終わりと始まり
しっかりとしたファンタジーものではありませんが、箸休め程度のお気持ちで見ていただけたらと思います。
以前書いたものを加筆修正しております。
「それでは、この学校を離任される先生方から一言いただきます。」
司会をしている教頭先生の声を聞き、俺はハッと我に返った。
年度末。学校の最後の行事、離任式。
壇上にある机の上には、卒業式で使いまわされた花が寂しそうに飾られている。
そうだ、俺は今教師として最後の舞台に立っているんだ。
「えー。まずは、国家文学科の田中 唯先生からお願いいたします。」
何か虚しい感情になっている俺に、スピーカーから乾いた音声が響いてくる。
これまでの教員生活14年は、なんだったのだろうか。
この高校に赴任されてから4年間だったが、常に生徒たちの事を思い、真剣に取り組んできたつもりだ。
だが、周囲の教師からは疎まれ、生徒からは厄介者扱いを受け、俺は自信を喪失した。
このままだと、俺自身が潰れてしまう。
そう感じて退職を決意し、今この場にいる。
教頭や校長に相談した時も、特に引き留める様子もなく、あっさりと退職を認められた。
淡々と書類を記入し、ねぎらいの言葉も無かった。
「私は! この学校で皆さんと一緒に過ごせた時間を、忘れません!」
国家文学の田中先生が、涙ながらに熱弁している。
それに共感したのか、生徒達の何人かはハンカチを出して顔を覆っている。
毎年必ず見られるこの光景。
その場の感情に振り回される人間の茶番でしかない。
「田中先生、ありがとうございました。それでは次に、市民工学科の橋田 智宏先生お願いします。」
俺の名前が呼ばれ、マイクの前に立つ。
壇上に立ち、周囲を見渡す。
腕を組みながら談笑している同僚、座りながら友人と笑いあっている生徒。
一刻も早く終わってほしそうな雰囲気が、壇上からだとよくわかる。
この人達に語る最後の言葉はあるのだろうか。
頭を巡らせたが、何も見つからなかった。
唯一、かける言葉があるとすれば、これしかないだろう。
「4年間。ありがとうございました。さようなら。」
頭を下げ、すぐに自分の席に戻った。
乾いた拍手だけ、耳に響く。
「……橋田先生。ありがとうございました。それでは次に、橋田先生と同じ市民工学科の斎藤 肇先生。お願いします。」
淡々と話を進める教頭先生。
冷たい刃が俺の心を切りつけているようだった。
いいんだ。もう、これでいい。
そうか、終わるのか……。
◇◆◇
離任式が終わり、職員室に戻った俺は、淡々と自分の机を片付けていた。
「いやぁ、やっぱり離任式は感動しちゃいますよね! 生徒たちのあの表情といったら……。寂しくて、悲しくて……。やっぱり俺はこの学校が大好きだ! 離れたくない!」
同じ科で同時期に離任する斎藤先生が、大きな声で周囲の先生方にアピールしている。
とはいっても、斎藤先生は他の学校へ赴任するだけで、退職する俺とは状況が違う。
戻ってこれるチャンスはいくらでもある。
だからこうしてアピールしているのだろう。
「そういえば、斎藤先生。次の赴任先は国内でも有数の進学校らしいじゃないですか! このまま出世街道ですね!」
国家文学科の田中先生が斎藤先生に話しかける。
「そういう田中先生も、国家文学科の中でもとても権威のある場所へ異動されると聞きましたよ! こりゃ将来は管理職ですね!」
二人はケラケラと笑い出した。
目が笑っていない笑い顔。
見ているだけで気持ち悪い。
教員とは厄介なもので、上っ面の表現しかしないものだ。
心からの会話、本当の意味での「リアル」が存在しない。
だからこそ、俺のような存在は疎まれるのだろうな。
「そういえば、橋田先生はご退職されるんですよね? この後は何をするんですか?」
斎藤先生が急に俺に話を振ってくる。
「え……。私はまだ、……何も決まっていません……。」
「おや? この時代に何も決まっていないんですか!? それはそれは……。37歳を過ぎて無職ですか……。もっと計画的な方だと思っていたのですが。それでは生徒に合わせる顔がありませんね……。ククッ……。おっと……これは失礼……。」
俺は反論する気力も無く、黙って聞き入れるしかなかった。
負け犬。恥さらし。好きなだけ言えばいい。
