、思い出してみればあの初めて拳を交えたあの夜にザンビディスにやられたタマちゃんを見て激昂したり、幻が水泳の授業の時にタマちゃんの身体の事を言おうとしたときも複雑な感情を見せていた。
「俺が口を出す事ではないとわかってるがな。タマの最近の笑顔は生き生きとしている。それはお前のおかげだろう。だが硬の想いも知っているからな。だから半端は許さん」
だんだんと脅すような口調になる鷹。
だが、その低い声の裏側に見えるのは確かな優しさだった。
「どうって言われても、確かに告白はされたけど。その付き合うとかそういう事はないと思うよ。確かにいい子だと思うけど」
正直に思っている事を話した途端、今度は鷹の目が鋭くなった。
「思うとか馬鹿にしてるのか、駆け引きや打算ならまだわかる。だが、それはタマの真っ直ぐな想いを侮辱してる」
その鷹の鋭い目に言葉を失う。
鷹の想いもた真剣で、だからこそ僕の煮え切らない言葉に怒りを露にしたのだろう。
「あ、や、すいません……」
そう言うと、鷹もまた謝る。
「いや、俺も悪かった。お前もだが俺たちは普通の人間じゃない。だから今の普通の暮らしが幸せでたまらないんだ。……俺は身体そのものが化け物になるからなおのことにな。硬も同じだ、見た目からして怪物になる。だからあいつの苦悩もわかる。人の形から離れるっていうのはそういう事なんだ。俺はタマにも硬にも半端な思いはさせたくない。もしタマを好きになるなら心から好きになってくれ。それなら俺は何も言わない。硬も何も言わないだろう」
その言葉には確かに家族を想う重みがあった。
だからこそ家族を知らない僕には響くものがあったし、だからこそ頭にきた。
「わかりました、僕も今は複雑な気持ちです。でも、自分の気持ちに整理がついたら。その時は今の鷹さんのようにはっきりと気持ちを伝えます。だから、僕も今の気持ちを伝えます。僕たちは化け物なんかじゃない。れっきとした人間です」
そう僕が言うと鷹は表情を変えずに僕の顔の前に手のひらを向ける。
そしてその手は瞬く間に、無機質で無骨な凶器を思わせる鳥の足のように形を変える。異様に長く伸びた五本指、その爪は鋭く鋼鉄すらも切り裂けると思わせるほど鈍い輝きを見せていた。
吹奏楽部の演奏に変化は無い。
尾崎の変化した手が見られたという事はきっと無いだろう。
彼等は平穏に隠れて静かに暮らしたいと願っている、それを覆すリスクを負ってでも僕に圧力をかけて試そうとしてくる鷹。
「こんな身体でもか?」
心の澱を吐き出すように鷹は言った。
その意味の大きさ重さを理解しているから、僕は迷うことなく鷹へ答えを開示する。
「はい、間違いなく人間です」
僕は軽く頷きながらハッキリと告げた。
すると鷹は小さく肩を震わせて笑いだす。
「……なるほど、タマが惚れるだけの事はある」
鷹は鳥の手をもとに戻すと、低い声で呟いた。
「帰るか、少しお前と話がしたい」




