サイカイ その五
肉を抉り、削ぎ飛ばす耳障りな音。
落雷の音が後から聞こえてくるように、その不快音は遅れて聞こえてきたような気がした。
脳がその光景を拒絶するための自衛手段なんだろうか、女学生のチェーンソーは化け物の頭の中心にザクリと刺さると、そのチェーンソーの重さで、音と血飛沫と細切れになった肉の一部を撒き散らしながらゆっくりと化け物を立てに両断した。
割れた竹のように、見事なまでに二つにスライスされる化け物。その死体と呼ぶには惨めすぎる肉片が女学生の足元に転がると、やっとドロリとはらわたが地面にこぼれた。
これまでにもいろんな修羅場をくぐってきたからグロテスクな光景は何度も見てきたけど、そんな僕でも気分が悪くなってくる。
そんな、容赦のない攻撃性を秘めた女学生がマスク越しにこっちを睨みつけてくる。
「アンタ、なかなかいい趣味してるじゃないか」
正宗が刀を抜いて構える。
完全に臨戦態勢だけど、こんな光景を見せられちゃしょうがない。
それに『YOU NEXT』の書き文字、あの文字の犯人はこの女学生で間違いないだろう。
「誉めてくれたの? ありがとう」
「チッ、皮肉だよ!」
先手必勝とばかりに正宗が女学生に斬りかかる。
一秒と満たないコンマレベルの突撃、その一撃を女学生の反応速度は凌駕していた。
少なく見積もっても十キロはありそうなチェーンソーを掴んだまま、女学生はバク転でその一撃を交わすと、キーーッっと地面を削り火花を巻き上げ、円を描くようにチェーンソーの痕を地面に残しながら正宗に向かってそのノコギリ刃を振り上げる。
女学生が大きくよけたのに対して、正宗の回避行動は最小。
間合いがわかっていたとしても、あの破壊力を目の当たりにした後ではそんな紙一重な避け方をするのにはそうとうな度胸が必要だろう。
正宗は前髪が少し斬られるか程度の上体逸らしだけで一撃をその必殺の一撃を避けると最大のスピードで仮面の女学生に刀を振り下ろす。
しかし、正宗は刀を振り下ろす事はできなかった。
手元のモーター部分の重さを利用して、その正宗の振りよりも早く女学生は防御のためにチェーンソーを構えていた。
振りかぶって斬りかかっていた正宗の円の動きに対して、そのままチェーンソーを手首を返して垂直に落としただけの女学生の動き。
その軌道の違いが女学生に防御を間に合わせた。
「さすがにそれとかち合わせる気はねぇよ」
言って正宗は少し仮面の女学生と距離をおく。
あの二メートルは垂直に飛んだ跳躍力、チェーンソーをああも軽々と振りまわし、あまつさえ一撃で押さえ込んでしまう腕力。
最初からわかってはいたけれど、この女学生は普通じゃない。
もっとも見た目からして普通じゃないのだけど、それ以上に僕達に敵意を剥き出しにしているのかがわからない。
その二つがあるからか、機先を制しきれなかった正宗は僕と同じように様子を伺う。
そこでやっと気がついた。
この女学生の制服、返り血で真っ赤に染まってすぐにはわからなかったけど、どこかで見た事があると思えば隣町の坂比良高校の制服だ。
「正宗、坂比良高校の制服だよ」
「だからどうした!」
手がかりの一つだというのに正宗はピリピリしすぎて僕の声なんて聞いちゃいない。
逆にここまで正宗に余裕がないっていうのはそれほどまでの相手という事か。
僕が固唾を飲む。
決して折れず曲がらずと言われる日本刀、その中でも正宗が持つのは最高級品と称されるものよりもさらに凄い刀なのだろう。
それでもなお、いや、それだからこそあんなノコギリの刃を受けとめるわけにはいかないのだろう。
だからこそ、正宗の構えが変わる。
上段に構え、そして穂先を仮面の女子高生へと向ける。
それは大局的に動けるバランスの取れた構えではなく、防御を無視した攻撃的な突くという事に重きを置いた構え。
仮面の女子高生の身体能力も凄まじいけど、正宗の能力だって勝るとも劣らない。
そして正宗の体が跳ねた。
なめらかな無駄のない体の動き、馬が障害物を乗り越える時のような強烈な踏み込み。
