サイカイ その参
敦也は夜になって帰ってきた。
珍しくスーツ姿なんて格好をしているが、あまり似合ってはいない。
それでもそのゲンナリとしたこの顔を見れば、ここでの自堕落日々とは違った真面目な空気の中に飛び込んできたのだろう。
準備をおこたって走り出せば肉離れを起こすように、不意に水に飛び込めば溺れるようなもんだ、化け物どもを相手にするなんぞより、そういった空気になれてなければこっちの方が緊張する。
ハッキリ言って俺には耐えられない世界だ。
「おかえり、ただいま」
「ただいま戻りました、ニーズも会議お疲れ様です」
よほど疲れているのか、皺なんて気にする事もなく敦也は上着をテーブルに放り出すと、ネクタイを緩めて椅子に座った。
まさに疲れたサラリーマンの様相だ。
「どうする、話は明日に回す?」
「いえ、早いうちがいいでしょう。というか、明日じゃお互い面倒になりそうですし」
座った敦也の前に不死子が麦茶を差し出していた、敦也をねぎらうというよりも自分が飲みたかったのだろう。
ついでといわんばかりに俺達の前にも麦茶の入ったグラスを差し出す。
「さすがに話さないわけにもいかんじゃろうし、敦也の言う通りとっとと話しだけは聞いておこうかの」
不死子がそう言うと、ニーズが身を乗り出して話を切り出した。
「まぁ、私の方はこれといった話じゃなかったんだけどね。日本の今の様子について長々と意見交換しただけ。日本に住んでる私なんてずっと質問攻めだったよ、あとは私個人の話だったかな。この前に一回死んでるから知り合いの何人かには見破られてね。あとは裏辺の登録の抹消手続きとか」
思い出すように言うニーズだったけど、これといった話は無さそうだ。
そう思った瞬間に、ニーズの口調が変わった。
「さて、ここからが本題なんだけど。レミングス・ホーが日本に来たらしいわ」
「ほほう……これはまた」
ニーズの出した名前に不死子が反応するあたり、どうやら有名人。
つまるところやっかい者なのだろう。
「あ、僕の話も出てきましたよレミングス・ホーって人。でも、どういう存在か不明とか言ってましたけど」
敦也が割って入るが、敦也の話は意味がわからない。
話題にはあがったけど、何者かわからないって事なんだろうか。
「まだまだNINJAは発展途上という事かの、名前だけが一人歩きしておるという事か」
不死子がふぅとため息をついた。
「どいう存在か不明っていう点はその通りじゃない?レミングス・ホー。説明が難しいんだけど、アメリカ生まれの魔剣に魅入られた人間の事を差す名前よ。魔剣の名前はハンニバル。魔剣ハンニバルを手にした人はレミングス・ホーを名乗るって事だね。何でそう名乗るのかは知らないけど」
魔剣と聞いて、俺は身を乗り出した。
「ほう、それでどうしてそいつが危険なんだ?」
「危険度はそんなに高いわけじゃないのよ、魔剣によくある人を斬る衝動なんてものが芽生えるわけでもないらしいし、問題なのは最初のレミングス・ホーが確認されたのは今のところの最古の歴史で二千四十年前。それだけで研究対象としては多いに価値があるわけ。ただ、それだけの期間があったにも関わらず、魔術体系の中で手にされた事は一度もない。文字通り幻の魔剣なのよ、でも幻が幻として足りえない理由はこれまでに何人もの魔術師達がレミングス・ホーに挑んだという事実、そしてそのことごとくがレミングス・ホーに破れたという結果だけ」
「それで、お前はそのレミングスに挑戦するのか?」
俺の言葉にニーズはキョトンとした顔になる。
「挑戦? 何でまた?」
「だって誰も勝てた事ない相手なんだろ?」
俺の言葉にニーズは呆れたように答えた。
「何でそんな不良の覇権争いみたいな理由で命をかけなきゃならないのよ、話にあがったのは命知らずの魔術師は日本にいるみたいだからどうぞ挑戦してみては? って事よ。そりゃハンニバルを手にした最初の魔術師となればハクはつく通り越して歴史に残るだろうし、向こう五世紀分くらいの研究費用も約束されるだろうけど、それにはリスクが大きすぎるわよ。それに仮にレミングスに勝てたとしても、その後ハンニバルを手にした時に新たなレミングスにさせられるっていう可能性もないわけじゃない。そっちの方はレミングスに勝てた人がいないんだからわからないけどね」
