千年の呪いを継ぎし者(2)
平安期:呪いの始まり
雲ひとつ無い夜空に、金色の月が輝いていた。今宵は満月のようだ。
静かな夜だった。時おり、風に乗ってどこからか龍笛の音が聞こえてくる。
その音色はどこか悲しげであり、そして美しかった。
朱雀大路をしばらく下り、右京へと折れると大きな建物が見えてくる。二階建ての御堂を構えた大きな屋敷。そこは従三位権中納言である藤原鷹房の屋敷であった。藤原鷹房は、藤原南家の流れをくむ家系であり、二階建ての御堂が屋敷にあることから、人々からは二階堂鷹房と呼ばれていた。
悲しくも美しい音色。それは鷹房の龍笛が奏でるものであった。
しばらく鷹房が竜笛を奏でていると、部屋に人が入ってきた気配がした。御簾の向こう側に人影が現れたのを見て、鷹房は笛から唇をはずした。
「どうかしたのか」
鷹房は御簾の向こう側にいる人物へと声をかける。
御簾の向こう側の人物――二階堂の家に仕える家人――は、頭を低く下げてから声を発した。
「巫が話したき事があると訪ねてまいりました」
「このような夜分にか」
「急な用とのことで……」
「わかった。会おう」
鷹房はそう家人に伝えると、龍笛を片付けて客の待つ部屋へと向かった。
寝殿造りの屋敷は、中庭に小舟を浮かべられるほどの大きな池があり、その池には美しい月が映し出されている。
中庭に沿ってある長い廊下を渡り、客間へとやってきた鷹房は御簾越しに見える巫の姿を見て、はっと息を呑んだ。御簾越しであっても、彼女が美しい女性であるということがわかったのだ。
家人が御簾を上げ、潜るようにして鷹房は部屋の中へと入る。
「二階堂の当主、藤原鷹房です」
「夜分の訪問にもかかわらず、お目通しいただき感謝いたします。嵯峨山の巫にございます」
そう言って女は頭を下げた。
嵯峨山の巫。その名に、鷹房は聞き覚えがあった。霊験あらたかな巫女であり、那智山の天狗を封印したのも、この巫女のはずだ。
「嵯峨山の巫女が、私のような者のところにどのような御用でしょうか」
「これは二階堂の鷹房様にしか、ご相談できないことにございます」
「ほう、どのような」
「洛外の鬼の件についてと言えば、おわかりになられるかと」
その言葉に、鷹房は顔を強張らせた。
洛外の鬼。それは大内裏に流れる噂だった。人を喰らう鬼が丑三つ時になると洛外にある寺の井戸から這い出してきて、羅城門を越えて洛中へと入ってくるというものであった。その鬼に喰らわれた者は、病に臥せり、そして死んでしまうというものである。
「鬼についての噂は聞いておるが、私にはどうにも出来ぬ」
「いえ、貴方様とわたくしが力を合わせれば、出来ます」
巫が持ってきた話。それは、洛外の鬼を退治するというものであった。
「そのような仕事は検非違使に任せるか、武官たちに……」
「検非違使や武官では鬼をどうすることもできません」
「私にもどうすることはできない」
鷹房はきっぱりと言った。検非違使や武官がどうにもできないものを権中納言という身分の一貴族である自分がどうにかすることなどできるはずがなかった。
「二階堂の鷹房様は武芸に秀でているという話も聞いております」
「確かに私は剣術に関しては多少の腕に覚えはある。だが、鬼などは斬ったことがない」
「それに、不思議な力もお持ちだと……」
巫の口にした不思議な力。それは、鷹房の先祖が弘法大師より授かったとされている真言のことだった。真言を唱えることで邪を祓うことができるとされており、その力を鷹房の家系では代々引き継いできていた。屋敷の中の二階建ての御堂、それはその力を代々引き継ぐためのものでもあるのだった。
「真言は邪を祓うものだとされているが、鬼を退治したことはないぞ」
「いえ、貴方様なら、かならず斬れます」
巫はそう言うと、鷹房の目をじっと見つめた。
「お願いいたします。どうか、力を貸してください」
「うむ……」
頼まれると断れない。鷹房はそんな性格でもあった。
「して、いつその鬼とやらを退治するのだ」
「早ければ、今宵にでも」
「なんと……」
あまりにも強引な巫の言葉に鷹房は言葉を失いつつも、やるなら早い方が良いのかもしれないと思ったりもしていた。




