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9.脱出

 第九話


 ごみ屑入れの樽桶から飛び降りた翔は、門を守って立っている警備の武官二人に用心しながら裏手に回った。

 高い塀に囲まれた邸の裏門近くにある、小さな穴を探すつもりなのだ。

 高級官僚たちは愛玩動物として猫を所有していることが多い。だから猫の通り道を作ってある邸もままあることを知っていた。

 そこは葉が沢山付いた木の枝などで覆って隠されている。ただ、そこを翔が通り抜けられるかどうかが問題なのだが。


 あった、猫の通り道を見つけた!


 幸いなことに木の枝で蓋をされたそこは、細身の翔が体をにじり捻りしながら何とか通り抜けられるほどの幅があった。


 翔はそうして邸の中に侵入した。劉宰相と白焔は登城していて留守だと判っている。

 それから人目を避けながら室内に忍び込んだ。

 広い邸は人目を避けられる利点と、探すものを見つけにくいという難点がある。


 一方、太皇太后の宮では月一回、息子である先の皇帝の陵墓に祈りを捧げに出かける行幸(みゆき)の日だった。馬車が用意され、星羅が手を取って太皇太后を乗せた。


「太皇太后様、先の皇帝陛下が母君のおいでをお待ちですよ。参りましょう」


 虚ろな目をした太皇太后は何の表情もないまま、馬車に乗せられた。


 その頃、劉府に忍び込んだ翔はどうしていたか。

 翔は使用人が使いそうもない奥の部屋を一つずつ調べていた。

 これだけ探しても紫羽の居場所は見つからず、連れ去られた先は本当にここなのだろうか、自分の勘に過ぎないことに不安が募り、気持ちは焦るばかりだった。

 次の部屋、と確認にやって来た部屋の前に猫がいた。ふさふさとした長い毛並みの猫で、西域からの貿易品だろう。

 猫は前足で扉をかりかりと引っ搔いていた。

 どうしてこの部屋に入りたがるのかと、翔はそっと近づいて扉を開けた。まず猫が飛び込み、翔も忍び込む。

 壁一面に置かれた書棚と書き物用の卓がある書斎のようだ。

 ここにも紫羽の姿はなかった。


「ここでもないか。くそっ」


 翔は無人の部屋から出て行こうとする。が、猫を閉じ込めたままでいいものかと振り向いた。

 猫は卓上の龍の置物にじゃれついて遊んでいる。


(あれで遊びたかったのか)


 と、思ったその時、書棚が真ん中から左右に分かれて動いていく。

 開いた書棚のそこには、人が通れるほどの入口があった。


「あ!」


 翔は猫がじゃれていた卓上の置物を確かめた。動かしてみると、書棚が左右に動く仕掛けになっている。

 その置物が、秘密の入口を隠す為の動力であることを知った。

 じゃれついて遊んでいた猫が仕掛けを動かしたことは幸運としか言いようがない。


「お前に煮干しでも贈りたい気分なんだが、ごめんな」


 その入り口を覗くと地下に降りていく階段がある。

 迷わず翔はその階段を下りていく。


 一方、紫羽は牢の中で体の中が焼け付くような痛みと痙攣に、呻き声をあげてのたうち回っていた。


「お前は死なぬ。毒は食ろうてやる」


 孔雀の声が聞こえた。


「孔雀は毒に強いかも知れないけれど、人の身の臓腑が毒に耐えられるはずがないじゃない」


 息も絶え絶えに紫羽は抗議した。


「忌々しいったらないわ」


 意識が朦朧とする中、紫羽は悪態をつき続けた。


「こんな苦しい思いをするなら死んだ方がましだわ。なーにが仏の使いよ!」


 紫羽は失神と覚醒を繰り返した。


「紫羽、紫羽!」


 どこか遠くから翔の声が聞こえたような……。


「やっぱり死ぬんだわ、私」


 翔は牢の鍵を壊そうと短剣で叩きながら、苦しんでいる紫羽を呼び続けた。


「すぐ助けるからな、頑張れ!」


(やっぱり翔の声がする。翔、翔……)


