サイカイ その壱
ジジジジジジ。
耳に届くだけじゃなく、耳の奥まで響く音。
一定のようでいて、決してそういうわけではないこの生きた音。
目覚まし時計のアラームのような機械的な無機質さは微塵もなく、踏みしめる柔らかな土と、周りに生い茂る豊かな木々とあいなって、この脳を揺さぶられるような蝉の音のせいで「ああ、今まさしく夏の中にいるんだな」なんて詩的な事を僕は思っていた。
森の木々の間を縫って刺し込む陽光が僕の肌を刺す、それを避けるように僕は日陰へと逃げ込む。
逃げ込むっていっても、ほとんどが日陰だらけで日差しが体を直撃する方が少ないのだが。
ともかく、僕こと長瀬敦也は森の中を行軍していた。
「今年の夏は暑いわね。っていうか東北地方って北だから夏も涼しいと思ってたわ」
一緒に森の中を歩く美人のお姉さん。
初めて会った時は美人と思うよりも、その当時の警察っていう役職もあり、あの時の僕はつっこまれたらいろいろ埃が出る身だったから、彼女に対して恐いって印象が強かった。
けれど、今は僕にとっては頼れるお姉さんって感じになっている。
藤咲正美その人は、流れる汗を肩にかけたタオルで力強く拭きながらそう愚痴をこぼしていた。
「やれやれ人の身は辛いのう、わしなんてあせ一つかいておんというのに」
「フランケンシュタインに言われたくないわね」
「なんじゃとー! ってかフランケンシュタインちゃうわ! 何ど言ったらわかるんじゃ、わしはそういう風に言われるのは好かんし、それにそいう風に言う場合はじゃな、ちゃんとリビングデッドと呼ばんかい!」
「ゾンビって言われるのがやだっていうから、私だって妥協してフランケンって言ってるんじゃない、あんたと違って暑いんだからイラつかせないでよ」
「なんじゃその言い方は! そもそもどういう妥協なんじゃ、どうせ妥協するならちゃんと言わんかい、っていうか目上なんじゃから、不死子ちゃんと可愛く言うべきじゃろうが!」
「すっごいどうでもいいわ。敦也君、火ぃ持ってる?」
「持ってません……。そもそも……『ライターあったら吸っちゃうから置いていこう』って言ったのは正美さんじゃないですか。森の中で吸うのは危なくて大人のモラルに反するから自重しないと、とかいって」
「そうだったかしら、失敗したわ……」
「そもそも火を置いてきても煙草はしかと持っておるあたり、覚悟が中途半端なんじゃよ」
正美さんと元気いっぱいに喧嘩をする着物姿の少女。
森の中で着物姿というのもTPOを無視した、ハード過ぎるハイキングには相応しくはない格好なのだけど、この少女にとっては普段着だから仕方がないのだ。
思えば僕は見慣れてしまい、どこでも着物姿が当然だと思ってしまうほど印象が麻痺していたけど、せめてこういう所を歩く時くらいは着替えてもいいような気がしないでもない。
着物姿の少女、未寝不死子。
話にもあったように、この少女は普通の少女ではなく、本人が言っていたようにリビングデットと呼ばれる存在らしい。
らしいとしか言えないのは、僕自身が良くわかっていないから。フランケンシュタイン、ゾンビ、アンデッド、グール、マミー、そしてリビングデッド。
僕の基準では死人が動いているという点において言えばどれも変わらないように思えるのだけど、それぞれが全く違う存在なのだという。
どれくらい違うのかというとサルと人間くらいの差があるらしいのだけど、そんな事なんてはたはた僕はどうでもいいと思っているので気にもしていない。
そもそもこういった事を教えてくれる魔法使いの少女がいて、さらに言うのならばその少女は僕の上司なわけなのだけど、その魔法使いはなんと、そういった物が恐いという魔法使いとは思えない体たらくなのである。
正体不明の存在という点では魔法使いもゾンビも同義語で、恐いものだと思うのだけど、やはりこの不死子さんと同様に、何か譲れないものがあるらしくて、その事を言及するとやはり怒るのだ。
で、僕は一般的な人間かというと残念ながら僕もそうだとは言えない。
この場で真っ当な人間と言えるのは未だに不死子さんと言い争いをしている正美さんだけなのだ。
だけど、僕はさしてその事を重要な事だなんて考えていない。それは僕が普通じゃないんだとわかった時は気落ちもしたし、いろいろと辛い事もあったのだけど、否定しても目を背けても変わらないというのなら、それを受け入れるしかない。
そう割り切ったら、何か気が楽になってしまい、こうやって何も変わらない日常を送っている。
もちろん、僕自身が変わった存在なんだという認識があった上で。
さらにこの日本という国はその僕の経験した出来事を踏まえた上で変化してしまい、それを踏まえた上での日常という意味なのだけど。
「この若作りババア!」
「見切り婚の不良妻!」
「「キーーーーー!!」」
ともかく非日常が日常となった日本で、さらに輪をかけた非日常の中の日常が目の前で繰り広げられているわけだ。
自分で思うが、表現としては正しいはずなのにどこか意味がわからない。
これも二人が狂暴になってしまった原因の一つである暑さのせいなのだろうか?