ニーズは「私はそんだけよ」と言って話を終えた。
「それじゃ僕も、えっとどこから話そうかな。一般に公表はできないらしいんですけど、あのセルゲイのチェルノボーグの影響、あれって人間にも影響してたらしくて。稀に体現者になってしまう人がいるらしいんです、新たに半体現者っていうカテゴリにするとか何とか」
敦也の言葉にやる気なく席に戻ったニーズがまた身を乗り出す。
「なんですって、とんでもない話じゃない!」
「前言撤回じゃ、そんなもん調べておったらレミングスなんぞどうでもいいのう」
二人の顔色が変わった。
「何だ、また理解できない俺がなんだか気に入らないんだが」
俺が愚痴ると、今度は不死子が説明してくれた。
「南は覚えておるか?」
「ああ、鬼になった奴だろ。よく覚えてるぜ」
「あやつは葵藤の力によって鬼となり体現者となった。それは人を捨てるという事じゃが、人を捨てずに中と半端に力にだけ目覚める者がおるという事じゃ、つまりはおかしな力を持った者が街中に溢れ出す。わしが何を言っておるか意味はわかるじゃろ?」
常識外れの話だけど、言っている意味はわかる。
おかしな力を持ったやつがごろごろと現れ、そしてそんな一般から見て危険人物が隣の家に住んでいるかもという話になったら街中どころか世界中がパニックになる。
ただでなくても化け物がうろつく日本なんて囁かれているのに、日本人が化け者なんて話になったら大変だ。
そういう意味では目に見えておかしな存在の化け物の方がよほど可愛いという話だ。
「チェルノボーグは放射線エネルギー、魔って物が何であるかのまた手がかりね。次の学会までの研究課題ね」
なんてニーズは他人事のように言うが、敦也の話はまだ終わっていなかった。
「あとは、レミングスの話と、もう一人日本に来ているみたいなんですけど。名前が長くてメモしてて、どこかな……あった」
敦也は財布の中のレシート群の中から一枚のメモを取り出す。
「えっと、ジェームズ・フランツ・ザンビディスって人が。凄い騒ぎになってたんですけど」
蟹の念仏がごとくボソボソと喋る敦也だったが、ニーズはこの日一番の驚いた顔を見せる。
「ザンビディス!? 何でまたソイツが日本に来たのよ!?」
ニーズは随分と驚いているが、今回は不死子もわからないらしくどういう事かと尋ねる。
「J・F・ザンビディス、ヨハネスブルグの怪人。異名の多さでもこっちでは有名よ。さっきのヨハネスブルグの怪人って以外にも失意のザンビディス、警鐘のザンビディス、恍惚のザンビディス、ザンビディス・オブ・フェイク、コッペリアマスター。パッっと思いつくだけでもこれだけある。葵藤とは別の意味で悪名高い魔術師よ」
「別の意味って何だ?」
「世間の常識が通じない相手ってところかしら、名前をググってごらん。普通に凶悪指名手配犯で出てくるから。そんだけ世間に浸透してる魔術師、むしろ犯罪者ってところかしら」
凄いのか凄くないのかいまいちわからないが、こうもニーズに言わせるのだから、少なくともこの前の裏辺やセルゲイなんかよりもよほどやっかいな相手なんだろう。
「あ、あとですね。話が前後しちゃったんですけど、ここ最近の現場の様子の写真です」
付け加えるように敦也が封筒から数枚の写真を取り出して広げて見せた。
写真は軽いスプラッター写真、軽いっていうのはあくまで俺達の基準であって、一般人が見たらトラウマになるレベルだろう。
世間では災害指定危険生命体なんていわれてる、いわゆる化け物のバラバラ死体だ。
「これはまた随分と派手に散らかしたのう正宗」
「おかしな性癖がありそうだとは思ってたけど、ここまで病的だとちょっと引いちゃうね……」
写真を見るやいなやすぐに俺をじと目で睨んでくる不死子とニーズ。
その言葉を簡潔に、波風が立たないように穏やかな語り口で俺は否定した。
「お前達、俺の事を何だと思ってるんだ。そりゃここら近辺こいつらが出たら俺は斬り殺してきたが、その時は敦也も一緒だったし。それにちゃんと丹波や藤咲に連絡をいれた」