さっさと片付けを終わらせて帰ろう。
―――コンコンッ
職員室の扉をノックする音が聞こえる。
そういえば、例年のパターンだと、生徒が離任する先生に挨拶をしに来るんだっけな。
「失礼します。市民工学科卒業生の蔵前 美樹香です。斎藤先生はいらっしゃいますか?」
今年卒業したての市民工学科の生徒達が男女合わせて20人ほど職員室に来た。
中でも蔵前は教師の中でも評判がよく、明るくて頭脳明晰、容姿端麗で生徒会長も務めていた校内でも有名な生徒だ。
今年の4月からは、国立大学への進学が決まっている。
将来有望な生徒。
ついこの間卒業したばかりなので、学校にも来やすかったのだろう。
だが俺は、この子の裏側を知っている。
その容姿と言葉巧みに教師をたぶらかし、自分の意のままに操る、魔性の女。
その片鱗はいくつも見せてきた。
「斎藤先生! この学校を離れちゃうなんて寂しいです!」
「おぉ! 蔵前じゃないか! それに我が市民工学科の卒業生たちよ! 俺もキミ達と一緒に卒業だよ! 寂しくなるなぁ……。」
「私、斎藤先生がいないとこの学校に遊びに来れません! だから……先生の連絡先、教えてください! 卒業したからいいですよね!?」
他の卒業生も自分もと言わんばかりに斎藤先生に押しかけてくる。
「いやいや……困ったなぁ……。よし、わかった! 連絡先教えるから、今度皆で飯でも行くか!」
卒業生たちは喝采を上げながら次々に斎藤先生と連絡先の交換を始める。
そして斎藤先生に花束と色紙をプレゼントして、その場を去っていった。
どうやら、俺の事は蚊帳の外らしい。
結局、卒業生は誰も俺に話しかけることはしなかった。
まぁいい。茶番になんか付き合ってられない。
最後の荷物を段ボールに詰め、この学校ですることは終わった。
「いやぁ……。モテる先生ってのも大変ですねぇ、斎藤先生。」
「何を言うんですか田中先生! これこそ、お世話になった人へ感謝を返すという、普段の先生方の教育の賜物たまものってやつですよ!」
そう言うと、また二人は乾いた笑いをする。
「そういえば、市民工学科のあれ……誰でしたっけ? ほら、誰とも話そうとしないで、いつも孤立していた子。黒髪の……見た目は綺麗なんだけどとても愛想の悪い生徒。」
「あぁ……神宮寺 理央ですか?」
「そう! 理央さん! さすがにあの子はいませんでしたね。」
「いいんですよ、あんな愛想の悪い生徒。見た目はいくら綺麗でも、目上の人にああいう態度を取るような生徒は人生上手くいかないもんですよ! 正直、会わなくて済むと思うとせいせいするってもんですよ! それより、蔵前のような生徒の方が、人生を華やかに送ることができるもんです! さて、あいつらをどこに連れて行ってやろうかな……。」
「あらあら……。まだ卒業したばっかりなんですからね? あまり刺激が強いところへ連れ出しちゃだめですよ?」
こういうことを他の職員の前で平気で言える教師は、心底嫌いだった。
それにしても、理央……か……。
確かに、他の人から見たら愛想が悪いと思われても仕方がない。
だけど、あの子にはそうしなければならない理由があったはずなんだ。
担任でもなければ直接授業を担当したことが無いから、あの子の事は詳しくわからないけど、なぜかそんな気がする。
そう思ったのは、ある出来事があったからだ。
◇◆◇
その日は夕方から雨が降っていた。
俺は仕事が終わり、折り畳み傘をさしながら歩いて帰っている途中で、薄暗い電灯の下で高校の制服を着ている人影が見えた。
しかも、傘もささずにうずくまっていてその場を動かない。
天気予報では快晴と言っていたので、傘を用意していないのは当たり前だろう。
妙な胸騒ぎがして駆け寄ると、見たことのある生徒だった。
「あれ? 市民工学科の……確か……理央か?」
「あっ……。さ……智宏先生……。」
俺を下の名前で憶えてくれていることに驚いたが、理央の様子の方が心配だった。
ずぶ濡れ状態の理央の頭上に、持っていた傘をさしながら声をかける。
「こんなところでうずくまって、どうした? 体調でも悪いのか?」
「いえ……私は、大丈夫です……。でも、この子が……。」
理央の目線の先には子犬がいた。
ぶるぶる震えるその子犬を、理央はずっと抱いていたのだ。
