アイドルを視る眼(1)
二階堂は探偵だ。
どこかの探偵事務所の調査員とかではなく、フリーランスでやっている私立探偵だった。
フリーランスなので仕事の依頼はほとんど来ることが無く、収入のほとんどは週五でやっているアルバイトでまかなっている。
それならば別に探偵稼業などせず、フリーターとして生活をしていけばいいのではないかという風にも思えるのだが、そこは二階堂の探偵としてのプライドというものが邪魔をしていた。あくまで二階堂は探偵なのだ。
そんな仕事がほとんど来ない探偵にもかかわらず、二階堂は仕事を選り好みする。自分のスキルに見合った依頼でなければ難しいということもあるのだが、二階堂はかなり特殊な仕事しか引き受けない探偵だった。
洗面所の鏡の前でメガネをかけて身支度を整えていると、少女が顔を覗かせて声を掛けてきた。
まるで日本人形みたいに前髪を一直線に切りそろえた黒髪で、小柄な少女。彼女は二階堂の助手であるヒナコだった。
「ねえ、先生。きょうもアルバイトなの?」
「きょうはバイトじゃないんだ。仕事だよ、ヒナコ」
「えっ、本当。じゃあ、わたしも一緒に行く」
キラキラと目を輝かせてヒナコが言う。そう、彼女は二階堂の探偵としての助手なのだ。久しぶりに助手の仕事ができることを心の底から喜んでいた。
二階堂たちが向かったのは、駅から少し離れた場所にある個人経営の喫茶店だった。やってくる客のほとんどが常連であり、マスターとお喋りがしたくてやってくる老人や、文庫本を読みながら長時間滞在する若者などがいるが、基本的には静かな空間だった。
「いらっしゃいませ」
店に入ると長髪の白髪頭のマスターが声を掛けてくる。マスタは―白シャツに薄茶色のベスト、ループタイ、ジーンズといったウエスタン・スタイルであり、それがまたよく似合っている。
いつもと同じ奥の席に腰をおろして、二階堂はブレンドコーヒーを注文する。優柔不断なヒナコはすぐに注文することができず、メニューと睨めっこを続けていた。
二階堂とヒナコは横並びに座り、依頼人が来るのを待った。依頼人が来るのは二〇分後のことだった。ひさしぶりの探偵仕事の客は、以前仕事を請け負った客からの紹介であった。基本的に二階堂のような宣伝をしたりしていないフリーランスの探偵のところにやってくる客は、誰かの紹介だった。こういった時、人と人との繋がりに感謝をするとともに、人というのは厄災を運んでくるものなのだと実感する。
しばらくすると、背の高い細身の女性が店内に入ってきた。
「すいません、ニカイドウさんと待ち合わせなんですが」
女性がそうマスターに告げると、マスターは二階堂の座る奥の席を指差して教えた。
サングラスにマスク、そして頭には帽子といった姿の彼女は二階堂の席まで来ると頭を下げてから声を掛けて来た。
「ニカイドウさんですか? 私、タナカと申します」
「どうも、二階堂です」
そう挨拶を交わすと、タナカと名乗った女性は席に腰をおろした。
「あの、電話をした件なのですが……」
「まあ落ち着いてください、タナカさん。まずは喫茶店に来たのだから、まずは飲み物を注文しましょう。ここの代金はこちらで持ちますので」
二階堂はタナカと名乗った女性を落ち着かせるために笑顔でいうと、その顔をじっと見た。
色の濃く大きめのサングラスとマスクで顔は完全にわからないようになっているが、その筋の通った鼻や小さめの顔などには見覚えがあった。
「アイドルグループ・サーモンピンクの紅鮭ちゃんだよね」
二階堂の隣でヒナコがはしゃいだ声をあげる。
彼女はヒナコの言う通りサーモンピンクというアイドルグループの一員だった。彼女の名乗ったタナカというのはわかりやすい偽名であり、紅鮭ソッカイという芸名で彼女は活動している。
「失礼しました」
彼女はそういって、帽子とサングラス、マスクを外して、ダージリンティーを注文した。
二階堂の前に座る彼女は、やはり紅鮭ソッカイだった。大きな瞳とぽってりとしたその唇は、どことなく人に親しみを覚えさせる顔立ちだ。
「紅鮭ちゃん、かわいい」
ヒナコがジロジロと彼女の顔を見ながらいうが、二階堂はヒナコの発言を無視した。
紅鮭はその大きな瞳をキョロキョロとさせてから、二階堂の方へと顔を寄せると声を潜めていった。
「すいません、さっきのタナカというのは偽名です。本名は本郷っていいます。本郷サヨリです。すいません、紛らわしくて」
「いえ、大丈夫です。では何とお呼びすればいいですかね」
「本郷、と」
「わかりました」
二階堂はそういって、ちらりとヒナコの方へと目をやった。
ヒナコは無遠慮に本郷の顔をじっと見つめている。
「それで、今回のお話は?」
「あれは数日前のことです……」
本郷サヨリはポツポツと自分の身に起きていることを語りはじめた。