俺が言うと敦也は真面目な顔で二人を諭す。
「そうですよ、そりゃ僕も最初は正宗がやったかと思いましたけど。見てくださいこの文字、こんな手のこんだ事を正宗がするわけないじゃないですか」
「敦也、お前……」
よっぽど怒鳴りつけてやろうかと思ったが、俺はなんとかその怒りを静めた。
敦也自身よりも、敦也の指差した先に興味があったのだ。
どうしても目を引いてしまう化け物のバラバラ死体、その奥に化け物の血で大きく描かれたYOU NEXTの文字。
直訳するなら「次はお前だ」という事、そのまんまの意味で次があるという事だ。
「まぁ、ちょっと度肝を抜かれたがのう。この言葉の意味するところの次って何じゃ? 別の妖怪変化かの?」
「それはわかりません、でも三ヶ月前から十七件もこのバラバラ事件は起きてるらしいんです。そしてそのどれもにこの文字」
真面目な話をしているにもかかわらず、これまでどこかチャラチャラしていたいた俺達の空気はこの写真のせいですっかり水をうったように静まり帰ってしまった。
ニーズも口元に手を当てて考えこむ。
「三ヶ月も前じゃザンビディスでは無さそうね、こんなふざけた演出なんてザンビディスが好きそうな事なのに」
難しい事をあいも変わらずニーズは考えているんだろうけど、俺にとってはそんな事はどうでもいい事だ。
俺が思っている事は一つ。
「しかし、よくもまぁ、こうもバラバラにできたもんだ。俺だってこんなに激しくはできんぞ」
「ヘリから平気で飛び降りるような女の言う事とは思えないね」
「ヘリから飛び降りるって何です?」
「あー、敦也その話はいい。こいつはどうやってバラバラにされたんだ。この切断面は刀傷ではないだろう?」
傷口がただれた、どちらかといったら引き千切ったような痕。
だからといって人間業でそんな事はできないだろうし、共食いという線も文字を残すあたりで違う。
いや、なるほどそういう事か。
「ノコギリが凶器みたいだよ、傷口がみぞれになって削げ落ちてるあたり間違いないって」
「なるほどな、ノコギリで化け物をバラバラにするサイコ野郎。それが言ってたチェルノボーグの影響を受けた奴だ、と」
敦也はコクリと頷いた。
「世間体とかそういう事を考えるとレミングスやザンビディスよりもこっちのがよっぽど面倒そうじゃのう」
めんど臭そうに手をすくめる不死子さん。
「話をまとめると、コイツをどうにかしてくれって事ね」
「はい、目的を持って動いてる人がいる以上、最優先事項はこの事件からって事らしいです」
不謹慎かもしれないが、この敦也の言葉を聞いて俺はどこかワクワクしていた。
何でワクワクしているか、それはおれ自身にもわからない。
矛盾してると自分でわかっているが、不死子と同じくめんどくさい仕事が回ってきたと思ってもいるのだから
その比重としてはこっちの方が上らしく、俺は自然にこんな事を口にしていた。
「ふーん。ま、何にせよいつもよりは楽しめそうだな」
俺が言うとニーズはふてくされた様子で俺に皮肉を投げてきた。
「気楽でいいね、いったい何が楽しいんだか。私としてはゆっくり研究もできやしないよ。何この重なりまくった面倒事!?」
そんなニーズを見て申し訳なさそうに敦也が話しを切り出した。
「あの、もう一つだけ言う事があってですね」
「……何」
「四家さんからの伝言で、ダニエル・グッドマンがまた来日するそうです」
「うはっ、マジでかの? アイツ今度はいったい何しに来るんじゃ?」
「よくわかりません、ともかく気をつけてって四家が……」
敦也の言い難そうな様子もよくわかる、不死子とはどうに会話になったが、目の前の白い少女はそのまま体まで白くなってしまいそうなほど嫌な顔をしている。
嫌すぎて言葉にできないってやつだろう。
俺はずっと見ていたから平気だったが、不意にそのニーズの呆けた顔を見た不死子と敦也はケラケラと笑い出してしまう。
明るく場が纏まりはしたが、確かにニーズの言う通りだ。
とんでもない面倒事に、もう巻き込まれていると言い切ってもいいこの状況では。
さすがに笑ってはいられない。




