アイゾウ その壱
時間軸はどうして進む事しかできないのだろう
どうして人は過ぎた事を思い出してしまうのだろう
それでもどうして人は時間と同じように進む事しかできないのだろう
立ち止まれない、立ち止まる事なんてできない
その理由は止まらない時間においてきた
さまざまな想いがあるのだから
「やっほー、エル姉さんが来ましたよー!って、アレ?何この辛気臭い空気」
どんな言葉を交わせばよかったのだろうか。
正宗と話さないといけない事が沢山あるのだろうけど、何から話せばいいのか僕も、きっと正宗も思いつく事はなかったと思う。
そんな二人の静寂を打ち破ったのはエルさん。
我舞雅城さんと藤咲さんが事務所を出てからほとんど入れ違いというタイミングで昼に見たスーツ姿のエルさんは僕達の様子を見て、「ふむ」と納得したような声をあげると一際明るい声をあげた。
「いやー、我舞雅城さんとゆっくり話しがしたかったんだけどな~。帰っちゃったか。おけおけ、いないんじゃしょうがないかな。さて、聞いてると思うんだけど近くに大掃除があってさ、私も力になってあげたいんだけどそうもいかないのよ。」
伸びをしながら来たばかりだというのに一方的に話しを続けるエルさん。
そうだ、呆けているわけにはいかない。思えばエルさんにだって話しを聞かないといけないのだ。
「それでエル、その大掃除。どういう状況になってるんだ?」
「ん、正宗。その話よりも裏辺の子供達を倒す努力をしないといけなくない?」
「それはそうだが、こうも蚊帳の外では気になるだろう」
「心配でヤキモキしてるのはこっちも同じよ、本当は助っ人に出てあげたいくらい。それに名目上では今の私はあなた達の教師なのよ。ほっとけるはずないじゃない。でも、今のとこそうもいかないのよ。だから少しでも勝てるように稽古をつけにきたってわけ」
「稽古って今更、俺に何を教えようってんだ」
「その高くなった鼻っ柱をへし折るだけでも随分と違うと思うのよね……ま、もっとも私は敦也君の担当。まだ来てないみたいだけど、正宗にはもっとスペシャルな先生を用意してるわ」
さっきの黙っていた時間はなんだったのか、正宗はよく喋った。
そのあたり正宗も今の無言の時間がたえられなかったのだろう。
突っかかるような正宗だったけど、エルさんはそんな正宗を軽く受け流した。ところで、その受け流す言葉の中に引っ掛かる言葉があったような気がする。
「あの、エルさんが僕に稽古をつけるんですか?」
戸惑う僕とは逆にエルさんはそうよと頷いた。
「何、もしかして敦也君も暴れん坊天狗? それなら丁度いいかも、あなた達は自分が思っている以上に特別なんかじゃないって事を教えてあげるわ」
そう言ってエルさんは道場に来いと手招きする。
エルさんはそう言ったけど、お世辞でもなんでもなく格闘技者として世界中をさがしても並ぶ者がいないんじゃないかってほど強い不死子さんの教えを受けているのに、エルさんが何を教えてくれるのだろうかと懸念に近い疑問を僕は抱く。
それは正宗も同じようで、不思議な表情でエルさんを見ていた。
不死子さんが買ってくれた空手着に着替えて道場に入ると、ジャージ上下のエルさんがストレッチの真っ最中で、着替えてもいない正宗がそれをつまらなそうに眺めていた。
大きくのけぞって伸びを終えるとエルさんがかけていた眼鏡を正宗に放り投げる。
「さて、敦也君の準備運動はナシよ。そもそも準備運動なんて実戦じゃさせてもらえないんだしね。う~ん、最近は事務仕事ばっかだったから身体がなまってたし丁度いいわ。よっしゃ! 来い!!」
来い、と景気良く言われたものの、僕はどうしたらいいのかわからない。
不死子さん曰く、僕の場合はへたに技術を身につけると自分のポテンシャルに影響をあたえてしまうらしい。
ニュアンス的な事で言うならば頭で考えるよりも行動を起こせという事らしい。
しかし、ただ闇雲に動くだけではいつまでたっても強くなれるはずもなく。僕の力を最大限に生かしつつ、かつ技術的に攻める。
