第49話 ハラグロには分からない
ハラグロが俺に見せてきた光景は、まさに人間の嫌な部分だけを厳選したかのような内容だった。
それはきっと素直で純粋な人ほど耐えられないものだろう。だから桜野さんに耐えられるはずがない。そう、それでいい。できることなら悪意とは無縁であるほうがいい。
決してそれに耐えられない桜野さんが悪いなんてことはないんだ。
桜野さんの性格に加えて、きっと周りの環境も素晴らしいものだったのだろう。
家族や友人をはじめとした人々、育ってきた環境、学校での生活。そして何より他の魔法少女もみんな優しい子ばかりだ。
俺は小馬鹿にされてきた経験があったからこそ、今を耐えることができている。
もちろん当時はツラかったけど、それが今こうして思わぬ形で立派に役立っていると思うと、なんだか報われた気がして涙がこぼれそうだった。
「一条 早真君、どうだい? 君はこれを見て何を思ったのかな?」
「正直言って気分は最悪だ」
「それだけかい?」
「それだけってお前なぁ……」
「おかしいな、僕の予想ではこれを見た人間は取り乱すはずなんだけどね。やっぱり感情というものは理解できないよ」
「お前には一生分からないと思うぞ。それにな、負の感情とされるものでもメリットがあると思うんだ」
もちろん俺は偉そうに語れるほど立派な人間じゃない。だけど今この場においては許してほしい。
「例えば他人に嫉妬することがあったとして『悔しい、自分も頑張ろう』と、それを原動力にする人もいる。そう考えると、必ずしも悪いものとは言い切れない。残念ながら悪い方向に考える人もいるだろう。それもまた人間なんだと思う。個人の考え方までは誰にもコントロールできないからな。感情とはそれほど複雑なものなんだ」
「よく分からないよ。嫉妬だっけ? 他人の能力と比較したところで何になるというんだい? その他人になれるわけでもないのに」
「ハラグロ、お前は嬉しいや楽しいと思ったことはないか? 例えば自分の思い通りに事が運んだ場合とか。逆に思い通りにならなくて悔しいとか」
「どちらにしてもそれはただの結果だね。いつまでもそれにとらわれるのは非効率だ。僕ならさっさと次のことを考えるよ」
「そうか。あとこれは念のために聞くが、人には思いやりや愛情などの温かい感情もある。お前は他の誰かのために行動したことがあるか?」
「それなら女の子を魔法少女にしたことかな。僕と契約したおかげで彼女達は願いを叶えることができたんだ。それって君の言う『思いやり』ってことになるよね」
「違う。お前自身で契約って言ってるじゃないか。対価を求めてる時点で駄目だろ」
「それはそうだよ。他人のために無償で行動なんてしないよ。僕にとって契約は絶対なんだ。だから魔法少女達は怪異と戦う義務がある」
「まあ予想通りの答えが返ってきたよ。やっぱりお前に感情の理解は無理だな」
「君がそこまで言うのなら、僕だって感情というものを体験してみたいものだね」
間違ってもハラグロに優しくしようだなんて、思うわけないだろ。
「それよりも、そろそろここから出たいんだが」
俺がそう言うと真っ暗な中、ぼんやりと光が差し込んでいる様子が視界に入った。
まるで深い暗闇の中に希望の光が見えたかのように。
「——くん」
「——イトくん!」
それと同時に聞き覚えのある、とても優しい声が聞こえる。それも一人だけじゃない、何人かの声が。
「ナイトくん! 大丈夫?」
それが魔法少女達の声だとすぐに分かった。
「へえ、そんな姿の君でも彼女達は君に声をかけるんだね」
「彼女達は俺を心配してくれているんだ。と言ってもお前には分からないか」
「そうだね。でもまあそれなら君はここから出られるよ」
ハラグロがそう言うと、視界が真っ白になった。そして気が付けばもとに居た海水浴場に帰ってきていた。
「ナイトくん! 大丈夫?」
桜野さんが心配そうな声を出して、片ひざを立ててしゃがんでいる俺の肩にそっと手を触れている。
「俺はどのくらいこうしていたんだ?」
「えっと、数えてはないけど十秒くらいかな?」
「そうか。心配かけたな」
「桜野ちゃんだけじゃないよ、蒼月ちゃんや若葉、それに私だって心配したんだから。もう! 私にここに残ってろなんて言ってる場合じゃなかったじゃん!」
「それはだな、消耗してるお前が心配だったからであってだな」
俺がそう言うと陽山さんは、「分かってるってー、ありがとね!」と言ってニカッと笑う。
「とにかく無事でよかったわ」
「私達が無事なのもナイトさんのおかげだと思います。だから、その、ありがとうございました」
俺のためにみんなが声をかけてくれる。そうだよ、感情とはこんなにも温かいものなんだ。
桜野さんと俺の闇堕ちは回避できたけど、これは最低限の目標であって、通過点にすぎない。
次にハラグロと会う時は、全ての決着がつく時だ。だからたまには俺からハラグロを呼び出してみようと思う。