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4.希望

 第四話


 縄で縛られた麻袋の口が開いて、手が差し伸べられた。

 紫羽は状況が把握出来ないまま、その手を掴んで立ち上がる。


「もしかして助かったのかしら、私」


 手から顔へと視線を上げた。

 それは墓の前に現れた宦官姿の、しかも怒りまくって紫羽を追い払ったあの若い男だった。

「あっ」と紫羽は思わず声をあげた。

 若い男はむっとした顔で、黙ったまま紫羽を麻袋から引き出した。

 紫羽も何ともばつが悪そうな顔になって、麻袋からずるずると引き出された。

 そうして二人は丘の上にある大樹の下で、黙りこくったまま木漏れ日を浴びていた。

 紫羽が口を開いてまず礼を言った。


「助けてくれてありがとう」


「……」


「男二人をやっつけてしまうなんて、あなた、強いのね」


 仕方なく若い男も口を開いた。


「五才から十才まで剣を習った」


「十才でやめてしまったの?」


 若い男は膝を抱え込んで唇を噛んだ。

 二人の間にまた沈黙が流れる。

 紫羽が心細い思いで呟く。


「祖父の雀王が嫌いなのね。母のことも。何か酷いことがあったのね。どんな風にお詫びしたらいいか、私、判らなくて……」


 若い男は紫羽の心細さを感じて顔を上げた。


「違うんだ。何も雀王や君たちが悪い訳じゃない。さっきのは八つ当たりだ」


 紫羽は若い男の横顔を見つめた。

 意を決したように若い男は話始める。


「俺は欠けた者になってから、自分の気持ちを持て余している。十才の時からずっと」


「十才? 私は今十五才よ。名前は紫の羽と書いて紫羽というの。あなたは?」


橘翔(たちばなしょう)、十七だ」


「私はね、祖父の雀王一族がなぜ族滅させられたのか、どうしてそんな目にあうことになったのか、誰がそうしたのか、それを調べたいと思って倭国から来たの」


 翔は驚いたように紫羽を見た。


「君が?」


「そう。何があったのか知りたい。雀王が誰かに嵌められたのだとしたら、私は許さない。祖父の無念を晴らすつもりよ」


 そうして紫羽は翔を強い目で見た。


「あなたが敵か味方か判らないけど本音を話したのは、どちらでもいいから知っていることを聞き出す為よ」


 翔はそれを聞いてふっと肩の力を抜いた。そして淡々と話し始めた。


「先の皇帝の突然の逝去が始まりだった。宮中は一変したそうだ」


          〇


 山の麓にある雀王邸目指して武装した兵士たちが隊列を組んで進んで行く。

 先の皇帝とその父の皇帝二代に忠実に仕えていた呪術師雀王の元へは、一国を滅ぼす勢いで七千の兵が向かっていた。

 大将の声が被る。


「雀王は無論、いち人たりとも生かしておくな!」


 皇帝付きの医官や宦官たちが縄を打たれ、獄卒たちに引き立てられていく。そして武官だった翔の叔父も、皇帝を守れなかった罪で腐刑と決まった。

 翔の叔父は武具を剥ぎ取られ、刀も取り上げられて縄を打たれる瞬間、奪い返した自分の刀で瞬時に首を搔き切って死ぬことを選んだ。


          〇


 翔が話し続ける。


「先の皇帝の傍付きの者は、全員ありもしない罪を着せられて多くの者が処刑されたという話だ」


 紫羽はきつく結んでいた唇を開いた。


「祖父の命を奪う為に、七千もの兵を向かわせたのは一体誰!」


「俺も叔父のその時の恥辱を思うと胸が張り裂ける思いだ。武官を腐刑にしようだなんて、よくもそんなことを!」


 紫羽は聞き難いことではあるが、そっと聞いた。


「あの、腐刑って?」


「男の体ではなくなること。切り取られる。子孫繁栄という徳を果たせなくなった欠けた者になることだ。叔父はその命に背いて自死した。屈辱に耐えられなかったんだ」


 翔は拳を握りしめる。


「十才の時、命令に背いた叔父の代わりに、一族の長子だった俺が腐刑を受けさせられた。だからこうして宦官になっている。欠けた者になったくせに、まだこうして生きているなんて笑えるよな」


