アイゾウ その弐
「どう、目を覚ました?油断でもなんでもない、これが私と敦也君との実力差」
見下ろすエルさん、見上げる僕。
雄々しく立ちふさがるエルさん、這いつくばる僕。
実戦ならば僕の命を奪えたエルさん、実戦ならば殺されていた僕。
目を覚ました僕が理解しなければいけない状況は、その圧倒的な勝者と敗者の状況だった。
エルさんの目にはいつもの優しさも愉快な影もない、エルさんの口からはさらに僕に追い討ちをかける言葉。
「これで君は二度死んだわ」
エルさんの手元には黒光りする銃、そして僕は再び意識を飛ばす。
「さて、敦也君は二度死んだわけだけど、気分はどうかな~?」
「まだ景色がグラグラして、頭が痛いです」
「ま、それはそうよ。中枢神経をこれでもかって揺さぶってやったんだから。でも、話しできるだけ凄いわよ。さすが不死子に鍛えられてるだけあるわね」
自分で僕をボコボコにしておいてまるで他人事のようにエルさんは続ける。
「いい、敦也君。どこまでいっても君は人間なんだから弱点なんてゴロゴロあるのよ。傷の治りがいくら早くたって神経機のダメージは治せない。それと治癒の指令を出す脳を壊されたら治す間もなく死んじゃう、呼吸が止まれば窒息でも死んじゃうし、傷の治りの早さと免疫力は少し違うから、きっと毒物でも死んじゃうよ。それだけ弱点があれば別に私でも敦也君を倒せるってわけ。っていうかそこまでいけば一般人と何ら変わらないわよ」
僕の弱点をこんこんと説明してくれた後に、エルさんは僕の手を引いて起こす。
僕が自分で立てるのを確認するとエルさんは再び構えた。
「さぁ、天狗になった鼻と緩んだ気持はリセットされた?さぁ、死にもの狂いで来なさい、でないと今度は殺しちゃうかもしれないよ!」
言葉こそはいつものエルさんに戻っているけど、その身から出る殺気は先ほどと何ら変わる事はない。
ならば、いや、最初から本気を出さなければいけない相手だったのだ。
それを履き違えていた、つまりは僕の意識が薄かったとしか言えない。
ダッっと僕が床を蹴り、エルさんに殴りかかろうとした瞬間。
「はい、私の負け! 降参でーす!」
と、エルさんが敗北宣言した。
「あ? え?」
「だから私の負け、弱点を意識し始めた敦也君とガチで殴りあったら、何の武器もない私では勝てるわけないじゃない。私の敦也君にできる特訓は意識力と敦也君の戦い方の組みたてだから。リトルリーグの采配でメジャーリーグで勝てるわけないじゃない。勝つにはこっちに有利なルールの上でやらないとね。実戦練習ってよりもあとは約束組み手みたいなものをやった方が効率いいのよ」
「そ、そういうもんなんですか?」
「そういうものなの」
ニコリと笑うエルさん。
その微笑を酷く歪に感じ。
危険、そう思った瞬間。
数えて三回目の昏倒を味わった。
「はい、おはよう」
笑顔で僕の顔を覗きこむエルさん、頭の中はグルグル回っているし、吐き気もある。加えてさっきの攻撃が身体ではなく脳神経に残っているのか、まだ身体が動かない。
それでも皮肉のように意識だけはしっかりしていて、血をはくように声をあげる。
「おはようって、おはようじゃないですよ!」
三度の不意打ちはさすがの僕も頭にきた。
だから素直に感情にしたがって怒鳴りつけたけど、エルさんときたら全く意に介してはいないようで、それどころか無邪気に、だからこそ純粋に悪意を向けた笑顔のまま。
「なーに怒ってるのかな?」
そんな事を口にした。
「な、怒らないはずないじゃないですか。約束組み手をするっていった矢先に何をしたんですか?」
「自分でも惚れ惚れするくらいに決まった、綺麗で見事な上段回し蹴り。面白いくらいに敦也君の顎がぐいーんって流れたよ」
「いや、そんな話しじゃなくて」
「話しが変わる事なんてないわ、ただ事実としてあなたは私に三回のノックダウンをさせられた。全部テンカウント入ってるし。あ、チョークスリーパーも含めれば一本もとってるのかな?」
「いや、だから」
