アイゾウ その四
「む、お見事」
スッ、と盾から敵意が失われていく。
「そのような目を持っておられるから、開眼させようと思いましたが、よもやこうも早くとは」
「なに、兆候はあったんだ。あんたに蓋を完全にあけてもらったんだけどな」
「ご謙遜を、その力を初めてで使いこなすのはあなたの力でしょう」
盾は腹を押さえながら微笑んだ。
「すまん、痛かったか?」
「ええ、多少ですが響きました。とはいえ、これで痛いといっては彼に気の毒でしょう」
苦笑まじりに盾が視線を投げると、そこにはエルに馬乗りになられてボコボコに殴られる敦也の姿があった。
純粋な技術ではエルに到底かなわないとは思ったが、こうも無様にやられるとさすがにアドバイス一つしてもバチがあたらないような気がするが。
いや、やめておこう。
盾が俺に伝えたかった事があるように、エルにも伝えたい事があるのだろう。
それは言われて実行するものではなく、自分で気がつき、自分のものにする類の話。
「うぼっ! うぼっ!! うぼあー!!!」
「ヘイヘイ、どうした敦也君!? このままじゃ可愛い顔が台無しになっちまうんだぜー!」
自己陶酔しながら敦也にマウントパンチをかますエル。
その様子は単純に暴力を楽しんでいるような気がするのは、その昔の悪役じみた台詞からか、それとも普段のエルの行いからなのか。
しかし、俺は気がついた。
エルは敦也の顔面しか殴っていない、それはすなわち敦也に頭部を守れといった事に起因する。
エルの拳は俺から見ても手加減無しで振り下ろされている、それは間違いない。敦也の再生能力を知っていなければあんな無茶苦茶な殴り方はしないだろう。
その無茶な中だからこそ、敦也は必死で抵抗する。
敦也の全力ならば馬乗りになるエルを弾き飛ばすのは容易だ、だがそれをしたらエルは死んでしまう。
だから敦也はじっと耐える。
殴られながら回復する、ある意味呪いのような肉体だからこそできる連続性のある荒療治。
雨のように振り下ろされる無数の拳に耐えながら、敦也は少しずつベストの防御方を編み出していった。
エルの拳のリズムは勿論一定ではないし、打つ場所もそれぞれ違う。
そんな法則性のない攻撃を敦也は徐々に受けとめ始めていた、それは教えられて習得できる既存の格闘技術ではない、長瀬敦也だけが使いこなせる、独自の最良である防御方法。
つるべ打つエルの拳を、敦也はついに受け止め始めた。
エルの顔から笑みがこぼれる。
そう、これはあくまで特訓なのだ。
「そう、その調子よ。なかなか筋がいいじゃない」
そして逆にこの状況は自分の攻撃を受け止められた瞬間に窮地となると察したのか、エルは跳ね起きた。
「さぁ、きなさい。防御の理屈は立ってようが寝てようがそうそう変わりはしないわ」
エルは語る。
通常の格闘論理ではスタンディングとグラウンドの防御は全く違う。
しかしそれは技術としてだけの話であり、長瀬敦也としてのそれとは違う。
痛みは細胞がこれ以上のダメージは危険だと脳から人体に信号を発してもらうためのものだ、今の敦也の防御理論はまさにそれに近い。
攻撃を受けると痛いからせめて軽減しろという本能からなる防御。
受けるのは仕方ないから、だから最小限にという理屈。
傷は治しても痛みだけはその傷ぶん受ける長瀬敦也だからこそ体得しなければいけない防御方、思えば無節操にダメージを受けてその痛みを身に受けてきたんだ。
痛みで常人ならばショック死してしまいそうな痛みを受けて、なお我慢していた長瀬敦也。
きっと、ニーズや不死子は気がついていた。
だからこそ敦也の痛みにたいする神経はおかしくなっていたのだ、それを正気に戻す荒療治。
痛みは我慢するのではなく、避けるものだという当然の理屈を敦也は身体の細胞レベルで今思い出し、そしてそれを避ける手段を身につけた。
脳ではない、細胞が痛みを拒否する。
脳の指令はあくまで電気信号の伝達だ。
それはあくまで一瞬ではあるが、同じに確かな一瞬の遅れでもある。
しかし、この痛みを最低限に回避するという能力がこの一瞬でありながら致命的な遅れを0にする。
おそらく俺と同じで能力に目覚めた時点で敦也にそなわっていた機能なのだろう、その人の身には不相応な自身を傷つけてしまうほどの破壊力を頭の理屈ではなく細胞が判断する。
私の全身が目だとするなら、敦也は全身が痛覚なのだ。
その敏感すぎる痛覚と規格外の力をもってするならば、不死子がいってたように通常の格闘技術や理論など、まさに敦也には不要。
敦也にある唯一で絶対的な攻撃方法は、その規格外の攻撃を当てるのみ。
故にフルスイング。
