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陸軍モノ

日本陸軍がこう、カッコよかったら。

作者: 仲村千夏

 補給所は、元は小さな集落だったらしい。土壁の倉と崩れかけた家屋が並び、中央の空き地に弾薬箱が規則正しく積まれている。朝霧がまだ低く漂い、兵の足音も自然と抑えられていた。


「第七分隊、補給を受ける」


 分隊長の声に、補給兵が帳面から顔を上げる。無駄のない動きで箱の札を確認し、手を伸ばした。


「六・五粍、通常弾。歩兵分、八箱。狙撃用精選弾、一箱。以上で間違いないな?」


「その通りだ」


 分隊長は短く答えた。隣で副分隊長がすでに背嚢を開き、箱の中身を確認している。弾薬はすべて同じ口径、同じ包み。箱の色も、袋の印も迷いようがない。


 兵たちは慣れた手つきで弾帯を腰嚢に分け、余剰分を分隊用の背負い箱へと移す。無言だが、動きに淀みはない。こうした補給作業こそ、訓練の成果が如実に現れる場面だった。


「軽いな」


 若い兵がぽつりと呟く。隣の古参兵が小さく鼻で笑った。


「昔は分隊で軽機関銃を抱えてた。弾も重いし、撃てば補給が追いつかん」


「今は当てるからな」


 その言葉に、分隊の狙撃手――東郷上等兵が視線だけを上げた。彼は補給の列の端で、精選弾の箱を受け取っている。数は多くないが、箱には赤い細線が引かれ、通常弾とは明確に区別されていた。


 東郷は中身を一瞥し、異常がないことを確認すると、静かに分隊長へ頷いた。


「精選弾、問題ありません」


「よし」


 分隊長はそれだけ答える。特別な言葉も、激励もいらない。狙撃手は分隊の一部であり、分隊の誰もがその役割を理解していた。


 補給所の端では、小隊支援班が別に集まっている。七・七粍の弾帯箱、そして一段と重い十三粍弾の箱。分隊の補給とは明らかに性質が違う。


「機関銃と対装甲は小隊で預かる。分隊は身軽に行け」


 小隊長の声が響く。分隊長はそれに短く敬礼した。


「分隊は索敵任務だ。接触は避ける」


「承知」


 補給が終わると、分隊はすぐに散開準備に入る。弾薬箱は最小限、余計なものは持たない。全員が同じ口径を使うというだけで、確認の手間が一つ消える。


 東郷は最後に銃を肩に掛け、照準を布で軽く拭いた。分隊の誰もが精密射撃訓練を受けているが、それでも彼に向けられる視線は自然と集まる。


「東郷」


 分隊長が呼ぶ。


「前に出る。無理はするな」


「了解」


 それだけで十分だった。


 分隊は静かに補給所を離れていく。足取りは軽く、装備は簡素だ。だが、必要な火力は小隊が後ろで握っている。


 ――分隊は目となり、刃となる。

 ――撃つべき時に、確実に当てる。


 そのための弾は、もう腰にあった。


 補給所を離れてから三十分、分隊はすでに獣道のような細い踏み跡を進んでいた。林床には落ち葉が積もり、踏めば音が出る。全員が歩幅を揃え、足裏から静かに地面へ体重を預けていく。


 先頭は東郷上等兵。狙撃手だが、索敵時は最も視野が広く、動きが丁寧な者が前に出る。彼の動きに合わせ、分隊は自然に間隔を保った。


 東郷は膝をつき、双眼鏡をゆっくりと上げる。正面は低い丘、その向こうに疎らな林が続いている。敵情不明。だが、この静けさは不自然だった。


 彼は拳を軽く握り、腰の高さで止めた。

 ――停止。


 分隊は一瞬で動きを止める。誰も振り返らない。訓練で身体に叩き込まれた動作だ。


 東郷は呼吸を整え、双眼鏡越しに丘の縁をなぞる。草の影、倒木の向こう、岩陰。そこに――わずかな直線を見つけた。


 自然物にはない、規則的な影。


 彼は双眼鏡を下ろし、今度は指を二本立て、ゆっくりと左へ振った。

 ――二名以上、正面。


 分隊長はその合図を確認すると、静かに伏せの姿勢を取った。全員が銃を構えるが、照準はまだ合わせない。撃たない。まず見る。


 分隊長は匍匐で東郷の横へ移動する。


「距離は」


「四百五十。丘の稜線、擬装不十分です」


「武装は」


「小銃。機関銃は見えません」


 短いやり取りで十分だった。分隊長は一度だけ後方を振り返り、副分隊長に手信号を送る。

 ――迂回可能、接触回避。


 索敵任務の原則は、見つけることであり、倒すことではない。


 しかし敵が動いた。


 一人が丘を越え、こちら側へ数歩踏み出す。距離が縮まる。風向きが変わり、草が揺れた。


 分隊長は一瞬だけ考え、決断する。


「東郷。威嚇、一発。外さず、倒すな」


「了解」


 東郷は銃床を肩に据え、照準を合わせる。精選弾。狙うのは足元、地面だ。引き金は静かに絞られる。


 乾いた音が一つ。


 弾は敵兵の足前の土を跳ね上げた。敵は驚いて身を伏せ、丘の向こうへ転がるように退いた。


 それ以上、撃たない。


 分隊は即座に後退を開始する。来た道を戻るのではない。事前に定めた第二経路へ、間隔を保ったまま消えていく。


 十分後、丘の陰で分隊は再集結した。誰も息を荒げていない。無駄な動きもない。


「敵、二〜三名。軽装。哨戒の可能性あり」


 分隊長が低く告げる。


「小隊に報告する。火力は呼ばない」


 東郷は銃を下ろし、再び周囲を見渡す。分隊の誰もが、同じように静かに目を動かしていた。


 撃たずに済んだ。

 それが、この分隊の強さだった。


 分隊が待ち伏せ地点に着いたのは、索敵報告から二時間後だった。小さな尾根と、その下を通る浅い谷筋。踏み固められた地面が細く続き、哨戒路として使われているのは明らかだった。


