死を呼ぶ魔の踏切(9)
西の空はオレンジ色に染まりはじめていた。あと少しで帳も降りるだろう。
吸っていたタバコは短くなっていた。そろそろ時間か。桂川は紫煙を吐き出すと、その吸い殻を携帯灰皿の中で揉み消した。
駅へと向かう細い道を歩いていると、帰路を急ぐ人たちが桂川の脇を走り抜けていく。次の電車が駅へとやってくる時間のようだ。
ガタゴトという音とともに地面がかすかに揺れる。
少し離れたところにある踏切は警報機が鳴り出し、遮断器が降りていく。
どこにでもある風景。日常の風景。
指先がかすかに震えていることに気づいた桂川は、ポケットに手を入れてタバコのパッケージに触れる。まだ数本残っている。大丈夫だ、ここは異界ではない、現世だ。そう自分に言い聞かせる。
「おい、何やってんだよ。早く来いよ」
駅の方から歩いてきた二階堂がこちらに気づき、声を掛けてきた。二階堂の隣には背の小さい女性の姿が見えた。きっとヒナコだろう。しかし、西日のせいでその姿をはっきりと見ることはできなかった。
少しだけ歩速をあげる。すると、二階堂の隣りにいたヒナコがしゃがむようにしてニコニコと笑ってみせた。彼女には桂川の隣りにいる火威の姿が見えているのだ。
「調子はどうだ、桂川」
二階堂が聞いてくる。どういうつもりなのだろうか。そんな風に勘ぐってしまうが、二階堂はただ単純に挨拶代わりに聞いてきただけかもしれないと思い直し、桂川は口を開いた。
「まあまあだ。異界に長い時間いた反動が大きいな」
「そうか」
会話はそこで止まった。しかし、ぎこちないといった感じはなく、お互いに黙っていても、気にはならなかった。
しばらくは無言だった。無言のまま、道を歩いた。
駅が近くなると人の数も増え、大勢の人が駅の中へと吸い込まれていく。
踏切が鳴っている。
その音を近くで聞くと、心拍数が上がるのがわかった。大丈夫だ。ここは異界ではない。そう思いながらも、ついつい自分の足元へと目を落としてしまう。誰も、そこにはいない。大丈夫だ。桂川は自分に言い聞かせた。
「結局あの朧車は何だったんだ、桂川」
声が聞こえた。顔を上げると、二階堂がこちらを見ていた。
少し離れたところで、ヒナコはニコニコと笑みを浮かべながら火威の頭を撫でてみたり、首のあたりに抱きついてみたりとしており、火威の方もそれを嫌がっている素振りはなかった。
ため息を吐き出し、体の力を抜く。ここは現世だ、異界ではない。そう自分に言い聞かせて、桂川は口を開いた。
「あれは魑魅魍魎の類さ。最初はあの踏切で自殺した人間の恨みや辛みだった。それが共鳴を起こして、魑魅魍魎どもを吸い寄せた。その結果、朧車というとんでもないバケモノを誕生させてしまった。そんなところかな。おれも考えが甘かった。もっと簡単に終わる仕事だと思っていたんだ……」
「依頼人は、何者なんだ」
「……ああ、それか。同業者だよ。手が回らないから、手伝ってほしいと言ってきたんだ」
「知り合いなのか」
「いや、一度だけ一緒に仕事をした程度だ」
「名前は?」
踏み込みすぎだ、二階堂。そう思ったが、桂川はその人物の名前を答えた。
「鬼門晴明だ」
桂川がそう答えると、二階堂は急に黙り込んでしまった。
なぜ鬼門晴明の名前を正直に答えてしまったのか。もしかしたら、自分は呪に掛けられてしまっているのかもしれないと、桂川は思った。その呪を掛けたのは、鬼門晴明なのか、それとも目の前にいる二階堂なのか。
「どうかしたのか、二階堂」
「その名前、前にもどこかで聞いたことがある……」
「胡散臭い同業者だよ」
「陰陽師ってことか?」
「ああ。本人はそう言っていた」
「どんなやつなんだ?」
「会って話をしたはずなんだが……全然思い出せないんだ。もしかしたら、おれはヤツに呪を掛けられていたのかもしれない」
「そうか……」
二階堂はそう答えると何か難しいことを考えているような表情をしてみせた。
「もし、また鬼門晴明に会うことがあったら、俺に教えてくれないか」
「別に構わないが。どうかしたのか、二階堂」
「いや、一度会ってみたくてな」
やはり二階堂は難しい顔をしている。二階堂が何を考えているのか、桂川にはわからなかった。
「おれは、あの場所で誰かを待っていたんだ……」
不意に思い出したことを桂川は口にした。
「待っていた? 誰をだ」
「さあな……ただ、お前のことを見た時、なんだか救われたような気がしたんだ」
そう言って桂川は少し笑ってみせた。
「何を言っているんだ。俺は見ていただけだよ。朧車を退治したのはお前とハルヒさんじゃないか」
少し困惑したような口調で二階堂が言う。
桂川は、その言葉には何も返さず、ビルの向こう側に姿を消そうとしている夕日を見つめていた。
~死を呼ぶ魔の踏切~ 了




