千年の呪いを継ぎし者(5)
平安京に女の鬼が出る。そんな噂が流れたのは、新しい帝が即位して間もない頃だった。
その女の鬼というのは、夜な夜な洛中に現れては、艶やかな装いで男を誘い、そして喰らうのだという。
洛中の治安を守る検非違使や、あやかしなどに対応する役である陰陽師などが、その女の鬼を追っていたが、未だに女の鬼の正体は掴めないでいた。
そんな噂が洛中で囁かれている時、二階堂の主である藤原鷹房は病に臥せり、大内裏には姿を見せない日が続いていた。
中納言が病に臥せったと聞き、時の帝は見舞いの品を送るなどさせたりもしたが、その使者の前に鷹房は顔を見せることもなく、礼の文のみを持たせて帰らせていた。
鷹房の病、その原因は自分でもわかっていた。愛する人をふたり同時に失った。かつて嵯峨山の巫と呼ばれた女性と、その娘のヒナコである。しかも、巫は鷹房が自らの手で斬ったのだ。鬼の罠にハマり誤って巫を斬ってしまったのだが、鷹房の手にはあの時の感覚が今でも残っていた。
そして、ヒナコである。ヒナコは鷹房が鬼に騙されて母を斬った日を境に、どこかへと姿を消してしまった。屋敷の中は空であり、ヒナコの身の回りの世話をしていた者たちも姿を消してしまったのだった。誰もいなくなった屋敷の中には、ヒナコが使っていた櫛がひとつだけ落ちており、それを拾った鷹房は大事にその櫛を持っていた。
洛中に出ると言われている女の鬼の噂は、鷹房も耳にしていた。そして、鷹房はその女の鬼というのがヒナコなのではないかと疑っていた。あの鬼は鷹房に斬られる際に呪いの言葉を口にした。そして、巫も最期にヒナコの身を案じる言葉を口にしたのだ。鬼の呪いは、鷹房へではなくヒナコへと向けられた。かつて、自分を退治した貴族の男と巫の娘であるヒナコを鬼は呪ったのだ。それが一番辛い呪いとなることをわかっていて、鬼はその呪いを掛けたのだ。
洛中の女の鬼は、自分の手でどうにかしなければならない。鷹房はやせ細った身体に鞭を打つようにして立ち上がると、腰に太刀を佩いて、夜の洛中へと出掛けるようになった。
鷹房が屋敷を出るのは、家人たちが寝静まった夜中のことだった。だれも、鷹房が屋敷を出たことには気づいてはいない。時刻は丑三つ時になろうかという頃だ。しんと静まり返った洛中を鷹房は、鬼の女を探して彷徨い歩いた。
歩き疲れた鷹房は橋の欄干に背を預けると、懐から龍笛を取り出して唇へと当てた。
まだヒナコが幼い頃はよく子守唄代わりに吹いてやったものだ。
そのことを思い出した鷹房は、眼を濡らしながら龍笛を吹いた。
橋の向こう側から誰かが歩いてくる気配があった。鷹房は龍笛を奏でるのをやめて、その影を見る。
影の額からは二本の角が生えているのが見えた。
顔を上げると、そこには着物を着た美しい女性が立っていた。
「父上でございますか」
そう尋ねられ、鷹房はハッとなった。顔をよく見ると、それは母親によく似た美しい顔立ちのヒナコだった。しかし、ヒナコの額からは二本の立派な角が生えており、口は大きく裂けていた。
「ヒナコなのか」
「はい。わたしはヒナコにございます」
鷹房は龍笛を懐に収めると、ヒナコへと近づいていった。
「美しくなったな、ヒナコ」
「父上は、少し痩せられましたか」
ふたりは涙を流しながら会話をした。
「この父のことを恨んでおるであろう」
「いえ……そんな……」
「良いのだ、父を恨め。お前がこうなってしまったのもすべて私のせいだ」
「……はり」
「ん?」
「やはり、お前のせいか、鷹房」
低く野太い声が聞こえた。その声はヒナコの口から発せられていたが、明らかにヒナコの声とは違っている。そう、忘れもしない、あの鬼の声だった。
「愚かなり、愚かなり、我の呪いを受け入れ、悲しみに明け暮れるとは、それでも我を斬った人間か。愚かぞ。ほら、どうだ。洛中を騒がす鬼が目の前におるのだ、斬ってみせよ、鷹房」
ヒナコはそう言うと大きな声で嗤って見せる。ヒナコが嗤うと口の端から、蒼い炎が吐き出される。蒼い炎、それは鬼火と呼ばれるものであった。
「父上、わたくしを斬ってください。そうすれば、わたくしは、この鬼から解放されます」
「そうじゃ、鷹房。娘を斬れ。お前は愛する妻と娘の二人を刃にかけるのだ」
ヒナコの口からふたつの声が聞こえてくる。
頭がおかしくなりそうだった。しかし、鷹房はぐっと拳を握り、それに耐えようとした。いま、鬼の挑発に乗ってしまえば、向こうの思う壺である。
「さあ、どうした。お前が斬らないのであれば、我は次なる獲物を探して、また喰らうぞ」
「父上、わたくしをお斬りください。もう、人間など喰らいたくないのです」
「ほら、どうした。さっさと斬れ。斬るのだ、鷹房」
鷹房は全身にびっしょりと汗をかいていた。
鬼の言葉と娘の言葉が交互に頭の中で反芻されていく。
頭がおかしくなりそうだ。
無意識のうちに、鷹房は腰に佩いていた太刀を抜いていた。
「そうだ。それでいい。さっさと斬れ」
「父上、わたくしをお斬りください」
鷹房は目を閉じた。
すると不思議なことが起きた。目の前に観音菩薩が立っていたのだ。金色に輝く観音菩薩は、優しい顔で鷹房に頷いてみせた。
風を斬る音が聞こえた。
「父上……ありがとうございます」
目を開けると、そこにはヒナコが倒れていた。
「ヒナコ、ヒナコ、しっかりしろ」
鷹房は太刀を捨てて倒れたヒナコを抱き起こす。
ヒナコは浅い呼吸をしながら、何かを話そうと口を開く。
「これで終わったと思うなよ、鷹房。我の呪いはこれだけは終わらぬ。お前の一族を永遠に呪い続けてやろう」
その声は鬼のものだった。
そして、ヒナコは鷹房の腕の中で息を引き取った。




