レンケイ その士
あと三分。
裏辺魂の衝撃の告白から一分、これまでの事がグルグルと渦巻き。「あーっと」「えーっと」なんて自分でも情けない声をあげながらあたふたしていた。
本当に一分しかたっていないのかと疑心暗鬼におちいりながら、振り帰ってみればなんとなくタマちゃんが僕に好意を持っていたような素振りは確かにあった。
そうだ、好意を持つ素振りはあったけど、何でタマちゃんが僕に好意を持ったのかがわからない。
正宗と同じクラスだったのは知ってるけど、だからこそ僕とタマちゃんは昨日まで面識がなかったのだ。
それなら僕に好意を持つ機会なんてないんだし、もしかするとこんな異常な状況下だから興奮してヤケになってるのかもしれない。
ならば、男として諭してあげるべきだろう。
「いや、そうだタマちゃん。なんていうかさ何で僕の事を好きだなんて思ったの?」
そう、それに明確な答えなんてない。
彼女がそれに気がつき、答えに詰まったところで今の感情は一時の興奮が生んだ勘違いみたいなものなんだよとやんわりと言えばいい。
「理由なんてない」
ほら来た、ここから説明を……
「敦也に抱きしめられたあの時から気持がムワムワしてるんだ。敦也の教室を通る時に廊下から敦也を探したりしてたんだ、今も一緒に敦也と一緒にいるからユンユンしてるし、敦也の事を考えるとなんとなく幸せな感じになるんだ。サリー、これは恋っていうんだろ? タマってば間違えてるのか?」
「のほほほ、タマちゃんは間違ってないと思うわよ、それより長瀬敦也氏はとんだプレイボーイね。いつのまにうちのタマを手篭めにしたのよ。のほほほ、抱きしめたって!」
母親のような優しい笑顔でタマちゃんの後押しをしつつ、今度は悪魔のような何かを企んだ笑顔で僕を見るサリー。
プレイボーイって言葉そのものが誉めているのか皮肉なのか用途のあやふやな言葉だけど、今回のし様例は間違い無く皮肉として使われているし。これをほっといたら不名誉な噂を流されかねない。
そもそも意味がわからない、いったいいつ僕がタマちゃんを抱きしめたというのだろう。
「なんか勘違いしてるっていうか、タマちゃんと学校で話た事もないのにいつそんな事したんだい?」
「学校じゃないよ、あの屋上で変なじっちゃんに敦也が吹き飛ばされた時だよ。あの時さ」
状況を思い出す。
あの屋上というのはホッケーマスクの女子高生を探して夜を徘徊し、そしてタマちゃんと硬、そしてザンビディスと邂逅した時の事だろう。
しかし、あれは抱きしめたというよりもタマちゃんがザンビディスに吹き飛ばされた僕の下敷きにされたっていう感じだったと思うのだけど。
状況の良し悪しはともかくとして、ともかくタマちゃんはあの時にときめいたという事なんだろうか。
話を聞いたところで、やっぱり僕には理解できない。
「抱きしめたっていうか、たしかにくっ付きはしたね。え、そっから?」
「そうだ、そっから! そっからタマは敦也に骨抜きだ!」
そう笑顔で真っ直ぐに言われては、男として嬉しくないはずはない。
しかし、それでも理屈として納得できるもんじゃない。
いや、僕は何を納得するのだろう?