 分隊長は手信号で指示を出す。

 ――撃ち始めは合図まで待て。


 全員が頷く。銃口は伏せられ、照準はまだ上げない。


 東郷は尾根の側面、倒木の陰に身を潜めていた。視界は限られるが、谷筋を横切る敵の上半身が、ちょうど抜ける位置だ。距離は三百五十。精密射撃には十分すぎる。


 風は弱い。葉擦れの音が、こちらの呼吸を隠してくれる。


 敵は現れた。五名。こちらとほぼ同規模。全員が小銃を携え、緊張感は薄い。索敵が不十分なのが、遠目にも分かった。


 先頭の兵が谷の中央に差し掛かった瞬間、分隊長の拳が静かに下ろされる。


 ――撃て。


 最初の一発は東郷だった。


 狙ったのは胸ではない。肩口。銃を持つ腕だ。弾は狙い通り、敵兵を地面に叩きつけた。悲鳴は短い。


 ほぼ同時に、分隊の他の兵が撃つ。全員が訓練通り、同じ目標を狙わない。二人目、三人目が倒れ、敵は完全に混乱した。


 だが敵も歩兵だ。伏せ、撃ち返してくる。


 弾が尾根の土を叩く。分隊は位置を変えない。動けば見える。今は当てる。


 東郷は二発目を選んだ。敵の分隊長らしき人物。身振りが大きく、指示を出している。照準は胸元。今度は倒す。


 撃発。敵の動きが止まる。


「よし、十分だ」


 分隊長の声は低いが、はっきりしていた。


「後退準備。小隊火力、呼ぶ」


 副分隊長が無線を開く。


「こちら第七分隊。敵歩兵五名と交戦、三名無力化。残存、伏せ。位置送る」


 返答は即座だった。


『了解。支援班、展開する』


 分隊は段階的に後退する。一人が動けば、一人が見る。撃たない。撃つ必要はもうない。


 数分後、後方から重い発射音が響いた。七・七粍機関銃だ。谷筋の反対側を制圧し、敵の動きを完全に封じる。


 敵は撤退を試みたが、動線はすでに押さえられている。分隊は距離を保ったまま、再接触はしない。


 戦闘は短かった。


 分隊長は息を整え、周囲を見回す。誰も怪我をしていない。弾薬消費も最小限だ。


「よく当てた」


 その言葉に、誰も返事をしない。ただ、それぞれが次の動作に移るだけだった。


 分隊は、もう一度静かになる。


 谷筋はすでに静まり返っていた。七・七粍機関銃の射線が外され、煙も消えつつある。敵の遺体は三、負傷者が一。残りは後退したらしく、追撃は行われていない。


 第七分隊は周囲を警戒しつつ、簡易的に陣地を確保していた。


 小隊長が尾根を越えて現れる。分隊長は一歩前に出て敬礼した。


「第七分隊、戦闘後報告します」


「よし。状況を聞かせろ」


 小隊長は周囲を一瞥し、敵の倒れた位置を確認する。その目は冷静だった。


「敵は歩兵五名。同規模です。索敵任務中に進路を予測、ここで待ち伏せました」


「撃ち始めは?」


「狙撃手、東郷上等兵。初弾は威力制限射。混乱を誘発しました」


 小隊長が東郷を見る。東郷は一歩前に出るが、何も言わない。


「続けろ」


「初動で三名を無力化。敵は伏せて抵抗しましたが、分隊火力で十分抑えました。こちらの損害はありません」


「弾薬消費は?」


「分隊全体で二十二発。精選弾は二発使用」


 小隊長の眉がわずかに動く。


「よく抑えたな。無駄がない」


 副分隊長が続ける。


「敵は機関銃を携行していませんでした。軽装、哨戒任務と判断します」


「装甲は?」


「なし。対戦車火器の投入は不要と判断しました」


 小隊長は頷き、地図を取り出す。


「撤退方向は?」


「南西。谷を使って離脱した可能性が高いかと」


「追撃は?」


「提案しません。目的は索敵でした」


 分隊長の言葉に、小隊長は一瞬だけ笑った。


「いい判断だ。分隊が軽いのは、こういう時に効く」


 小隊長は無線兵に短く指示を出す。


「この区域、敵哨戒あり。小隊は防御線を一段下げる」


 無線兵が復唱し、通信が流れる。


 小隊長は再び分隊を見る。


「分隊狙撃手、感想は?」


 東郷は一拍置いて答えた。


「距離三百五十。風弱し。敵の動きは鈍かった。精密射撃で十分対処可能でした」


「分隊員の射撃は?」


「訓練通りです。狙いが散りませんでした」


 小隊長は満足そうに頷いた。


「よし。分隊は十分役目を果たした。補給は戻ってからだ。今は警戒を続けろ」


「了解」


 敬礼が交わされる。


 小隊長が去った後、分隊は再び持ち場に散開する。誰も戦果を語らない。ただ、銃を点検し、周囲を見張る。


 撃つべき時に、当てる。

 撃たなくていい時には、撃たない。


 それが、この分隊のやり方だった。

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