 鍵を壊して飛び込んで来た翔は倒れている紫羽を抱き起した。


「何があった、何をされた!」


 紫羽の顔は蒼白で朦朧としていたが、翔だと判って薄く目を開けた。


「来てくれたんだ、翔」


「おう、何があっても紫羽を守るって約束したろ?」


 その時、不思議なことが起こった。

 翔の懐から紫の羽がふわりと出て来て、まるで意志があるかのように紫羽の体を撫でるように一周した。

 と、次第に紫羽の荒かった呼吸は静かになって、呼吸が楽になると同時に体内の痛みも痙攣も引いていった。


「ああ、息が出来る」


「大丈夫か? この紫色の羽が上から落ちてきたんだよ。それを俺が掴んでさ、あれ?」


 紫の羽は消えていた。


「羽のことは何となく判る。翔、ありがとう。どうやって私を見つけてくれたの?」


 言いながら紫羽は気付いた。


「翔、あなた、臭いんだけど、どうして?」


「そうか?」


 自分の腕を嗅いでみる。


「臭いのは仕方ないよ。そういう所に潜んで来たんだから」


 紫羽は翔の宦官帽にくっついている青菜の切れ端を摘まんで取ってやった。


「何で青菜の切れっ端なんか付けているのよ」


 翔も気付いて紫羽の頭に付いている菜の端切れと、肩にくっついているネギの根っこをつまんだ。


「臭いのは紫羽だって同じだろ、ほれ」


 紫羽はすぐに悟った。


「ああ、そういうことね、翔と私は同じやり方でここへ来たってことね」


 大胆にも二人は笑った。二人とも笑えるくらい安心したのだ。


「とにかく逃げよう」


「そうね。さっさと逃げださなくちゃ」


「いやだ、驚いた。何で二人がこんな所にいるのよ」


 牢の鉄格子の前に星羅が立っていて、素っ頓狂な声を上げた。

 紫羽と翔も驚く。


「驚いたのはこっちよ。何で星羅がここにいるの?」


「知らない邸の中で迷子になっちゃったのよ。司音ったらもしかして攫われてたの?」


「ガツンと殴られて、気付いたらここにいた」


「急にいなくなって心配してたんだから。会えてよかった!」


「でも君は、どうやってここへ来たんだ?」


 と、翔が信じられないという顔で聞いた。


「迷ってうろうろした挙句、開けた部屋に入ってみたら何と穴が開いていたのよ。驚いちゃって。でもちょっと面白そうだったし、何があるのかなぁと思って入って来たの」


「君って変、いや、変わっているというか、大胆というか。女の子なら普通、怖がるよね」


 胡散臭そうな目を向けている翔をよそに、紫羽はのんびりした笑顔の星羅に聞いた。


「だから、何で星羅が迷子になっているのよ。いやいや、そもそもここはどこ?」


 すらっと星羅は答えた。


「劉宰相の家」


 翔も、そうだと頷いた。


「ああ、そう言えば、さっき現れたわね。呪術師の白焔もいた。毒を飲まされて大変だったからまだ頭がはっきりしていないのよね」


 翔は星羅に疑惑をぶつけた。


「どうして君が劉宰相の邸にいるのか、正直気になってる。本当は密偵とかの役目で太皇太后の宮に入り込んでいたんじゃないのか?」


 星羅は慌てて違うと手を横に振った。


「やめてよ。私みたいなのに密偵なんて出来るはずがないでしょ」


「星羅ってゆっくり、おっとりの人だから密偵は無理よね。人にも優しいし」


 紫羽は星羅を庇った。


「月に一度、太皇太后様は先帝の陵墓へ行幸(みゆき)されるんだけど、それが今日だったのね。しばらくは馬車に乗って大人しくしてらした太皇太后さまが突然」


 星羅の説明はこうだった。


 太皇太后の豪華な馬車が陵墓に向かって粛々と進んでいた。