「大丈夫……。大丈夫だからね……。」
そう言いながら、理央はその子犬の事を抱きしめている。
その子犬をよく見ると、首輪をしていることに気が付いた。
「……。まさかずっとここにいたのか?」
「……はい。この子、首輪をしていますよね。だから、飼い主の方が、もしかしたら探しに来られるんじゃないかと思って……。」
正直、驚いた。
誰とも関わらず、愛想が悪いと言われている生徒が、子犬のためにここまでするのだろうか。
秋雨の中、ずっとこの子犬を抱きしめていたのだ。
俺はこれまで校内で噂されていることを鵜吞みにしかけた自分が恥ずかしくなった。
「まずはこの子を病院に連れて行こう。」
「えっ? でも飼い主の方が来られるかも……。」
「大丈夫。近所の動物病院だったらその子が通院している可能性が高い。それに、もし飼われている子だったら、病院で連絡してくれるはずだよ。」
「もし、飼い主の方がいなかった場合はどうするんですか?」
「その時は……俺が面倒みるさ。」
そう言うと、理央は見たことのない笑顔を見せてくれた。
その後、子犬を動物病院へ連れて行き事情を説明すると、飼い主がすぐにわかって、飼い主が迎えに来るまで病院で預かってもらえることになった。
一安心したが、外はまだ雨が降っており、一向に止む気配が無かった。
「理央。傘持ってないのか?」
「……。はい……。でも、大丈夫です。家、近いので。」
「ほら、これ貸すよ。」
俺は持っていた傘を差しだす。
「え……でもこれじゃ先生が……。」
「俺はいいんだって。それより、これから受験本番だろ? 体調に気を付けるのは理央の方だよ。」
そう言って、俺は傘を渡した。
「じゃあ。気をつけて帰るんだぞ。」
雨が強くなりそうだったので、俺は動物病院から走って帰ろうと思った。
雨音が強くなり、雨の音だけしか聞こえなくなる。
その時、かすかに理央の声が聞こえた気がした。
「……私は……。」
おそらく気のせいだろうと思い、俺は家路を急いだ。
◇◆◇
ふと我に返り、片付けた机の上と中身を再度チェックする。
忘れているものは、何もないな。
これで俺は明日から無職か……。
しばらくは退職金で生活できるが、何をすればいいのだろうか……。
だが今後の事を考える前に、まずはこの段ボールを玄関まで運ぶ必要がある。
離任者に対して学校に残る教職員が賑やかに話をしているのを尻目に、俺は段ボールを抱えて職員室の外に出た。
見慣れた廊下。校舎の匂い。
どれも心に虚しさを残すものばかりだ。
玄関まで段ボールを運び終え、もう何もすることが無くなった。
センチメンタルな気分に浸るわけではないが、ふと市民工学科3年生の教室に行こうと思い、歩みを進めた。
教室に着いた時、当然ながら、誰もいなかった。
教壇に立ち、これまでの思い出を振り返ろうとする。
だが、何も良い思い出が見当たらなかった。
目の前には、灰色の世界しか見えない。
その時だった。
「智宏先生。」
教室の扉の外に、誰かいた。
聞いたことがあるような声。
しかも俺に声をかける生徒なんていたか?
教室の扉がゆっくりと開く。
「理央……。」
そこに立っていたのは、理央だった。
「ど……。どうしてここに? 斎藤先生なら職員室だぞ?」
「……。私が会いたかったのは……智宏先生です。」
突然の発言に驚いた。
「それに……これ……。遅くなってしまい、すみません。」
理央が手に持っていたのは、以前貸した折り畳み傘だった。
「なんだ。わざわざ届けに来てくれたんだ。ありがとう。」
あれ以来、貸したことを忘れられていると思っていたので、妙に嬉しい気持ちになった。
「あの、智宏先生……。」
「ん? どうした?」
理央は足早に近寄って来る。
うつむいていた顔を上げ、まっすぐに俺を見つめてきた。
「私。先生の事が……好きです。」
突然の告白に、身体が硬直してしまった。
だが、灰色に見えていた教室の中で、理央だけが色付いて見えていた。
見ていただいた皆様に心から感謝申し上げます。
良かったら評価していただけたら幸いです。
よろしくお願いいたします。
この物語は全体で15話程度です。
本日は4話連続で投稿します。
1時間ごとに更新しますので、ぜひご覧ください。