ガッコウ その十
「嘘々、普通に喋れるわよ。皆としたら代理教員が私なんかじゃ驚いたかな、でも普通に授業をはじめまーす。えっと、どこからやってって言われたんだっけかな……そう122ページ、じゃ~そこを~、それじゃ金髪ポニーテールの、え~と伊達さん読んで」
見事な演技力といえばいいのか、まるで本当に赴任してきたように振舞うエル。
頭がまわりはじめて、昨日ニーズが助っ人がどうとか言ってたのを思い出し、半ば忘れていた話がこれほどまでの大きなお世話を味わう事になるとは予想していなかった。
腹がたつとかそういうわけではないが、ここまで困った事態というのははじめてで戸惑う俺に、エルは嬉しそうに早く読めとせかしつけてきた。
俺は立ちあがって読み終えると、その後の授業はいっさい頭に入らなかった。
授業が終わると同時に文句の一つでも言ってやろうと思ったが、エルの人気は凄まじいもので、授業が終わると同時に男子にも女子にも囲まれてすぐに何か言える状況じゃなくなった。
一番最初にエルに詰め寄ったのが吉田なのにも俺は苦笑いせずにはいられない。
エミリー先生、マリエッタ先生、いろんな呼ばれ方をする中、やっとエルと視線があう。
「伊達さん、ナイス音読だったわよ。先生感動しちゃった」
「……それはどうも」
驚くのを通りすぎ、生徒に溶けこんでいるエルの言葉に呆れながら俺は答えた。
ニーズというか、エルの真意は直接聞いてみないことにはわからないが、なんだか俺達をダシに遊んでいるんじゃないかとムッとする。
ただでなくても面白いと思わない授業なのに、こんな事があって身に入るわけがない。
イライラしながら席でむっとしていると、そんな俺を純粋に心配しているのか、それともの神経を逆撫でしたいのか、その裏辺が俺の顔を覗きこんでくる。
「どうしたマサムネ、腹でもへってるのか? タマの秘蔵のコーラグミを食べるか?」
裏辺は鞄からお菓子の袋を取り出すと、グミを口にほおりこみながら差し出してくる。
へたに断ってさらに騒がれてもうっとおしいと、袋から一個グミをもらうと口へと放り込む。
固い触感にモグモグと口を動かしながら裏辺の顔を覗きこむ、ニコニコしながら俺の顔を覗きこむ裏辺。
「なぁ、裏……」
裏辺と言おうとしたところでニコニコしていた裏辺がムッとした顔を見せる。
「なぁ、タマ」
「なんだ?」
再び笑顔を作る裏辺。
「お前、昨日は何してた?」
「タマは生徒際の演奏の練習してたよ、でも昨日は雨だったからすぐに帰っちゃったけどね。ギターもおきっぱなしだし、今日は持って帰らないと」
「そうか、お前も大変だな」
そんな話をするうちに、また次の授業が始った。
朝のショックを引き摺っていたからか、昼休み放課後まで、時間の流れが随分と早く感じた。
昨日と同じように裏辺、高橋、鈴木、吉田と昼食をとり、鈴木との約束だった剣道部に顔を出し、今度体験入部するという口約束だけとりつけた。
そのまま鈴木と別れると、俺は裏辺のいる軽音部の部室まで来た。
部室にはまだ人の気配があり、小窓から中を覗いてみると裏辺がギターをケースに入れているところだった。
「う……タマ、今日はあがりか?」
「お、マサムネ。あれ、マサムネはヒサポンと剣道部を見に行ったんじゃなかったっけ?」
「ああ、行ってきた。今度、体験入部する話にはなってる」
「そっか、タマは今帰るところだ。途中までは一緒に行くか?」
「ああ、そうする」
裏辺には相変わらず警戒心がない。
裏辺は手短に帰り支度をすませると、今度の生徒際に弾く曲のことを話してくれたが、俺は上の空で話を聞いていた。
周囲を見渡すも裏辺をどうにかしそうな奴の姿は見えない。
裏辺は下駄箱を出ると正門ではなく裏門の方へと足を向けた、位置としては知っているが裏門の方へ行くのは初めてだった。
部室棟の裏の奥にあるその門は、卒業記念植樹が集中的にある軽い林になっている庭園の中にあった。
ベンチが設置されているあたり、緑豊かで涼しげなこの場所は昼休みあたりは人気があるんだろうけど、他の部活はまだ活動していおり、他の生徒はもう帰ってしまったこの半端な時間では他の生徒の影はみえない。
何かあるなら絶好のシチェーションだというのに裏辺は特に何も言ってはこないし、そして特に何も起きはしなかった。
正門と同じように裏門を潜るとやはり長い坂があり、その坂の途中には小さな神社があり、その神社のものなのか、坂の下には小さな駐車場があった。
そこに止まっている一台の青い原付バイク。
裏辺はその原付の足置きにギターを乗せると、座席からヘルメットを取りだす。
「タマの自慢のバイク、かわいいだろ?」
そういって裏辺はヘルメットをかぶる。
そして裏辺はポンとギターに手をかけると、少しうつむいて、少し悩んだ様子で言った。
「マサムネ、タマって今まであまり外に出た事がなくてさ、だから今が凄く楽しい。ヒサポンもナッチもヨッシーも大好きなんだ」
そう前起きしたうえで、裏辺は言った。
「だからマサムネ、学校では何もしないでほしい。それに、できればタマはマサムネともちゃんとした友達になりたい、だってタマとマサムネは普通じゃない人どうしだから」
核心には触れないが決定的な一言だった。
「やっぱりお前があの時の? ……お前はやっぱり裏辺の、裏辺治彦の娘か何かなのか?」
俺は聞いたが裏辺は何も答えずにバイクにまたがった。
そのまま裏辺は俺の目をみずにバイクのエンジンをかけると、いったん後ろに下がると大きく旋回して、俺の脇に停車すると悲しそうに呟いた。
「タマ、もう帰る。バイバイ」
寂しそうに背中を丸め、そのまま走り去る裏辺の後ろ姿を見て、俺は何ともいえない気持になる。
裏辺の言葉は嘘も偽りもないのだ。
今日だって裏辺は純粋に俺を心配してくれていた。
だからこそ、本当に裏辺治彦の娘だとしたら、仇敵の一人である俺にどうしてあんな事が言えるのか、俺にはわからなかった。
裏辺に対して敵対心や疑心で接していた俺には、その裏辺の純粋さがショックで声をかけられなかった。
俺は素直に感情を表現できる裏辺が少しうらやましいと思ってしまったんだと思う。
それは裏辺がまともなのか俺がまともなのかはわからない。それでも明日、裏辺に会ったらあの眠そうな目を見ながら元気かと声をかけよう。
なんて事だろうか。
俺は今、自分から裏辺と友達になりたいと思ってしまっている。
生まれて初めて持ったこの感情に戸惑い。しばらくの間、俺はその場に立ち尽くしていた。
現の責任 第ニ話 ガッコウ
了