ともかく、さすがに僕もこの二人の不毛な喧嘩を見て少しイラついてきたのでそろそろまとめるとしよう。
「はいはい、もうわかりましたから。これじゃ見つかるものも見つかりませんよ」
僕に間を割って叱られて、二人は大人しく引き下がってくれた。
子供っぽいところが多々あるように見える二人なのだけど、その実は二人共、僕なんかよりもよっぽど分別がある大人なのだ。
なぜか仲良くなるにつれて二人はこうやって度々いがみあってしまうのだけど、喧嘩するほど何とやらという事だろうか、僕はそんな二人が大好きだ。
二人共、落ちついたようすで周囲を見渡しながら森の中を散策する。
僕達の目的は、僕の故郷であるとある事件で滅んでしまった村、木三沢村である。
十数年前にその事件のせいで滅んでしまったこの村、誰も知らない存在のはずだったのだが、人の噂に戸は立てられず、言う人聞く人によって細部を変えながら、恐怖の都市伝説となって全国へと浸透してしまった。
そんな確証も何もない話と、わずかばかりの手がかりだけを頼りに僕達はその村を探しているのだ。
何のために、そう問われてしまうと何のためなのかはわからない。
あったとしても、廃村になった村だけなのだ。
同じ村の出身者である伊達正宗はそれがわかりきっているからか「暑い中でご苦労な事だ、生憎と俺はそんな事に精を出すほど暇じゃないんでな」と夏の暑さを忘れてしまうほどにクールに返されてしまった。
ちなみにこんな口調だけど伊達正宗は女の子である、それも客観的に見てかなりの美人だと思う。
そう言っているものの、彼女はまるっきし自分の生立ちに興味がないわけではなく、昔の傷跡に触れたくないのだろう。
彼女にもいろいろとあったと知っているので僕は言及しない事にしている。
いや、偉そうに僕自身に言い聞かせているだけで、僕は彼女にどうこう言う資格など僕にはもうないのだ。
ともかく、僕はそこに何があるかわからなくても知らなければならないのだ。
それに謎も残っている。
僕を施設に送る手続きをした男、藤崎さんが調べてくれた堂島剛志の存在だ。
生死不明だし、村に彼の手がかりがあるかどうかもわからないけれど、興味はある。
「むむむっ、発見じゃ」
不死子さんが木の幹をさすりながら声を張り上げる。
「そこが言ってた結界ってやつ?」
「うむ、認識をへし曲げる、随分と高いレベルの結界じゃな。張られた当時ならさしものわしも気づかなかったじゃろうが、時間がたって弱まっておるからなんとかなるじゃろう」
言って木の幹をガリガリと削りだす不死子さん。
僕は結界とか認識とか、そういった専門的な事はサッパリわからないけど、結界を破る作業なんだろうか、その不死子さんの仕草はあたかも勝手に家の柱で爪を研ぐ行儀の悪い猫のようだ。
「それって、本当に結界を崩す作業なの?」
「上位の結界というものはじゃな、結界そのもの気がつく事ができぬのじゃよ、気がつく事ができてしまえば、その境目に傷さえつけてやれば……」
ピシッ、っという音が聞こえた気がした。
あくまで聞こえた気がしただけ、実際には何の音も立てずに空間にヒビが入ったのだが、そのガラスに亀裂が入るような情景が、脳にそんな効果音を出させている。
「ほれ、この通りじゃて」
「久しぶりにこういったおかしな光景を見たけど。あれね、おかしすぎてリアクションが取れないわよね。返って冷静になっちゃうっていうか、職業慣れってやつかしら?」
言いながら正美さんは鞄から拳銃を取り出す。日本の警察官が持っているような短銃ではなく、アメリカ映画で見るような丸みのない無骨なデザイン。
いくらあの事件以降、治安が悪くなったといわれる日本でもこんな物騒な物をホイホイと警察が勝手に持ち出す事はできない、これが現在正美さんが属するNINJAという機関の成せる技なのだろうか。
「大丈夫なんですか?」
空間のヒビを蹴飛ばして穴を広げるという力技を見せる不死子さんにそう尋ねると、不死子さんはめんどくさそうに返した。
「さぁのう、大丈夫じゃないかのう? 滅んでるって話じゃしな、誰かの手が加わっておるとしたらこんなに結界が老朽化する事もあるまいて」
「それに、こんな状況で大丈夫かって聞くのも愚問ね」
全くその通りの話なのだろうけど、一般人的な意見も言わないと駄目な気がするから思わず口走ってしまった。
穴をくぐると、そこには獣道のような村の入り口らしきものがあった。
大きな赤い鳥居があるあたり、都市伝説といったあたりさわりのない噂話というものもあながちデタラメばかりとは言えないのだな、なんて感心してしまう。
