サイカイ その四
午前一時。
こんな深夜に年頃の若い男女が歓楽街を闊歩するといったら、大多数の人が十八禁的な想像をかきたてるだろうけど、そんな事は残念ながらない。
残念といってもどこまで残念なのか、最初から期待していなければそもそも残念という表現も違うような気がするけど、ともかく僕は若い女性こと伊達正宗と一緒に夜の街を歩っていた。
特に目的があるでもなく、徘徊、散策という名をかりたさ迷いだ。
栄えている繁華街、歓楽街なんてものは、その栄えている場所から一歩路地裏に踏み込めば、煌びやかなその表層と比例するように暗く陰鬱だったりする。
そんなところを好き好んで歩こうとする人なんてロクなもんじゃないと相場が決まっていて、僕等ももちろんその中の二人。
なにしろ人でない者だって、こういう路地裏を好んでいるのだから。
そんな理由があってこういった深夜の散策を行われる場所は違えども、不定期に僕等はやっていた。
歩く場所にあたりをつけているのだから当然と言えば当然だけど、こういった場所はほとんど見る景色は似通っている。
人通りが全くといっていいほどない、というそれだけでなはなく、なおかつあいつ等が身を潜める場所が多いという事。
だからこういった飲食店が一階に入っているビルとビルの間などはあいつ等にとっては絶好の場所なのだ。
壁にこびりついた不毛な喧嘩の血の跡や、電柱の下の吐瀉物の跡、適当に外に出しているのか饐えた生ゴミの匂い、さらには途切れない空調設備の機械音など、足を踏み入れただけで劣悪だとわかってしまう環境。
こんな環境だからこそアイツ等が惹かれてやってくるのか、それともこんな環境があいつ等を呼んでしまうのか。
そんな事を考えながら僕は重い歩を進めているのだけど、そんな僕とは対照的に金髪をたなびかせて嬉しそうに、どこにいるのかもわからない相手だというのに、まるでその居場所を知っているように堂々たる姿勢でズンズンと歩を進める正宗。
「正宗、そんなに急いでもしょうがないよ」
僕の言葉に正宗は「悪い」とだけ返すと、わかっているのかいないのか、先程とまったく変わらないペースで歩を進める。
「だが敦也、目が少し反応してるんだ。すぐに動けるようにはしておけ」
目が反応しているというのは、正宗の右目の事。
カラーコンタクトをいれて普段は隠しているが、正宗の右目は陳腐な表現を使えばルビーのように赤く、そのルビーよりも美しく光反射する瞳は魔力めいた魅力がある。
竜眼と呼ばれているその目は一般常識ではありえない生物。
化け物、妖怪、怪物、モンスター、言い方なんてどうでもいいけど、そういった奴等が近いと疼くように反応するらしく、その反応が強ければ強いほど、ただでなくても一般人よりも二つ三つ抜きに出ている正宗の身体能力が比例して向上する。
そんな風変わりな存在だからか、この正宗という少女は大抵の事では物怖じしない。
正宗と同じ年頃の普通の女の子だったらこんな場所になんて恐くて近づきもしないだろうというのに正宗ときたら。
でも、考えてもみると金髪のいかにもな少女が布にくるまっているとはいえ刀を持ってうろついている方がよほど恐ろしいという事なんだろうか。
そんな危なっかしい場所をうろつくのになれてしまっている僕も、思えばよっぽど怪しいんだろう。
麻薬の売買現場なんてのも、この不定期な散歩中に何回も目撃している。
半年前の僕はこんな世界が存在しているなんて知りもしなかった、情報ではあると知っていてもどこか幻想めいた、自分には関係ない世界事のような。
そんな僕が意まではこういった空気を受け入れてしまっている。
同じく半年前までは魔法なんてあればいいななんて思ってはいたけど、それは絵空事だと思っていた。けれど今では僕の日常の一つだ。
化け物が徘徊する日本なんて、他の国からは言われているらしいけど、当事者になってさえしまえばこんなものなんだろう。
どこか麻痺している気がする。
僕が、ではなくて人間という存在が。
ほんの少しだけ狩野敬一郎が狂気に走った意味がわかった気がする。
世の中はキレイじゃない、それは知ってる。
でも、もとから汚れていたんだろうか、それとも誰かが汚してしまったのか?