そこに人を刺すという行為に何の躊躇もない手の力が加わり、肩なの先はライフルのようなスピードとなって仮面の女子高生へと伸びる。
しかし、どんなにスピードが乗っていようが、警戒している相手に、どんな攻撃がどんなタイミングでくるかバレていては当たるはずもない。
いつしか僕の胸を貫いた一撃は空しく空を突く。
流木が障害物にあわせて、その身を翻すように、仮面の女子高生が前傾姿勢の正宗の横に張りついてチェーンソーを振りかぶる。
コンクリートを踏みしめる音が僅かに響く。
仮面の女子高生がチェーンソーを振りかぶったと同じに聞こえてきたその音は、バランスを崩すほどに大きく踏み込んだ正宗の前足が鳴らした音だった。
相手が避ける事を予測し、正宗は突くと同じに右手で遊びを作っていたのだ。
大きく腕を回し、本来左手抜くはずの背中に隠した懐かたなを右手で抜き、そのまま体を捻るように水平に一回転させる。
僕は正宗を後からみていたから、その手の動きが理解できたけど仮面の女子高生にしては上から不意に別の刃が降ってきたように見えた事だろう。
そんなアクロバットな一撃を仮面の女子高生は避けてしまった。
「いまのはとっても危なくて、恐かった」
そう言って仮面の女子高生はペタンと座り込んでしまった。
大きなチェーンソーを振り回していたから大柄なんだと錯覚していたけど、こうやってみると正宗よりも少し小さいくらいだ。
仮面姿で可愛らしく座る女子高生の姿はアンバランスこの上ない。
「どうした派手な得物を振り回してるだけじゃ俺には勝てないぞ」
座り込んだ仮面の女子高生に刀の先を突きつけながら正宗は勝ち誇ったように言う。
しかし、仮面の女子高生はこの状況でまだ慌てるような素振りは見せなかった。
「うん、タマ一人じゃ……勝てない」
正宗はキョトンとしてたけど、僕にはその意味がすぐに理解できた。
「正宗、伏せて!」
僕の言葉になんとか反応すると、立っていたら正宗の上半身は吹き飛んでいたであろう何かが上空から降ってきた。
コンクリート製のに激突する強烈な破壊音と共に、隕石が落ちた跡のように床がめり込む。
何かはやはり人影で、体格から察するに男性。そして何の冗談かやはり坂比良高校の制服。
坂比良の夏服はシャツの袖にラインが引いてありその色によって学年がわかる、仮面の女子高生は返り血でわからなくなっていたが、この新たに登場した男子生徒の袖を見る限り三年生らしい。
「もう一人!」
男子生徒の落下の衝撃で態勢を崩していた正宗だったけど、すぐにその男子に刀ふ振りかざすあたり流石の反射神経だ。
だが、その振った刀はなんと男子生徒の手に受けとめられる。
「何だ!?」
正宗が驚きの声を上げると同じに、静観していた僕も男子生徒に向かって走り出す。
「正宗、もう一回伏せて!」
僕が声を張り上げると男子生徒がこちらを振り向いた。
彼が振り向いて、初めて僕は男子生徒の顔を目にする。
いや、顔じゃなかった。
男子生徒の顔には女子高生と同じように仮面がついており、その仮面は般若。
だからといって躊躇する事もなく、その般若の面を踏み潰すように、僕は飛んで前蹴りを放つ。
ゴッという確かな手応えが足にかかり、僕はその蹴った反動で走り出したもとの位置まで吹き飛ぶ。
確かな手応えはあったけど、僕の蹴りが直撃する前に、咄嗟に般若は掴んでいた正宗の刀から手を離し、両手を揃えてガードを固めていたのだ。
それでもガード越しとはいえ般若を吹き飛ばすには十分で、僕と反対方向に般若は吹き飛んでいく。
もちろん、そこまでの衝撃だったにもかかわらずダメージはそうなさそうだ。
「正宗こっちは任せて!」
「任せた、俺とそいつは相性が悪そうだ!」
僕の声に正宗が般若を一瞬だけ見て返事を返す、いつのまにか仮面の女子高生も立ちあがっており、再び正宗と対峙していた。
パトカーのサイレンが耳に入ってくる。
般若が降ってきた音に反応して誰かが通報でもしたのだろうか。
とにかく警察が来てしまっては長く戦う事はできない.