牽制も戦術もない、当てれば終わりという決意を持って放たれるその一撃は、どんな戦術家であれ震え上がらせる。
どんな策を弄したところで一撃当たれば終わりという攻撃。
そんなハイリスク、ハイリターンしかない戦術、おそらくは長瀬敦也にしかできないだろう。
怪我が治せるという後押しがあってさえ、まともな神経ではできないだろうが幸か不幸か敦也はそういう意味ではとっくに壊れている。
コントロールできる体になったとはいえ痛みを感じるのは結局は脳、敦也の脳はその痛みを無視できるようにすでにできているのだから。
「だああああ!」
技術を知らない素人がパンチングマシンで体重をかけてとにかくハイスコアを出すべく振り下ろす類のメチャクチャな拳。
隙だらけだが、カウンターをエルはとれない。
それは同じくハイリスク、ハイリターンな攻撃だ、敦也と違ってそれ以外の選択肢がないのなら当然避けるだろう。
だからこそ、敦也のこの無謀で愚直な敦也にしかできない攻撃は攻防一体となっている。
加えて防御もコントロールも覚えたというのなら、その渾身の一撃を叩き込むタイミングも計れるだろう。
「らあああああ!」
再び飛ぶ敦也の拳。
「ぽひゃあ!?」
エルは避けるしかない。
死ぬ一撃ではない事は敦也の殴った後から見て取れる、敦也の身体がエルが死なない程度に敦也のパワーをセーブしている。
当たっても死なない、それはエルにもわかってるだろうが、だからといってカウンターは取りにいけない。
「負け、降参、今度はマジ! マジで負けを認める。素手じゃもう敦也君に勝てそうにありません。このとおーり、白旗!」
敦也が全力でしか打ち込めない以上、俺と盾のような決着は望めない。
死に体で必死に負けを認め、敦也とエルのトレーニングは終了した。
「あー、死ぬかと思ったわ……」
「死なない程度の攻撃にはなったいたとエルも理解していたろ?」
「敦也君じゃあるまいし、痛いのにあえて耐えようとは思わないわよ。ともあれ、パワーのセーブはできるようになったし、防御も覚えたし、知識としては弱点も教えたし。私にできる事はここまでね」
「伊達さんも、目の使い方は覚えたでしょう。一度掴みさえすれば、その感覚すぐに取り出せるようになりますが」
盾は一言加えた。
「龍眼を持つ者は通常は観えたとしても動くまではできませんでした、しかしあなたは龍眼を持つ者としては特異ですがその身体力もあげてしまっている。だからでしょう、脳が可動限界をあげて悲鳴をあげる。身体能力は常時使うでしょうから、観るのはここぞという時に限った方がいい」
そう、忠告する盾。
その言葉だけだったが、その後に続くべき言葉は容易に想像できる。
『その観る力は度を越えて使い続けたら死ぬぞ』と。
「敦也君も戦法はそれしかないようだからしょうがないけど、その戦い方に頼ってばっかじゃ駄目よ。命のやり取りで自分の命を差し出すのは当然としても、そんなにホイホイ差し出してたらキリがないから。それに言ったとおり、極端に死に難いだけで不死身じゃないんだから、そればかりに頼ったら駄目よ。力のコントロールを覚えたんだから、ある程度は技術をみにつけないと、まぁそこらは私よりも不死子かな?」
「はい、わかりました。今日はありがとうございました」
あんだけしこたま殴られて、素直にありがとうと口にできるのはこいつの凄いところだと心底思う。コイツには人を悪く思うという感覚が欠如してるんだろうか。
「それでは、またね。死ぬんじゃないわよ。二人共」
最後に厳しい視線を見せ、もしかすると今生の別れになるかもしれないという気持ちを二人ならば大丈夫という気持で押し殺した、複雑な顔を見せる。
「心配するな、俺が簡単にくたばると思うか?」
「……本気で言ってるなら別の意味で大したタマだわ。私に言わせれば誰よりも危ういわよ」
言って俺もきっとエルに負けないくらいおかしな顔を見せただろう。
「それでは、これにて失礼」
「あ、待て」
エルと一緒にこの屋敷を後にしようとする盾を俺は呼び止め。
「なぁ、盾。どうして俺からわざと一本とられた?」
「ハテ? 私は全力で向かいましたが?」
「あれは全力の殺気で全力の力ではないだろう」
「さすが、というのも侮辱ですな。手心を加えたつもりが、とんだ失礼をお許しください。……その質問ですがやはりあなたの勝ちでしょう。正直、その眼と能力では私では太刀打ちできません、が」
盾はニヤリと微笑んで。
「剣の勝負だけとあらば、私の方が五歩は上という所でしょう、しかしそれはむしろ驚嘆すべきところです。その若さで私の腕にここまで肉薄しているのですから」
そう負け惜しみに取れない負け惜しみを残して去っていったのだった。