 翔は近くに落ちていた枯れ枝を力一杯放った。

 紫羽は声も出せなかった。何てむごい仕打ちだろう。


「爺様の乗った船は嵐で難破してさ。たどり着いた西域の国から帰ってきたら、息子が命にそむいて首を掻き切ったって聞いて、寝込んだまま死んでしまった」


 紫羽は滲んできた涙を浮かべて翔の手を握った。


「生きていてくれてありがとう」


「礼を言われることじゃない」


「男でなくなることが欠けた者だなんて、そんなことはないわ!」


「慰めなんかいらない」


「私だって、ずっと女として生きてきて、最近突然男だと判ったのよ」


 翔は驚いて紫羽をまじまじと見つめた。


「こんなに美しい人が男?」


「自分と言うものがよく判らなくなって、ほんとはまだその自覚すら持てないでいるの」


「……そうか」


「私が男だと命を狙われるから、母や乳母が女として育てたんですって。なのに、唐の間者が家に入り込んでいて知られてしまったの。とたんに唐の刺客に襲われて私、殺されかけたわ」


「倭国にまで刺客を放っていたのか、君を殺す為に。……つまり、そう命令した者がいるってことだな」


 翔はじっと考え込んでしまう。そしてはっきりと決意を語った。


「俺が死ななかったのは、この企みを誰が、何の為にしたかってことを暴く為だ。必ず仇をとってやる。その思いだけで俺は生きている」


 紫羽は大きく頷いた。


「ねえ、私も後宮に入れないかしら。私も隠されていることを暴きたいと思ってる」


「先の皇帝の母君、太皇太后はきっと何かを知っていると踏んでいるんだけど……」


「けど、なに?」


「紫羽、君はここでも女子(おなご)で通せ。俺は後宮から一日暇をもらって出てきたからこれから帰る。祖父の家があるんだ。空き家になっているからそこにいろ。君が後宮に入れる方法を探ってみるから」


「ええ、お願いします」


「後宮には昔から変な噂があるんだ。亡くなった先の皇帝の血書があるという噂なんだけど、真偽のほどは謎で」


 紫羽はその噂に食いついた。


「もし血書などというものがあってそれを見つけたら、隠されていることが明らかになるんじゃない?」


「俺もそう思っている。とにかく爺様の家に行こう!」


 紫羽はこの出会いに希望が見えた気がした。


「やっぱり一人より二人よね!」


 橘博政が晩年を過ごした家は長安の街はずれにあった。

 そこへ案内した翔は、必ず連絡をするからと後宮に帰って行った。

 橘博政の家は静まり返っていた。唐人の妻も、長子だった武官も、その妹で翔を生んだ

 母も今は亡く、倭国風な設えの部屋の書架には沢山の書物が積まれていた。

 倭国で漢籍を読んでいた紫羽は目を輝かせた。


「凄い! 宝の山だわ」


 紫羽は、その中に「唐倭国辞典」という辞書を見つける。著者名は橘博政とあった。

 唐語に倭国語訳を付けたもので、紫羽には唐語を学ぶうってつけの辞典だった。

 鳥が言葉を通じさせてくれているものの、学べるものは学ぶとばかり紫羽は辞典を抱き

 しめる。


「橘のお爺様、良いものを書いて下さってありがとう」


 部屋の卓の上で、庭のあずまやの中で、あるいは寝台の上で頁を一枚一枚と繰って学んだ。そして最後の頁を閉じた。


「覚えた! 後宮でもどこでもこれで大丈夫」


「ま、学ぶことは良いことだ」


 鳥の声が聞こえた。


「試してみたいな」


 紫羽は街に出た。相変わらず長安の街は賑わっている。

 川べりに柳が並んで日差しを遮っていて、人混みに疲れた人たちがそぞろ歩いていた。

 大きな竹籠を二つ乗せた荷車が止まっていて、運んで来たらしい男二人が一服ふかし

 て休んでいる。

 背を向けている男たちの隙を狙って、浮浪児のような身なりの小さな男の子が籠の中から何かを掴んで逃げようとした。

 紫羽はそれを見つけて、一瞬どうしようかと迷った。

 が、男の一人が罵声を浴びせながら男の子の手から品を奪い返し、思い切り殴りつけた。小さな浮浪児は血を吹いて、ひとたまりもなく飛んだ。男が殴る、蹴るを繰り返すのを見て紫羽は怒って飛び出した。