ならばその責
ガサリ。
音がした。
僕の思考はそこで停止し、僕が構えるよりも早く正宗が刀を抜き構える。
「さっきから目が反応し始めてたんだ」
コンタクトを外していなかったせいか右目を掻きながら、正宗が高く詰まれたダンボールへと僕への合図をかねた視線を投げる。
二メートルそこらに詰まれたダンボールの陰に隠れてしまうあたり、今回の相手はそう大きくないらしい。
こういった相手はサイズの大きさなんてそう意味なんてないから、だから僕等は油断する事なんてない。
タイミングを合わせるように今度は僕から正宗に目だけで合図を送ると、勢い良く僕はダンボールの山を蹴り崩した。
「きゃあああああ!」
「何だよ! うあわああああ!」
暗い路地裏に響く悲鳴は二つ。
一つの声は甲高い女性の声、もうひとつは威勢だけはよかった男のもの。男女ペアの声だけど、もちろん僕達の声ではない。
声の主はダンボールの陰に隠れていた僕等と同じくらいの男女のもので、チンピラとまでは言わないけれど茶髪にピアスでルーズに服を着崩した、軽そうな若者の見本みたいな男と。金髪といっていいほどに明るい色に髪を染めた少し濃い化粧をした派手な女性。
その女性が胸をはだけて、ミニスカートをたくしあげ、片足を男に抱えられて腰を密着させて抱き合っていたのだ。
目のやり場に困るとはこんな事を言うのだろう、抱えられた足には女性の下着まで引っ掛かっている。
女性の方はすぐに悲鳴をあげたけど、男の方はそれでも健気に強気にでようとしたのだろう、少しだけ声に勢いがあったけど、正宗に突きつけられた刀の先を見て、同じような悲鳴をあげていた。
僕はえらいところに出くわしてしまったと声もあげられずに、目を背けながら後ずさりしたけど、正宗は頬を赤らめる事なく、何の尻込みもせずに、心底気分悪そうな表情をして一言。
「貴様等、セックスなら余所でやれ!」
ビュンと刀で空を切りながら臆面なくそう言い切った。
「す、すいません!」
こんな所で合体してしまうような節操のない二人が一番悪いのだけど、バツが悪そうに情けない声を上げながら凄い勢いで逃げて行く二人を見たらなんだか泣けてくる。
女の人はパンツも履けぬまま、男なんて股間をほろ出しながら大通りへと消えていった。
「まったく、あんな姿で死んだら末代までの恥だろうに。いや、ここで死んだらあいつ等で末代か。ご先祖も気の毒な事だな」
「いや、正宗。死んでないから」
正宗はため息交じりでそう言って話を続けた。
「だいたい、ああいった行為はもっと神聖なものだろう。欲望を制御できるから人間で、場をわきまえられないのは獣と一緒だ」
その言葉に僕はちょっと驚いた。
正宗の事だから「馬鹿どもが!」とかいって吐き捨てるだけだと思っていたから、恥じらいとは違うんだろうけど、貞操感みたいなものを口にするとは思っていなかった。
「正宗もたまにはまともな事を言うんだね」
そう茶化すと正宗はむすっっとした表情を見せてそっぽを向いてしまう。
「常識論だ、もしおかしな事を考えたんだったらこの場で斬り殺すぞ」
「おかしな事って何さ」
「お前も男だからな」
「正宗相手にそんな事を思うわけないだろ」
「それは結構、行くぞ」
やっぱり正宗は正宗らしい。
これで少しでもいじけた顔でも見せてくれれば女の子らしい可愛い一面もあるのかなとでも思うけど、僕の言葉に動じる事もなく、男らしく言い切ると刀を納めて歩きだしてしまった。
つまる所、自分に欲情するのかという事を心配したのではなくて、僕の常識力を問いただしただけらしい。
おかげで、ただでなくても会話も少なく歩き回っていたというのに余計と会話に困ってしまう。
話題にしようにもザンビディスもレミングスも僕には情報が少なすぎるし『YOU NEXT』の文字についてはここまでで随分と語ってしまった。
でも、この気まずい空気は長くは続かなかった。
カンッ。
物音、上から。
「いた……」
見上げれば大柄な影と小柄な人影がビルからビルへと飛び移った。
「ビンゴみたいだね」
「当然だ、俺の目だぞ」
正宗ときたら心底嬉しそうに言ってくれる。
そんなに嬉しいものなんだろうかと、僕が突っ込みをいれる間もなく、外付けの簡素な鉄階段をガンガンと景気のいい音を立てて2段飛ばしで正宗がかけ上がる。
ウィーム。
屋上に近づくにつれて、何か耳慣れない機械音が聞こえてくる。
警戒すべきなんだろうけど、正宗は躊躇する事もなく屋上へと飛び出していく。
感じ方の違いだと僕は思った。
正宗も感じているであろう感覚、別な言い方をすれば予感。
危険とかそういう類のものではなく、この階段を昇り切れば僕達は何か大変なものと直面する。
それが僕は恐いと感じるけど、正宗には楽しくてしょうがないんだろう。
そして階段を昇り切る。
正宗が言葉を失って立ち尽くし、僕は驚いて飛びあがった。
僕達が目にしたのは、月明かりを逆光に異形の化け物と対峙する、チェーンソーを手にしたホッケーマスクの女学生だった。
手にした武器にその仮面、そのいでたちは有名なホラー映画のキャラクターを嫌でも連想させられる。
「あんなゴシップ誌も馬鹿にできないな……」
正宗がボソリを呟いた。
そういえば少し前にテレビで、こんな女子高生の話をしてたような気がする。
でも、目の前に立つのはどう考えてもそんな噂話を模倣したような存在じゃなく、その噂の元となったオリジナルに間違いなさそうだ。
「……見つけたよ」
言葉と共にウィームというモーター音がブルルルという爆音に変わり、夜空に放物線を描くようにその女学生は宙を舞った。