第1章 11
ぼくの背中の毛は、いつのまにか逆立っている。
何ができるかわからないけど、今度こそ美玲ちゃんの力になりたい。そう思って見上げると、美玲ちゃんはとっても冷静に、目の前の男を見つめていた。
「その眼帯……。目を怪我したんですか?」
「ああ、ちょっとね……。居眠りしているあいだに、何かの破片で切ったらしい。まったく、ついてないよな……」
男の背中ごしに、パソコンのモニタが青白い光を発している。
「また、ネットゲームをしていたんですか?」
美玲ちゃんがそう言うと、男は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに苦笑いを浮かべて首を横にふった。
「萌に聞いたのか? もうネットゲームからは、きっぱり足を洗ったよ。
いまはパソコンでイラストを描いていたんだ、でも、もう昔のように描けないな。ずっと仕事をさぼって、描いてなかったから……」
美玲ちゃんと男の会話で、ようやくぼくは、目の前の男が萌ちゃんの父親だと気付いた。
だって、あんなに立派なマンションに住んでいる萌ちゃんと、こんなボロアパートに住んでいる男が、どうしても親子だなんて思えなかったからだ。
「萌ちゃん、会いたがっていましたよ。もっと、頻繁に会えるようにしてください。じゃないと、萌が困るんです」
「おれだって会いたいよ。いつも心配している。でもあいつが……、萌の母親が許さないだろう? あいつは、おれに罰を与えてるんだ。父親としての役目を果たしてこなかったから……」
萌ちゃんの父親は、イライラと貧乏ゆすりを始め、また座卓の上のタバコに手をのばした。
一本取り出し、口にくわえようとする。
「なら、奥さんに頭を下げてでも、早く萌と暮らせるようになってください」
「子どものくせに、そんなこと簡単に言うじゃねぇっ!」
萌ちゃんの父親が、握ったタバコの箱を床に投げつけながら怒鳴った。
ぎょろりと血走った目で、美玲ちゃんをにらみつける。
「あ、あいつは……、萌の母親は、もともとおれのクライアントで、昔っから口うるさくて、何をするにも完璧主義で、強情で……。
あいつは、一度決めた事は頑として譲らないし、おれには、どうする事もできない!
おお、大人の事情ってのが、あるんだよ!」
すると美玲ちゃんは、ゆっくり息を吸ってから、さらに大きな声で怒鳴った。
「大人の事情なんて知るか! そんなもの、子どもに押し付けるなっ!」
美玲ちゃんの怒鳴り声が、部屋じゅうにこだました。
ぼくはびっくりして腰を抜かし、萌ちゃんの父親は、くわえかけたタバコを口からぽとりと落とした。
「萌の部屋で、怪奇現象が起こるんです。萌は仕事でお母さんが出かけているあいだ、ずっと一人で、その恐怖と戦っているんです。
なのにあなたは、萌のお母さんと向き合うことから逃げているくせに、萌にふり向いてもらいたいという、自分勝手な感情ばかり押し付けて……。
心配してるなんてウソよ! 本当はあなた自身が助けてほしくて、萌を逃げ場所にしているだけじゃない! そんなの、父親として情けなくないんですか!」
呆然と聞いていた萌ちゃんの父親が、急に立ち上がった。
ぼくは美玲ちゃんが襲われないよう、萌ちゃんの父親に飛びかかった。
勇気ある判断だ。
誇りある勇者にしかできない、英雄的な行動だ。
が、するっと萌ちゃんの父親の体をすり抜けて、部屋の奥にある流し台の下に転がり落ちてしまった。
カップラーメンやペットボトルのゴミにまみれながら、急いでふり返る。
萌ちゃんの父親は、美玲ちゃんの目の前で仁王立ちしていた。