 その一瞬前にその浮浪児を抱き起こした男がいた。


「こんなになるまで子供を痛めつけるなんて。たかがピータンひとつで」


「たかがひとつだと? これを作るのにどれだけの手間がかかっていると思うんだ。ふた月もかかるんだぞ。しかもこれは皇城に納める大切なものだ」


「貧乏人の口に入るもんじゃねえんだ」と、男二人は食ってかかった。


 紫羽は子供を助けたのが、唐に来て初めて術というものを見た方士だと気づいた。


「あ、あの方士だわ」


「もう十分折檻したんだ。許してやりなさい。腹が空いているのだろう。よし、よし、おじさんがピータンを作ってやろう」


 それを聞いた男たちは嘲けり笑った。


「ピータンはそんな簡単に作れるもんじゃねえんだよ。この貧乏人が!」


 野次馬が集まりだして成り行きを見物し始めた。

 方士は浮浪児に金を渡して言った。


「表の市でアヒルを買っておいで。生きているアヒルだぞ」


 うん、と小さな男の子がよたよたと走って行く。やがて男の子はアヒルを抱えて戻ってきた。

 紫羽は又あの術が見られると、少しわくわくした。

 方士は、男たちに「もう用はないだろう。去れ、去れ」と言い追い払った。

 言われた男たちはどうしてピータンを作るのか見てやろうという気持ちと、去れ、と言われて去れなくなっていた。

 方士は持っていた魚籠の上にアヒルを乗せた。


「さあ、このアヒルが卵を産むぞ。卵を産むぞ。大きな卵だ。ほれ、ほれ、産むぞ、産むぞ」


 紫羽も声を合わせて言っていた。産むぞ、産むぞ。

 方士が一段と声を張った。


「産んだか、産んだか、ほれ、産んだぞ、産んだぞ、見よ、見よ、アヒルの卵だ」


 魚籠から摘まみ上げた大きな卵を掲げて見せるや、野次馬たちは本当だ、アヒルの卵だなどと言い合っている。


「産んだか、産んだか。もっと産め、もっと産むぞ、もっと産むぞ」


 そう言ってから、方士は柳の下の土を掘った。


「ここは粘土の土だな、ピータン作りにはもってこいだ。塩もいるな。なに、ふた月もかけずともすぐにピータンは出来るぞ」


 ついに我慢できなくなった紫羽は飛び出して行く。


「私が卵を土に埋めます。アヒルの卵を土に埋める」


「そうか、では頼もう」


 紫羽はわくわくしながら卵を埋めた。


「卵、埋めました! 埋めた、埋めた」


「では天の呪文を唱えるぞ。旨いピータンになれ、なれ」


 方士は呪文を唱えた。そして、よし、出来た! と、もみ殻にまぶされたピータンを

 出して見せた。観客たちがどっと沸いた。

 ピータンを運んできた男たちは呆気にとられて口をぽかんと開けている。

 方士は土の中からピータンを次々と出して、まず小さな浮浪児に一つ、手を差し出し

 てくる野次馬たちにも一つ一つ渡していった。

 それが終わって、紫羽と方士はその場を後にした。

 紫羽は魚籠の中の小さな鶏卵を手にして感心している。


「土に埋める時、私にも大きなアヒルの卵に見えたんですよね。本物はこれ?」


 ずっと後ろで男たちが騒いでいる声が聞こえてきた。


「ない、ひと籠分のピータンが無くなってるぞ! 誰が盗んだんだ、どいつだ!」


「皇城に卵ひとつなくても飢える者はいない。子供を痛めつけた罰だな」


 紫羽は真剣に聞いた。


「方士様、どうしたら私にも術が使えますか?」


 方士は少し沈黙して紫羽を見つめた。


「わしのは食うための術だが、以前に会った時から何か大事を抱えているように見えた。ならば、信じることよ。誰かを生かす為、自分を生かす為、その為に使う術。そう信じた時、しゅは己の力となって発露する」


「術は誰かと自分を生かす為に使う。信じること。……はい。お教えありがとうございました。そう心して努めて参ります」


 これが、紫羽が継いだとされている呪術の根本を教えてくれた人との二度の出会いだった。

 そして、いよいよ紫羽が後宮へと入って行く日がきた。

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文章が素晴らしく美しい。期待大きい。
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