それすらも、理解できない。
とにかく、答えを出すには僕には時間が必要なのは間違いない。
「えっと……とにかくタマちゃんの気持はわかったよ。でも、今はほら状況が状況だから。答えはちょっと待ってて欲しいんだ」
「わかった、でもいつまで待てばいいんだ? これが終わるまでか?」
ガンガン攻めてくるタマちゃんを今度はサリーがなだめた。
「ちょっとタマ、恋は焦ったら駄目よ。じっくりと相手に自分のよさをみせつけていかないと落とせないんだから」
「そうなのか? さすがサリーはよく知ってるな!」
「のほほほ、知識だけよ。タマの気持は私には未体験ゾーンだから。敦也君も困ってるしね。敦也君、うちのタマを泣かせたらひどいよ? のほほほほほ」
あと二分。
これから命の駆け引きをするとは思えないほど和んだ場。
顔を隠した覆面の隊員さん達は日本語がわかるのかどうかはわからない、一言も喋らないあたり過酷な訓練を積んできた人達なのだろう。
だからこそだろうか、内容がわかっていなかったとしても雰囲気だけでこの場を楽しんだのか、表情こそ覆面で読めないけれど先程とは違った険の取れた感じだけは伝わってきた。
華舞雅城さんだけは、一人先程よりも苛ついているようだったけど、この状況ではそれが正しい姿勢なのだろうか。
何がよくて何がよくないのかわからない。
あと一分。
言葉を失った空間が張りついていく。
タマちゃんがゆっくりとホッケーマスクを付けた。
タマちゃんなりの意識の改革の儀式なのだろうか。
固唾を飲む。
一秒一秒ごとに意識を緊張に研磨されるように鋭さを増していく。
まばたきなどは当に忘れた。
見るのは前だけ。
願わくば全員の無事。
その時、柔らかな感触が僕の手のひらに触れた。
白面の、先程僕に思いのたけを告白した少女の掌が僕の手を強く握っていた。
微かに震えた手。
そう、僕だって恐い。
戦うのなんて本当はごめんだ。
なぜ戦うのか。
それはついさっき答えを出した。
そう、だからこそ。
走り出す。
ピピピという戦闘開始の音を置き去りにするように僕達は一陣の風となり行動を開始した。
最後まで生まれたばかりのヤギのように震えていたタマちゃんの手はその音と同時に震えがとまり、ほぼ同時にその手を離し、チェーンソーの起動レバーを引いていた。
エンジンの構造がそもそも違うのか、ブルンという短い起動音と共に一発で轟音をあげて回り出す鋸刃。
豹のように数歩でトップスピードに達する僕とタマちゃんの速度に誰もついてはこれない。
百五十メートル程度の距離ならば十秒とかからず詰められる、廃工場まであと五十メートルと差し迫ったところで僕もその工場の中に巣食う敵の存在に気がついた。
一般人では経験できないような窮地に何度もたたされているのだから、そういった危険の匂いのようなものはなんとなくであるけど感知できる。
言葉にするならば野生の感が人よりも強くなっているのだろうか。
さらに近づくこと二十メートル、海が近い場所特有の潮の匂いに溶け込んでうっすらと蝋が溶けるようなツンとした匂いが実際に鼻をついた。
腐敗臭。
匂いの正体を理解すると同時に迫る鉄板でできた強固で重そうな造りのドア、それを僕はスピードと体重の乗せた会心の飛び蹴りがそれを容易く吹き飛ばした。
反動で五メートル後ろに戻り着地する。
足の骨が折れるのを覚悟で、後続の侵入経路を造ったつもりだったのだけど足の骨が折れた様子はない。
あるのは少しだけ足の裏にのこった物を蹴ったという感覚のみ。
百メートルは離れたというのに、華舞雅城さんの技術である発生した衝撃の肩代わりは有効らしい。
口でどんな事を言っても、どんなに気乗りがしないでも、やるときには最大限のアシストをするのが華舞雅城さんのよいところだ。
着地し、前進を再会する態勢を整える僕が眼にしたのは吹き飛び倒れるドアを踏み台にして、いち早く工場内に飛び込む。
それに遅れる事一秒、僕も工場内に飛び込む。
その瞬間に眼にしたものは、蜥蜴と猪と人を混ぜたような醜い人型の生き物の群れだった。
大きさは百五十センチ~百六十センチといったところだろうか、それくらいの大きさの男性を筋肉質にした体格。
その逞しい全身像は犬のような短い毛に覆われているものの、その手足は身体にそぐわないグローブのような大きさで鋭い爪を持ち、そこだけ別の生き物のように毛は生えていなかった。
顔は人のものではなく、猪のようにとがった鼻と牙が短く伸び、その顔に輝く瞳は小さく、赤く、そして丸い。
ペンライトのような赤い光がいくつも闇に浮かんでいた。
動物めいた化け物ならば何度も目にしたし倒してきた、けれどこれは完全に人の面影を残している。
その予想していた敵と違うという状況に直面し、身を固めた僕の目の前で何の躊躇もなくその人型の怪物の脳天を目掛けてチェーンソーを振り下ろしたタマちゃん。
舞い散る鮮血、飛び散る脳漿。
人影が崩れ落ちる前に、殺人鬼の仮面をつけた少女は赤いドレスと見紛うほどに、何の変哲もない学生服を血に染めていた。
飾りベルトを振り、さらにもう一人の人影に刻み込む。
回転する刃は僅かにかすっただけで血肉を巻き上げる。
仲間が一人殺されたとあって、人影もありえないと思っていた敵の来訪を理解し、耳を劈く吼え声をあげて敵意を向ける。
視線だけで理解する。
何が全体で二百五十匹なものか。
この廃工場にいる数だけで裕に五十近い数がいる。
ありえない状況下、ついに殲滅戦の火蓋は切って落とされた。