 外廷から陵墓の管轄部署の者や、祭事を行う部署の者、宮付きの宦官、宮女頭、以下宮女たち、多くの者が馬車の後ろに付き従って歩いていた。

 すると馬車の中から声がした。


「茶をもて」


 宮女たちは困った顔を見合わせる。


「茶が飲みたい」


「再びの要求に宮女頭の玉蓮が答えた。


「太皇太后様、先の皇帝陛下の陵墓に着きましたらご用意がございますので、しばしお待ち下さいませ」


「茶が所望じゃ。早うもて!」


「今は茶道具もございませんし。ご容赦のほど」


 玉蓮がそっと呟いた。


「前のように口がきけないほうが楽だったのに、全く面倒な」


 星羅は通りかかった邸に掛けてある「劉府」の扁額を見上げた。


「茶だ、茶を早う、早うせい」


「あのう、丁度ここは劉宰相の邸のようです。太皇太后様のお茶をここで頂くわけにはまいりませんでしょうか?」


「え?」


 玉蓮もそれに気付いて仕方なく頷いた。


「星羅、あんたが邸の者に伝えてきなさい。劉宰相は朝議で皇城よ。太皇太后様が行幸の途中お立ち寄りになる。茶の支度をお願いすると頼んできなさい」


「かしこまりました」


 劉宰相の邸の家職(その家の事務を任され、使用人を管理する長)に拒否できるはずもなく、太皇太后を丁寧に迎え入れてお茶、茶菓子の準備に使用人たちはてんやわんやとなった。


 そんな騒ぎの中、紫羽、翔、星羅の三人は隠し穴から出てきたのだ。

 翔は卓の上の動力を使って左右に開いていた書棚を元のように戻した。

 紫羽は怖じ気付いている様子もなく、それを物珍しく見ている。


「へえ、こんな仕掛けがあるのね。初めて見た」


「まともな家にはこんなものはないから」と、翔が言う。


「ふーん」


 星羅が鼻にしわを寄せて言う。


「しかし、二人とも臭すぎる。この匂いで気付かれそうだわ。ここにいてね、何とかするから」


 そう言うと星羅は出て行った。星羅がいなくなってから翔が言った。


「ほんと気になる、星羅って子。どうやってこの部屋を見つけたんだろう」


「太皇太后様がお立ち寄りになったと言ってたじゃない。水屋かかわやでも探しているうちに、ほんとに迷子になったんじゃない?」


「そうかなぁ。俺なんてどれだけの部屋を探し回ったことか。なのに、一発で見つけたって都合が良すぎないか?」


「星羅はね、密偵なんかじゃないと思う。これは私たちにとって幸いだったわ」


「確かに。太皇太后様が立ち寄るなんて、こんな偶然があるっていうのも凄いよなぁ」


 少し経って、星羅は二人分の衣を持って入って来て言った。


「主が留守中で、しかも突然もてなすことになって、この邸の者たちは粗相がないようにと慌てふためいているわ。気付かれることはないはず」


「攫われてきた司音の顔を見た者もいないだろうし」と、翔もそう考えて答えた。


「はい、これに着替えて」


 差し出された衣に二人は着替えた。

 衣は宦官が着る黒い衣だ。

 着替えた紫羽を見て、星羅がからかった。


「まあ、綺麗な宦官。宮女たちが騒ぎそうだわ」


 どんな姿になっても紫羽の美しさは変わらない。


「お立ちー」の合図と共に、茶を飲んで満足した太皇太后が門前の豪華な馬車に乗る。

 一人の宦官が顔を深く伏せつつ、太皇太后の手を取って馬車に乗せる手助けをした。

 紫羽である。

 邸の家職はほっとした顔で門まで出て、一礼し一行を見送る。

 ごとん、と馬車は先の皇帝の陵墓に向かって進み始めた。

 行列のお付きたちの中に目線を伏せた宦官、翔もいる。

 こうして二人は、堂々と正門から脱出したのだった。

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