技術をつけるなといって技術的に攻めろという矛盾したような話なのだけど、理屈を突き詰めると簡単な話しで。
牽制はするが闇雲に攻めず、必殺の一撃を決めるチャンスは見逃さない。その駆け引きを精神に叩き込む。
必死、決死、瀕死、そういった状況下において怯まず、そして冷静にいられる。
その精神を鑢で削ぎ落とすような境地に身をおく事ができるようになれば、おのずと活路、死路の判別ができるようになるという事らしい。
なので自分で強くなったならないの自覚はまるで持てない。けれども、その言っている言葉はわかる気がする。
例えるならば超スピードのF1の世界。
死につながる威力をスピード、戦いの緊張はそのままレースだろう。そこでアクセルを踏む、コースを選ぶ、ピットインする、その判断はその世界に常に身を置かないと研ぎ澄まされない感覚。
どんなにドライブテクニックがあろうとも、それが鈍れば事故を起こすし、レースに負ける。
僕が身につける技術はそれだし、身を置くべき世界はそこだ。
なので僕と不死子さんの組み手。
いや、模擬実戦は端から見れば殺し合いにしか見えないだろう。
不死子さんなら受けとめてくれるだろうと僕も全力で打ち込み、不死子さんも決して手を抜くような事はしない。
結果、僕は幾度も失神するのだ。
こんな練習は不死子さんが相手だからできる練習で、ただの人間であるエルさん相手ではやりようもない。
それはエルさんだって普通の人から見れば運動神経ははるかに高いだろうし格闘技術あるだろう。
でもセーブしないで放つ僕のパンチは軽くコンクリートブロックを粉々に粉砕する威力なのだ、もしもカスリでもしたら骨が折れるだけではすまないかもしれない。
だからこそ、この練習はどうしたらいいのかわからない。
どうしたもんかと考えて、もんもんとしている僕を見ながらエルさんははやくと焦れ始めていた。
そんな目で見られても困ってしまうのだけど。
「えっと、僕どうしたら――?」
「あれ、案外臆病なんだね。不死子ったら鍛え方が甘いんじゃないの?不死子に教わらなかったの?戦う時は余計な事を考えず目の前の相手に全力で立ち向かえって」
「だからって、僕はこうだけどエルさんは普通の人だし」
「私から見たら敦也君のが普通の人なんだけどね、いいわ。そこんところを私がしっかりレクチャーしてあげる」
言ってエルさんがトントンと軽くステップを踏みはじめた。
「ハンデで待っててあげたけど、来ないならこっちから行くわよ」
エルさんの口元がニッと微笑む。
その笑みは僕を倒せるという確かな自信が隠し様もないほどにじみでていた。
トントンというステップのリズムに毛色の違うタッというリズムが割り込む。
次の瞬間にはエルさんは僕の1,5メートル手前にまで距離をつめてい。
そして、エルさんの身体が僕に背を向けるようにグルリと一周する。
ガッ。
何かが僕の顎を跳ね上げた。
グルリと周る視界。
その先には呆気に取られたのか、口をあけて驚いている正宗の顔。
こんな正宗の顔は見た事ないな、なんて冷静な事を頭の片隅で考えながら、メインの思考はなんで視界がぐにゃぐにゃと溶けるように歪んでいくのかという事を考えていた。
そしてほどなく、既に自分は床に倒れているのだと気がついた。
起きあがろう。
意味がわからないまま、とにかく倒れたままではまずいと床に手を伸ばすも床をなぜか触れない。
ばたばたと星を掴むように手をうごかすが、例えの通り星である床には手が届かない。
そこで自分が既に起こされている事に気がついた。
しかし、立っているわけではない。
そこでやっと気がついた、対峙しているはずのエルさんはそういえばどこにいったのだろうと。
エルさんを意識してからは、自分に何が起きているのか理解するのは一瞬だった。
僕は既に抱き起こされている、そして僕の首にはエルさんの腕が巻き付いている。後ろからヘッドロックされるように捲きついたエルさんの腕は僕の首を締め上げていた。
外さないと。
そう思わなければいけなかったのだろうけど、そこに考え付くまでに僕の意識は飛んでいた。