それならば先手を仕掛けた勢いのままに僕の方から仕掛けるべきだろう。
僕は迷う事なく般若に向かって走り出すと、自分の攻撃の間合いより少し間を置いて様子を見る。
何か武器があればここで仕掛けてくる、そう考えて止まったのだけど、以外な事に僕とそう変わらない体格の般若の方からさらに一歩踏み込み、そのまま拳を振り下ろしてきた。
軽いステップインから伸びてくる般若の右拳、教科書のお手本のような右ストレートが僕の頬をかすめた。
「なっ!?」
武器はなく、素手。
さらに僕の顔面を吹き飛ばそうと般若の左フックが飛んでくるも、僕はあえて般若の懐に飛び込むと下半身だけで溜めを作り背中から般若へと体を勢い良く浴びせ掛ける。
重い衝撃と鈍い音と共に再び般若の体が吹き飛んでいったけど、その変わりに僕は背中に鈍い痛みを覚える。
その背中に受けた感触は生き物の体の感触ではない。
「金属……?」
鈍い痛みを背中に感じながら、僕は起きあがってくる般若を警戒の眼差しで睨みつけていた。
その視界に、般若とはまた違う異様が視界に入ってくる。
それが不意すぎて、自分で自分に問い掛けてしまう。
ここは屋上だ、と。
屋上にあがってくる階段があるのは僕の後ろの鉄階段と、屋内から屋上へあがる通風孔しかないだろう。
そういくつも屋上にあがってこれる階段があるはずもないし、落下を防ぐ鉄柵も僕等があがってきた部分にしか開きはない。
しかし、不意に僕の視界に入り、般若の後に立つ男は確かに下から飛びあがってこの屋上に姿を現した。
般若のように上から振ってきたわけではなく、横のビルから飛び移ってきたわけではなく、下から不意に一跨ぎするかのように姿を現したのだ。
手足の裾が赤い変わったデザインの綿シャツとズボン姿の大きな外国人男性、見た目は五十歳くらいで、身長は百九十センチはあるだろうか。
パンツインなシンプルなファッションだけど、その高い身長とスラリとした体格。さらに長い手足と堀の深い丹精な顔が絶妙に混ざり合い、壮年誌の表紙モデルを飾れるようなフェロモンを体中からかもしだしている。
自分を見ていないと察したのか、般若が僕の視線の先を見るべく振り向き、そして立ちはだかる男の存在を確認すると、危険を悟ったのか、僕に背を向けて男と距離をおく。
般若を叩く絶好の機会なのだろうけど、肝心の僕がこの新たに登場した男から目を離せないでいた。
「長瀬敦也君は君かなーーーーーーーーーッッッ!!!!!」
耳をつんざくような大声。
鼓膜だけでなく、そのまま脳を揺さぶり、腹に響くその声は僕達だけじゃなく、正宗もホッケーマスクの女子高生までもすくみあがらせた。
見た事さえない、知らない男が自分の名前が呼んだというのに、僕はその声の大きさだけで何も考えられなくなっていた。