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3.ふたつの出会い

第三話


 その孔雀には見覚えがあった。母、北の方がいつも手を合わせている唐渡りの掛け軸に描かれている孔雀明王図。その明王を背に乗せている鳥、孔雀。


「私、あなたを知っているわ。孔雀明王様の孔雀ね?」


「お前は何をしたい」


 紫羽はきっぱりと言った。


「確かめたい。そして自分で決断を下す」


「乗れ」


 孔雀は紫羽を乗せて飛び立った。そして北に向かってぐんぐんと上昇した。

 孔雀は黒と橙の前羽を水平に広げ、飾り羽は畳まれて後ろに尾を引くように流れている。

 紫羽は目の前に大きく輝く、北の一つ星とも呼ばれている北辰妙見菩薩星を見て、歓喜の声をあげた。


「北の一つ星よ、なんて綺麗なの!」


 その北の一つ星とも妙見菩薩星とも言われる星の左近くに太陽の通り道、黄道がある。

 その黄道に小さく開いた穴が見えた。孔雀はそこを目指して飛んでいく。

 近付くと穴の中は螺旋に渦巻く風が吹き荒れている。


「目をつむれ」


 孔雀はそう言ってその螺旋の中へ突入した。

 紫羽はぎゅっと目をつぶり、吹き荒れる風に振り落とされないように鳥の首にしがみついた。

 目を開けた。

 眼下に街が見える。北に皇城、そこから真っすぐに大路が走り、碁盤の目状に道が整然と走っている。街には市が立ち並び、商いの店には野菜、布地、肉魚、漢方薬材とあらゆる品が並べられ売られていて沢山の人が集まっている。

 紫羽は感嘆した。


「まあ、平安京はずいぶんと賑わっているのね」


「ここは唐の長安だ」


「唐? 平安京の街図と同じよ」


「平安京は長安の都を模して造られた」


「ここが唐の長安? まぁ」


 紫羽は目を見張った。と、気付くと紫羽は賑やかな市の人混みの中に立っていた。


「あれ……」


 様々な衣の人たちが行きかっていて、軒を並べた店や露店には様々なものが溢れ、色彩も溢れ、紫羽の姫の衣など気にかける者などいない。

「さあさあ、見ていきなされ」という声の方へ紫羽は足を向けた。


 川岸の柳の下で男が人を集めていた。


「方士が何かやるぞ。見物してやろう」


「何が始まるのだ?」


 と、いう声に紫羽は人垣をくぐって前に出た。

「さあ、買わないか。龍神殿の護符だ。家内安全、厄災除け、金運もつく。欲しい者がおればわしが天に登って貰うてくるぞ」


「買おう」「買うぞ」の声がかかる。


「では、これから龍神殿に貰うて参ろう」


 そこで方士は杖で地面を掘って種を撒いた。


「さあ、種を撒いたぞ、種を撒いたぞ」


 そうして種に土をかぶせて水をかけた。


「水だ。水をかけたぞ。水をかけたぞ。そら、芽が出た。芽が出てきた」


 見物人から驚きの声があがる。


「見ろ、芽が出てきた、へえ、凄いな」


「本当だ、芽が出てきたなぁ」


 紫羽はじっと見つめた。


「茎が出たぞ、おお、茎が伸びる、ぐんぐん伸びていくぞ」


 方士の言葉に、茎が出た、見ろ、伸びていくぞと見物人たちが声をあげた。


「おお、葉が出た、茂っていく、茂る、茂る。茎もどんどん伸びて、見ろ、見ろ、雲の上まで伸びていったぞ」


 見物人たちは皆、方士の言葉につられて上を見上げ「見えなくなったぞ」「あんなに伸びていった、凄い、凄い」と指をさして言い合っている。


 紫羽も振り仰いで見た。


「よし、天まで伸びた。登って行くぞ、登って行くぞ」


 方士は伸びた茎を登って行く。

 そして声が聞こえた。


「登ったぞ。登ったぞ。雲の上に出た。わしの姿はもう見えまい、見えまい」


 見物人たちはあんぐりと口を開けて上を見ながら、「見えないぞ」「雲の上にいるようだ」などと言い合っている。

 そこへ方士がふわりと飛び降りてきた。


「さあ、今、天の龍神殿から護符を貰うてきたぞ」


「買おう」


「俺にもくれ」


「私にも」


 と、多くの人が護符を買って満足そうに帰って行く。

 そして紫羽が残った。

 方士は紫羽を見てニヤリと笑った。


「術に掛からなんだな。わしが柳の後ろに立っておったのを見ておったわ」


 紫羽は唐の言葉が判らず、困って首を傾げた。

 方士はその様子で察した。


「そうか、やはりな」


 その時、鳥の声がした。


「倭国の言葉でよい」


 だから紫羽は聞いた。


「見ていた人たちは芽も茎も葉も茂らなかったのに、どうして信じたのですか?」


「あ? ああ」


 方士は答える。


「術は言葉で掛ける。種に水を掛けると芽が出るものだと知っている。茎は伸び、葉は茂るとも知っている。知っているから言われた言葉に絡めとられて見えるのだ。お前さんはわしが喋る唐語が判らなかったのだろう? だから掛からなかったのだ」


