アイドルを視る眼(3)
「あの日以来、誰かにずっと見られているような気がするんですよ」
本郷サヨリはそういって、ダージリンティーをひと口飲んだ。
霊的なモノが視えるか視えないか。それは個人差がある。例えるならラジオの周波数だ。正確に周波数を合わせることができる人は、はっきりとした放送を拾うことができるが、うまく周波数を合わせられない人には雑音しか聞こえない。それと同じで、あちらの世界と周波数を合わせることが出来てしまう人がたまにいるのだ。
おそらく本郷サヨリは、時おり周波数を合わせることができてしまう人間なのだろう。それが毎回ではないから、視えたり視えなかったりを繰り返しているように思える。
「マネージャーさんは、若い女性でしたか?」
「えっ……そうですけれど」
「ショートカットで細面の」
「……もしかして、いるんですか?」
あたりをキョロキョロと見回すサヨリの言葉に、二階堂は少しずれ落ちていたメガネを持ち上げてから首を横に振った。
「残念ながら、違うね」
「え?」
「俺にはアレが誰であるかはわからない。ただ、さっきから喫茶店の入口からじっとこっちを見てやがる」
その二階堂の言葉にサヨリは慌てて後ろを振り返った。しかし、サヨリには何も見えなかった。
「今もいるんですか」
「ああ、いるよ。視てみるかい」
二階堂はそう言って、自分の掛けていた黒縁メガネを外してテーブルの上に置いた。
恐る恐るサヨリはそのメガネを手に取り掛けてみる。
「え?」
サヨリは驚きの声を上げた。自分の目の前に、前髪ぱっつんで黒髪の花柄のワンピースを着た見知らぬ少女が座っているのが視えたからだ。
「こんにちは、紅鮭ちゃん」
ヒナコはニコニコと笑いながらサヨリに挨拶をする。
不思議なもので二階堂のメガネをかけることで周波数が合うようになるのか、その姿だけではなく声なども聞こえるようになるのだ。
「え?」
まだこの現実が受け入れられないサヨリはメガネを着けたり外したりを繰り返す。
「大丈夫。彼女はヒナコ。俺の助手だから」
「え? でも……」
「普通の人には見えない。ただ、それだけだ。そんなことよりも、入口のところを見てくれないか」
「ごめんなさい。そうでした」
サヨリは後ろを振り向き、喫茶店の入口を見る。
「ひっ!」
短く悲鳴をあげたサヨリは慌ててメガネをはずして、顔を伏せた。
「大丈夫、紅鮭ちゃん」
ヒナコがサヨリの背中をさすってあげる。いつだってヒナコは優しいのだ。
「わかったか。あれがあんたをずっと見てるヤツだよ。おそらく、生霊だろう。残念ながらマネージャーではないようだな」
「あれは……あれは……」
突然怯えだしたサヨリはガタガタと体を震わせて泣きはじめた。
そんなサヨリにヒナコは「大丈夫、大丈夫だよ、先生がついているから」と優しい言葉をかけた。
「この店には結界が張られているから、アイツは入ってこれないよ。ただ、この様子を見ると、あんたにはアイツが誰だかわかっているみたいだな」
「はい……。あれは……」
震えながら話し出したサヨリによれば、あの生霊は元メンバーだった人間の目元にそっくりだという。
その元メンバーというのは、半年前に精神を病んでしまいサーモンピンクから脱退したそうだ。
巨大な目玉は、かなり強い意志と悪意を持っているように思えた。
恨み、辛み、妬み、羨望、様々な感情が交じり合った時に、何かのきっかけで生霊を生み出してしまったのかもしれない。もしくは、誰かがそそのかして、生霊を誕生させたという可能性も考えられる。
ここで祓ってしまってもいいのだが、生霊は祓われるとその生霊を飛ばした人間にまでダメージが及ぶ可能性が高い。もし、無意識のうちに生霊を飛ばしていたりすると、そのダメージで最悪、死に至る場合もあったりする。人を呪わば穴二つというやつだ。
「さて、どうしたものかな」
そう呟くと、二階堂はサヨリがはずしたメガネをかけ直した。