映画で見るようなキビキビとした動きで銃を構えつつ進む正美さんとは対照的に、鼻歌交じりでコンビニにでも買い物に行くような足取りで進む不死子さん。
僕はというと正美さんほど警戒するでもなく、不死子さんほど気楽に構えてもいない。
自分が生まれた村だと言われても思い出す印象もなく、ああそうなのかと思うだけ。それでも物珍しいと思ってキョロキョロしているあたり随分と挙動不審な動きをしているんだろう。
結界の中でも夏は暑いらしく、木々がないから多少の風があって涼しくもあった。
涼しいと感じるのは、やはり記憶の深い部分でこびりついている、この村に起きた惨劇を思い出しているからだろうか。
僕は父親を目の前で殺され、幼馴染の少女も殺されかけている。いや、厳密に言えば村の者全員が死亡しているのだろうけど、そこまで重くはどうしても考えられなかった。
どうしてかはわからない、そんな凶行をした連中は一人残らず死んでおり、そして最後の一人を僕が自分の手で殺しているから、どこか吹っ切れているのかもしれない。
心穏やかというわけではないけれど、これといった感慨もなく僕等は村の中を調べてまわった。
萱葺きの屋根のレトロな家は現代というよりも時代劇の中に入ったか、さもなくば北海道の田舎のドラマを思ってしまう。
だけど、そういった心温まる情景は表面だけで。素人目に見て、十余年の月日がたっているというのに拭きぬけの廊下には血の痕だとわかる染みなどがあちこちにある。
結論だけで言うと、四時間の散策でこれといった手がかりもなく、というかもともと何を期待していたのかもわからないと最初から思っていたのだから予想通りの結果だったといったらそれまで。
「くたびれもうけじゃったのう」
「それでも、何かこう思う事はありましたよ。うまく言葉にできませんけど」
そういう不死子さんを半分なだめるように僕はいった、半分は言った通り、僕の中で何か収穫があった気がするのだ。
それが何なのかと言われたら、やはり言った通り、何なのか言葉にできないのだけど。
「そう、私はいろいろと収穫あったんだけどな」
憔悴しきった僕達とは違って、そんな事を正美さんは言った。
「何かあったんですか、っていうかよく何か見つかりましたね」
僕が感嘆の声をあげると正美さんは得意気に笑って見せた。
「そりゃこの道のプロで、これでご飯を食べてるからね。堂島剛志の母屋からいろいろと見つくろってきたのよ、他にも村の人の日記があったから拝借してきたわ」
「めざといというかなんというかじゃのう」
「僕は純粋に凄いと思いますけど」
僕達のそれぞれ違った反応を楽しむように正美さんは笑ってみせる。
「ともかく、何かわかったら連絡するわよ。どっちにしろ仕事場にも報告しないといけないしね」
「あれっ、休みを利用してこっち来たんじゃないんですか?」
正美さんはお盆の休みを利用して、かねてからの約束だったこの木三村ツアーを計画していたと聞いていた。
冬から夏までかかったあたり、正美さんも仕事の変化とかいろいろあって時間が取れないと思っていたし、そもそも半分忘れていたのだ。
それを今回、お盆の休みという事でこっちに来たのだとばかり思っていた。
「ん、こんな仕事してて普通にお盆を休めるわけないじゃない。仕事の一環って事でいわば半休みたいな形でね、旅費の出ない出張?」
おどけて言う正美さんだったけど、そんな事を聞いたら何か悪い気がしてきてしまう。
「すいません、僕のためにわざわざ」
「いいのよ、旦那だって新聞記者やってるからお盆に休めないしね。あんま関係ないし。それになんだかんだで皆といるのは楽しいからね」
嫌味そうに不死子さんを見ながら正美さんは言うと、不死子さんはフグのように無言でほっぺたを膨らませて返事を返していた。
「さ、帰りましょう。お腹も減ってきたし、それよりもニコチンが足りないわ」
蝉の鳴き声はいつからか別の虫の鳴き声と変わっていた。
ジジジジジジジジ。
夜だというのに今年の夏は暑い。
あまりの暑さで頭が呆けてしまっているのだろうか、何か僕は大事な事に気がつかなければならないのに。それを見失っていた。
気がついているのにそれを認識できないような不思議な感覚を覚えながら、僕達はほの暗い森を歩く。
それにしても、今年は暑い夏だ。
私達は罪を犯す
私の心は弁護人、あなたの心は検察官
そして、これまで過した日々が裁判官
私達に下される判決と
その問われる責任は
現の責任 第一話 サイカイ