アイゾウ その参
敦也を蹂躙するエル。
それはまず見惚れ、次にその容赦の無さに感銘を受け、さらにその容赦の無さに不快感を持ち、だまし討ちで明らかな嫌悪に変わった。
それでも言葉を挟めなかったのはエルの言葉があまりにも当たり前で、頭に来るほどに正論だったからだ。
半人前の俺が何を言ったところで、本物であるエルにはかないっこない。
それはあの時、死に瀕してなお前を見つづけたエルを目にしてしまったから。
今、エルは俺達に痛すぎるまでの優しさをみせてくれている。
そこに割って入ってきたのは、盾雅博。
面識は少ないし、出会いもあまりよろしいものではなかったこの一見は初老の男。
でも、出会ったその時にこの男が只者ではないと理解したし、事実この男はただの初老の男ではなく、どちらかといえばという話しではなく完全に俺達とは別な存在。
この目が疼く、この男は魔そのものだ。
ただ、一口にそう言ってもいろいろある。
完全に人の外見を留めないものはわかりやすいが、加藤や岩城といった人そのもに魔を宿すものもある。
目の前の敦也なんてその最たる例で、こんなに馬鹿げた力をもってして目が反応したのは最初だけだったりするし、そういう例ならば魂も同じで目がさっぱり機能しない。
しかし、この男はそんな例外ではない。
目が反応してやまない、強力な魔。
それも人が知っているだけの協力な存在だ。
例えば鬼。
鬼が強いというのはそれだけ強力な魔として存在した、だからこそ伝承、民話の類に形となりて万人が知りうる形となっている。
ただ、魔をやどして狂った人間の起こした事件程度では世間は今も昔も見向きもしなかったというわけだ。
だからこそ、強力な魔を宿した物は形を変え品を変え、誰でも知っている魔へと成る。
妖怪とはよく表現したものだ。
『妖しい』『怪しい』と、如何わしい物に化ける事を的確に表現している。
そんな誰でも知っている妖怪へと変化した物が盾雅博。
そしてその戦いを目視した俺だからこそコイツの正体がわかる。
日本幽霊話として有名なところは皿数えの女の話とあと一つ平将門に数えられる落武者の話。
こいつがいつから存在していたのかという話には興味がないが、死してなお主君を守ろうとする無念、その忠義が死してこいつを妖怪化させた。
首が取れるという点だけを見れば、スリーピーホロウの首無しの騎士の話が有名だろう。
デュラハン、レイバーロードと称されるそれは日本での通称はない。
しかし、固有名称がないだけで平将門の話じたいは同じ首無しの侍の話。
そんな話としては中国、アメリカ、ドイツ、北欧、アイルランドと形はそれぞれ若干違えどあるのだ、日本もまたしかり。
この存在はそういうカテゴリとして妖怪化したと考えた方が良い。
つまり、もとの存在は豪胆なまでの武芸者。
それが妖怪化したのだ、その強さは手をあわせなくてもわかるし、何よりも裏辺の炎を守ってくれたあたりで伺い知る事ができた。
その上級な相手が、どれと目配せしたあと、道場の備え付けの木刀を手にしおれを見据えたのだ。
特訓、そういう名目だがこれ以上に緊張する相手はそうはいない。
デタラメな能力を持った相手ではなく、この目の前の盾は剣で俺を叩き伏せ様としているのだ。
敦也とエルではないが、これ以上に人間的な戦いがどこにある。
俺も木刀を手にし、盾を見据える。
それで盾は何かわかったのか、ほうと感嘆の声を漏らした。
同時にぬめりとこちらの心にからみつく粘り気のある笑みを盾は見せ、そして聞くも恐ろしい事をエルに確認した。
「流れとしては振るいにかける事、ならばここで再起不能になる覚悟もおありなのでしょう?」
盾の真意はきっと他にある。
だからこれはエルにではなく、死ぬ気で俺にかかって来いという類の確認だ。
だというのに、その強烈な殺気を受けた寒気で背筋どころか全身が凍りついた。
「んー、それが必要だというのなら、まぁ盾さんの好きなようにやっちゃって」
エルから取る言質。
そこに敦也が怒声をあげる。
「な、エルさん!? 何を言い出すんです!!」
「まっ、正宗の場合はあなとはまた違った趣で強くなってもらわないとって事よ。ところで敦也君、あなたは正宗に気をとられている場合じゃ……いや、むしろもっと捕われないといけないのかな。OK、かえって都合がいいわ。盾さん容赦無くやっちゃって」
「委細承知」
簡潔に答えて盾は木刀をこちらに向けた。