メガネは度が入っていない伊達メガネだった。視えない人からすれば不思議なメガネではあるが、二階堂にとってはこのメガネはただの伊達メガネに過ぎない。二階堂はメガネをかけていなくても視えるのだ。
外にいる巨大な目玉は、相変わらずこちらをギョロギョロと見ている。サヨリが自分に気づいたことが嬉しかったようで、先ほどよりも生霊がまとっている瘴気の力が強まっていた。
「これを使うといい」
喫茶店のマスターがやってきて、コップに入った水を差し出した。
その水は喫茶店の裏手にある井戸から汲み上げたもので、神棚に供えていた水だった。生霊のような邪を祓うには、このくらいがちょうどいいのだ。
「ありがとうございます」
二階堂はマスターに礼を告げると、そのコップを手に取った。
清らかな水は、邪を洗い流してくれる。しかも、この水は神棚に祀られている氏神様の力を分けてもらったものである。
席を立ち上がった二階堂は、コップを手にして喫茶店の扉を開けた。目の前にはあの生霊がこちらをじっと見ている。
「俺にはお前の姿が見えている。悪いことは言わん。去れ」
「おごぶふぁおうえまおうがおうびうえ」
生霊は言葉にならない言葉を口にする。
「話にならないのであれば、祓うだけだぞ」
二階堂がそう生霊に言うと、生霊が形を変えて目玉だけでなく顔の形を作り出し、巨大で不気味な女の形となった。
「オマエハナンナンダ」
「ただの探偵さ」
「ナゼジャマヲスルノダ」
「彼女が俺の依頼人になったからだよ。あんたが俺の依頼人になれば、あんたのことも救ってやれなくはない」
「バカニスルナッ!」
巨大な女の顔の生霊は大声で叫ぶとその瘴気を強くした。
「交渉決裂だな」
二階堂はそう言って、コップの中に入っていた水をその生霊の顔に向かって浴びせ掛けた。
「ナニヲスル!」
「お前を祓ってやるのさ。知らないようだから、教えておいてやる。生霊っていうのは、祓われると自分のところに跳ね返ってくるもんなんだ。どこの誰に入れ知恵されたのかは知らないけれど、手遅れにならないうちにやめるんだな」
清められた水のせいで、苦しみながらその姿を消そうとしている生霊に対して二階堂はいう。
「もう一度だけ言う。俺の依頼人になれよ。あんたを救ってやれる」
それだけ言うと、二階堂は消えていく生霊に背を向けて店内へと戻った。
二階堂の一連の行動は何も見えていない人からすると、喫茶店から出た二階堂がコップの水を道路に撒いただけにしか見えなかっただろう。
「消えたのですか?」
恐る恐るといった様子でサヨリが二階堂に尋ねる。
見ての通りだよ。そう言いかけて、サヨリには見えないのだと思い直し、二階堂は無言で頷いた。
「あの人、可哀想な人だった」
ヒナコが二階堂をじっと見て言う。
「大丈夫だ。じきに連絡が来るさ」
二階堂はヒナコにそう言うと笑ってみせた。
そんな二階堂の様子をサヨリは不思議そうな顔をして見ている。
「そういえば、さっきマネージャーの容姿がなんでわかったんですか」
「ああ、そのことか。あなたから連絡があった時に、俺のところに来たんだよ。あなたのことをよろしくと」
「え……」
二階堂の言葉にサヨリの目から大粒の涙が零れ落ちる。
そんなサヨリの隣には、彼女のマネージャーが優しい笑みを浮かべて立っていた。
その数日後、二階堂の電話が鳴った。
それは例の生霊を飛ばしてきた女だった。連絡先はサヨリから聞いたらしい。
「わかった。じゃあ、喫茶店で待ち合わせよう」
二階堂はそう言って電話を切った。
そんな二階堂の姿をヒナコは嬉しそうな顔で見ている。
「なんだよ?」
「先生、またお仕事?」
「そうだ」
「アルバイトじゃないよね?」
「ああ、そうだ。一緒に行くか、ヒナコ」
「うん」
二階堂とヒナコは出掛ける支度をして、きょうも喫茶店へと向かうのだった。
アイドルを視る眼 ~了~