コウサク その弐
華舞雅城千歳
黒板にそう書かれた名前をちゃんと読めた人はクラスに何人いたのだろうか。
ブレザーが制服のためYシャツが夏服の僕達の中で、白い夏服のセーラー服を着た彼女はまさに転校生という出で立ちだった。
お世辞にも整えられているとは言えない長い髪、俯いいた顔からのぞかせる自信のなさそうな瞳、細身というよりも、こけている顔立ちからは眼鏡のフレームがはみ出ていた。
彼女にとってはいい迷惑なのだろうけど、僕だけでなくクラスの皆も転校生という事で期待して浮き足立っていたのだろう。
その彼女の野暮な風貌を見た途端、その期待が潮が引くように消えていくのが肌で感じられた。
「華舞雅城千歳です、よろしくお願いします」
消え入りそうな細い声で彼女はそう囁くと、静かに一礼して用意された席へと腰を落とした。
地味といえば恐ろしく地味。
しかし、その転校生の挙動に全員が注目していた。
転校生という物珍しさからというわけではなく、その歩く姿に、席に座るというだけの何気ない動作に、何か人間離れした、得たいの知れない何かを見るような警戒心を覚える。
同じ人として違うレベルに達している。だからこそ、それが受け入れられない。ある程度の覚悟をしていた僕ですらこれなのだ、何も知らないクラスの皆としたら恐怖すら覚えるほどだろう。
ともかく転校生、華舞雅城は席についた。
憂いをおびた顔と、気落ちした表情、そして黒板がある前ではなく、ノートすら出ていない机をぼうと見るように落とした視線。
奇異の目で見られる事を気にしているのか、それとも彼女独特の気配のようなものなのか彼女の在りようは判断にあぐねるものだったけど、一つだけわかったものがあった。
あの単純な仕草の一つで視線を奪ってしまうあの無駄のない動き、あの動きの流れは不死子さんのそれに似ていた。
人間だって生き物で、人として形が成っている以上は構造が同じなのだから突き詰めていくと無駄のない動きというものは一つの形として集約されるらしい。
不死子さん本人は完全な物にもう興味はないといって、わざわざ無駄だらけの動きをしているらしいけど、そういったものは泳ぎ方や自転車の乗り方と一緒で一度、身に付いてしまいさえすれば忘れる事はないらしい。
筋肉の衰えや、スポーツの感覚と違ってどんなに間をおいたとしてもできてしまう物、不死子さんはできるようになったから興味もない、なんていってたけどニーズに言わせると人間は動物と違って技術や知識で進化したから肉体が退化してしまった、不死子さんの動きのそれは細胞レベルで人間としての本来の動きを取り戻しているだけだという事。
もちろん一朝一夕にそんな事はできるはずもなく、とてつもない年月を要する、矯正というよりも改造に近い荒行で、僕だけじゃなく正宗ですら今となっては十数年の時間を要する特訓をへて得る物らしい。
例外があるとするならば、肉体が運動という機能を構築するまでの間にそういった動きでしか体を動かせないようにしておく、そうすれば型にはまった野菜がその形の通りに身を結ぶようにその動きは完成する。
本気を出した不死子さんほどではないにしろ、僕と歳もそうかわらない華舞雅城さんがそんな動きをしているという事は、幼少の頃からそういった世界で生きていたのだろう。
授業が終わると彼女は早々に席を立ってしまい、野次馬の取り巻きが付く前に教室から出て行ってしまった。
僕の時とは違い、クラスの皆は彼女に対して何か声をかけようという空気も希薄ではあったが、さらにクラスが色めきたっていたのが彼女に対しての注意を飛ばしていたのだ。
僕としては何とか声をかけたかったというのに、鼻の下を伸ばした江橋がそれをさせてくれなかった。
「さぁ、猛れ若人! 轟けパッション! 今日という日はこの五十分に全てが凝縮されているといっても過言ではない!さぁ、捲土重来の時は来た、桃源郷という名のアルカディアに我等は船を漕ぎ出すのだ!」
授業終了のチャイムが鳴ると同時に江橋は声たからかにそう宣言すると、一部の男子生徒がその声に呼応するように雄々と声をあげた。
江橋が狂ったかのように声をあげたのには、江橋が単に故障してしまったというわけではなくてもちろん相応の理由がある。
この坂比良高校では九月一杯まで水泳の授業がある。
普通の学校では九月に水泳の授業はやらないのだけど、この学校は夏休みの間に泳ぎがどれだけ上達するのかという事を確認するのもかねて九月まで水泳の授業があるのだ。
江橋が声をあげたのは、スポーツ少年の健全な水泳を楽しみたいという感情ではなく、あまりにも純粋すぎる下心からの声なのは火を見るよりもあきらかだった。
普通はこんな声をあげられては女子の間では非難の声があがるのだろうけど、江橋の奇行は今に始まった事じゃないらしくて、驚く僕をよそにクラスの女子の反応は恐ろしいくらいに冷めていた。
「また、江橋君の発作がはじまったよ」
「江橋君はこうじゃないとね」
「まぁ、江橋君を相手にしててもしょうがないよ」
いろいろな反応があるよだけど、江橋が酷く女子達の間で拒絶されないのは、ひとえに顔の良さと人当たりのよい性格がなす技なのだろう。
これがどちらかでもかけていたら、江橋のクラスでの扱いは目も当てられないような気がする。
そんな女子の視線を江橋に手を引かれてプールに併設された更衣室に連れて行かれる僕は一緒に受けているのだけど、江橋はともあくなれていない僕には正直キツイものがある。
「のほっ、長瀬君も大変だねぇ」
開いているのか閉じているのか、相変わらずの細い目がどんな感情をのせているのかもわからずに僕を見ていた。