「何、君は敵に一事休戦って言われたらはいはいって戦意を失うの? だからこの練習は何度もいうけどそういうものなの。君は戦うには精神構造がまだまだ不確かなのよ。それは不死子じゃきっと治せない、それもわかってるから私を差し向けたんでしょ。でも、あなたを油断させるために言った話の内容は本当よ。あなたはただの人のから言わせれば不死身に近い再生力と、絶対に到達不可能な肉体性能を持っている。それでいてなお、人間の弱点を克服できているわけじゃない」
エルさんの言葉は厳しい。
僕の弱点は身体だけではなく、精神その物だと言っている。
でも、それは確かにエルさん達に比べれば子供だと思うし、ニーズみたいに達観できているわけじゃない。
それでもあれだけの戦いを戦いぬいたんだ、そこまで言われては少しくらいは反論したい。
「でも、それは戦いになったら大丈夫です。今だってエルさんじゃなければ」
「戦える? 敦也君が戦えるのは怪物の類だけ。人ではないから、生かしてたら人に危害があるからとか、そういった浮ついた使命感とか正義感からでしょ」
言ってエルさんは正宗に視線を投げ、悪いという感情を押し殺した表情で続けた。
「唯一の例外は、あなた自身の復讐心のようなもの。これもれっきとした人間の持つ殺意、これからする事とはまるで似ても似つかない」
エルさんの言葉は重い。
言わんとしている事を理解して僕は押し黙る。横目で正宗を見てみれば正宗も俯き、その視線を落としている。
そう、僕も正宗も戦える。
戦えるけど、それには条件がある。
純粋な怪物そのものであったり、なにかに害をなす存在であれば、だ。
ただ今回の相手はそんなものとは勝手が違う。
何しろ害なんてなく、それに怪物ってわけでもない。
確かに人間離れしてはいるけど、怪物なんて言ったら僕も正宗も立派に怪物で、人間だなんて言えやしない。
偽善とも綺麗事とも言える区別。
だけど、それが僕や正宗を正常足り得させている優しく、そして痛い鎖。
相手はそれも同じ。
だからこそ、今度の戦いは同族の戦い。
それだけでも嫌気がするというのに、さらには顔見知り、あまつさえ友達。
状況をさらに加えるなら、戸惑っているこちらとは裏腹に、相手はそれを守るためならこちらに、容赦も同情もせず、相手の方が数なら3人も多い。
「わかった、今回の戦いがあなた達にどれだけ正念場になるのか。忙しいから助けられないなんて言ったけど、これからを考えると手助けするわけにはいかないのよ。私もニーズも不死子も、そこまで面倒はみきれないって事。あなた達はこっちの世界の歩みを止める事もできた。それをせずに歩き続けるというなら、これは避けてとおれない試練なのよ。もっとも、こんな形で壁にぶつけるなんて私達には不本意このうえないんだけど」
「少々手厳しい言いまわしですねエルさん。それでは美人が曇るでしょう」
エルさんの説教に近い言葉を遮ったのはしわがれた男性の声。
ここに来るまでまるで気配を感じさせなかったのは幽鬼のそれか、幽鬼そのものなのだろう。
久しぶりに聞いたその声は、以前の戦いの時に少年、薬師寺浩太郎と共にニーズの故障を修復した初老の男、盾雅博だった。
盾さんはあの時と同じスーツ姿で上品な笑みを浮かべている。
「あ、盾さんお久しぶり。相変わらずダンディーですね」
「はっはっはっ、美人にそう言われるのはやはり悪い気はしないものですな。それにしても私達が駆り出されるとは今回はよほど事態は切迫してると見える」
「そーなのよ、それでそれよりも先にこの目の上のタンコブを押さえておこうと」
「なるほど、しかしこの老体。子守りはできても、指導はできるものか」
「なーに、子守りとかわらないわ。というかそれよりもっと楽かも、死なない程度に鍛えてあげるだけだから」
「ですか、それでは私は正宗さんの指導ですかね?」
「話しが早くて助かるわ。それじゃ敦也君、そろそろ続きといきましょう、正宗もやっと暇から解放されるわね」