「あんなに沢山の人がそう見えたなんて凄い術ですね」


「言葉で術を掛ける。それが呪術師、唐では巫術師ともいうが、わしはそういう者よ」


 紫羽はそれを聞いて納得できたことがあった。


          〇


 権大納言邸で馬に乗っている紫羽は馬の耳に口を寄せて言った。


「お前は天馬のように美しい。天翔ける白馬よ。お前は空を飛べるわ。飛べる。きっと飛べるわ」


 次の瞬間、馬に付いてきていた男童たちが一斉に驚きの声をあげて口々に叫びたてた。


「見ろ、馬が飛んだぞ!」


「飛んだ、飛んだ、見ろ、足が地から浮いているぞ!」


「姫様ぁ、ほら、姫様が言ったら馬が飛びました。飛んでいます!」


          〇


「そういうことね。私の言葉に掛かったのは馬ではなくて、見ていた者たちがそう見えたってことだったのね。天馬なら空を飛ぶって皆知っているもの」


「ほう、お前さんも術を使えるのだな」


「いえ、いえ、術なんて使えませんよ。たまたまです」


 方士は笑った。


「たまたま術が使える者などおらぬ。己の呪術の力に気づいておらぬだけであろうよ」


「いやぁ、あと刀が曲がってしまった時もあったけど、その二回だけですから」


 方士はおかしそうにまた笑った。そして気になっていることを口にした。


「はて、お互い違う言葉で話しておるのに、なぜこうして通じておるのだ?」


「さあ?」


 紫羽も首を傾げた。


「なぜでしょうか」


 方士はまじまじと紫羽を見て言った。


「これが何かは判らぬが、術ではあろうよ。しかし術であっても我らが使うものとは違う何かだ。いやいや、面白いものに出おうた。励むがよい」


 方士はそう言って去って行った。

 紫羽は声を低めて鳥に話しかけた。


「ねえ、あなたがそうしてくれたんでしょう? 励めと言われてしまったわ」


「ふんっ」


 孔雀が当然だと言わんばかりに鼻を鳴らしたように聞こえた。


 少し経って、長い髪を高くひとつに結わえた紫羽が野花を手に丘を登って行く。

 街や黄河を見下ろせる丘の上に、その古い墓はあった。

 倭国風の墓石には「倭国遣唐使 橘博政 眠る」の墓碑銘が刻まれていた。

 紫羽は人に尋ねながら墓にたどりついた。四艘の遣唐使帰国船のうち、橘博政の乗った船が嵐で難波した。その後博政は西域に流れ着き、再び唐に戻って、この地で生涯を終えていた。


「見つけた。橘様はここに眠っていらした」


 紫羽は墓の前に跪いて、持ってきた野花を供えて手を合わせた。


「橘のお爺様、私は麗華の子です。母を助けて下さった御恩に感謝申し上げます。母が幸せに生きてこられましたのは橘様と橘家の皆さまのおかげです。深く御礼申し上げます。誠にありがとうございました」


 紫羽は深々と頭を下げた。

 その時、後ろから紫羽が供えた花を掴み、放り投げた者がいた。

 驚いて振り向く紫羽の後ろに立っていたのは、黒い宦官服を着た若い男だった。


「この人は俺の爺様だ。あんたにお爺様なんて呼ばれたくない!」


 若い男は険しい顔で紫羽を睨みつけて言い放った。

 紫羽は突然のことに慌てて詫びた。


「橘様のお孫様でしたか。申し訳ありません。母が大変な御恩を受けたのです。それでつい」


「雀王が娘をうちの爺様に押し付けたりしなければ、叔父も俺もこんなぶざまなことにはならなかった!」


 紫羽も、祖父雀王が遣唐使・橘博政に生まれたばかりの麗華を託した、ということは母から聞いたばかりだったので、その孫から強い怒りをぶつけられことにおろおろしてしまう。


「あの、橘様ご一族にご迷惑がかかったということですね。それでしたらどうお詫びしたらよいか、この通りでございます」


 紫羽は若い男の前にひれ伏すように手をついて詫びた。


「申し訳ございません。申し訳ございません!」


 若い男は怒りをあらわに又言い放つ。


「去れ! お前の顔など見たくもない。立ち去れ!」


 取り付く島もなく、紫羽はしおしおと立ち上がって深く一礼し踵を返した。


(何かあったんだわ。一体何があったんだろう……)


 丘を下りながら唐の橘一族にどんな災いがあったのか、と紫羽は考え込みながら歩いていた。

 だから、目の前に立ち塞がっている男二人に気付かなかったのだ。


「いい女だぜ。こんだけの美人が一人で出歩くなんて危ないよ、嬢ちゃん」


「着ている衣を見ろよ、上物だ。いいところの娘だな」


 男たちは舌なめずりして紫羽を値踏みする。


「上玉だ、高く売れるだろうぜ」


 下卑た笑いを浮かべながら近づくや、紫羽が悲鳴をあげる間もなく大きな麻袋をかぶせられた。


「今夜は旨い酒が飲めるなぁ」


「やっとこせ、っと」


 掛け声と共に麻袋を担ぎ上げて、二人は走り出した。

 麻袋の中で、紫羽はつくづく、といったふうに乳母の叔にぼやいた。


「邸で賊に殺されそうになったと思ったら、今度は売られるだなんて。全く普通じゃないことばっかりよ、叔。叔がここにいたら大騒ぎだわね」


 紫羽は全く動じてはいない。

 次の瞬間、紫羽は麻袋ごとドスンと地面に落とされた。


(痛っ!)


 麻袋の外で男達が喚きながら争っている気配がして、それはすぐに止んだ。

 縄で縛られた麻袋の口が開いて、手が差し伸べられた。

 紫羽は、状況が把握出来ないまま、その手を掴んで立ち上がる。


「もしかして助かったのかしら? 私」


 手から顔へと視線を上げた。

 それは墓の前に現れた宦官姿の、しかも怒りまくって紫羽を追い払ったあの若い男だった。


「あっ……」


 若い男はむっとした顔で、黙ったまま紫羽を麻袋から引き出した。

 紫羽も何ともばつが悪そうな顔になって、麻袋からずるずると引き出された。

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面白い。早く続編を読ませてほしいよ。
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