「できるなら、私を組み伏せて正宗の助けに行っていいよ。もちろん、できるなら、だけど」
そして、練習や訓練、特訓、模擬戦。
そんな言葉が霞んでしまう、成長するための実戦が始った。
盾はあの時のように首を落とすような事をしない。
つまりはあくまで剣での戦いという事になる。
しかし、殺すといったからにはあの時に見せた馬鹿げた剣を振り切れるほどの力を込めて打ち込んでくるだろう。
無論、そんな破壊力に木刀が耐えうれるわけもない。
込めるは裂帛の気合。
それはこちらが今のは死んだと明確なイメージを見せるだけの模擬の破壊。
それは心を折って来る。
敦也が受けた肉体の降伏ではない、心の降伏。
当てずともそれだけの事などなんなくやってのける実力を盾は秘めていた。
「いざ」
短く鋭く、盾が言葉を発すると盾の法から先に動いた。
と、同時にまるで風が爆発したかのような、音源が木刀である事を忘れてしまうほどの轟音。
普通、達人の剣は刀を振った音が聞こえないという。
それを逆に素人の子供が派手さをもとめてデタラメに剣を振るったような音を立てる。
……いや、実際は音などしていない。
木刀にダブついて盾の剣があの晩に見た剣と呼ぶには不出来すぎる鉄塊が見える。
だから今のは俺のイメージでだけの音。
達人は独闘する際に、対戦者をリアルにイメージし、その対戦者にしか見えない対戦者のイメージをその戦いの動きだけで傍観者にまるでその場にいるようにその姿を見せてしまうという。
それと同じ事を、今まさに盾にみせられている。
違いがあるとするならば、傍観者にイメージを見せているのではなく、対戦相手にその一撃の強烈さのイメージを見せている。
あの夜に盾の武器を目の当たりにしてしまったのが悪かった、敦也の様子なんて見る余裕なんてないが、あれはあの武器を見た俺だけじゃなく、敦也にだって木刀の振り以上のものを見せているだろう。
そんなリアルなイメージをぶつけられたら、現物を知っている俺ならそれだけでショック死するかもしれない。
なるほど、確かに殺してもいいかなんて聞くはずだ。
名目は模擬戦、しかしそれは命を奪いにくる。
なれば気構えは実戦、もとよりこの時間はそういうものだった。
だから考えをめぐらせろ、あの一撃をどうやったら受けとめられる。
いや、違う。
受けとめる事なんて最初からできやしない、あの剣撃は一撃たりとも貰っちゃいけない。
剣の腕だけみるなら伯仲か、それも希望的観測か。
相手の方が俺よりも上、しかし防戦するだけなら俺もある程度は耐えられる。
轟く。
振られる盾のニ撃目。
その風を切るどころか、風そのものをブチ壊す剣撃を見て息を飲む。
避け切る?
そんな事、今の俺ではできやしない。
活路を見出すには攻めるしかない。
しかし、攻める?
攻めるにしてもどこをどう攻めればいいのだろう?
相手はこちらよりも上、攻める隙があるはずがない。
ならば狙うは後の先。
集中しろ。
全神経を集結させろ。
今、伊達正宗は一つの目となり、力を抜いて相手の全身を見渡せ。
二度できたんだ、もう一度できないはずがない。
キィィィン。
耳鳴りがする。
それはセルゲイと戦った時に訪れた違和感。
集中!
目が疼く。
それは黙視録の獣と戦った時に初めて表れた症状。
集中!!
そんな目の異常を気にしてる余裕なんてない。
目の前の盾が再び剣を振りかぶった。
振りかぶった瞬間に、その瞬間に。
盾の動きが止まった。
止まった、いや違う、止まったように見えるだけ。
見える? 違う。
しかし、見えるとしか表現できないのだから、あえて言うなら観えるだろうか。
盾が動く、剣を振る、その軌道が観える。
それで唐突に理解できた。
俺は未来を予知しているわけでも、時間を遅くしたわけでもない。
ただ、観ているだけ。
相手を観察し、どう動くか理解しているのだからあとは感覚の問題だ。
そう、感覚の暴走。
自分自身の感覚を極限まで高めて相手を観察する、ならばそれは相手の動きが遅く見えるし止まって観えるだろう。
相手の動きを観察しての未来予報、加えて自分でも異常な視覚能力。
その二つが加われば、今のような現象が起こっても不思議ではない。
常人だって事故の瞬間をスローモーションで見る事ができるのだ、ならばこの目をもってすればそれを維持する事は容易い。
そんな中で振られた攻撃なんて、当たり様がない。
縦に振られた盾の一閃。
その間隙を突くように、俺の胴打ちが盾の脇腹を打ちぬいた。




