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12.皇帝、立つ

 十二話


 劉宰相と大監は外廷と内廷を分けている門から内廷に入った。


「たかが宮女たちですから、灸をすえてやれば二度と愚かな振る舞いはせぬでしょう」


「その宮女たちをどこかに売る算段をしておるのだろう。お前が女衒(ぜげん)のような真似をしていることを私が知らぬとでも思っているのか」


「とんでもない。誰がそのような作り事を宰相のお耳に?」


「知らぬ者はないわ」


 大監は揉み手して愛想笑いで劉宰相のご機嫌を窺った。

 そしてついに皇帝の居室に踏み込んだ劉宰相は顔をしかめる。

 室内は酒の匂いが充満し、床には酒器が転がり、女たちは酔いつぶれて淫らな姿で伏し寝をしている。

 皇帝はと見ると、寝台に女と添い寝をしていて、ぐふぐふと酔って笑っていた。


「大監、お前ボケたか」


 大監は驚いて目を見張っていた。


「そんな馬鹿な!」


 劉宰相は寝台の皇帝に声をかけた。


「陛下、劉でございます。ご壮健であられるかご尊顔を拝しに参りました」


 皇帝はろれつが回らぬ口調で答えた。


「余はご壮健である。お前もここで一緒に伽をせぬか」


「いえいえ、では私めはこれで」


 劉宰相は、帰り際大監を一発殴って出て行った。

 殴られた大監はよろけて、柱に頭をぶつけて気絶してしまう。

 護衛の武官、栄樵(えいしょう)が入って来て大監の襟首を掴んで引きずって行った。

 とたん、皇帝と寝乱れていた女たちが動き出す。


「ああ、際どかったわねえ」


「危ないところだったわ」


 女たちとは、紫羽と来ていた太皇太后の宮の宮女たちだ。

 皇帝の寝台の掛布で顔を覆っていた紫羽も体を起こす。


「うまくいったな」と皇帝は言いながらも、衣の袖に顔を寄せて辛そうな顔をした。


「余はまだこの酒の匂いが辛い」


「お許し下さい、陛下」


紫羽が詫びる。


「良い。そちは機転がきくのだな。名は何と申す」


「司音と申します」


「司音か。なかなかの知恵者である。しかしはて、どこかで会ったような気がするのだが」


 紫羽は内心慌てた。


(白蛇の術を掛けて逃げました。なんて言えないし、わぁ)


「陛下と私がお会いする機会などあるはずがございません」


「そうなのだが……」と皇帝は首を捻っている。

 そんな紫羽を助けるがごとく、隠れていた翔が出て来て皇帝に拝礼した。


「おお、お前はどこのものだ」


「物品庫に配属されております宦官、橘翔でございます」


「お前が知らせてくれなかったら、太皇太后様の宮の宮女たちがどうなっていたことか、義母上に申し開き出来ぬところであった」


 この顛末はこういうことだ。


         〇


 翔は物品庫から、とある宮への届け物を持って向かっていた。

 その時、皇帝付きの大監がぶつぶつと文句を言いながら外廷に向かって行くのを見た。

 劉宰相の手駒で皇帝の見張り役だと知っている翔は、劉宰相の所へ良からぬ相談に行くのだろうと踏んだ。何でもいい、掴めるものがあれば掴んでおこう。

 で、尾行した。

 物品庫の鑑札を見せて、外廷に出る。大監はやはり中書省長官室に入って行く。

 翔はうやうやしく持っている届け物を見せつけながら、長官室の前まで咎められることなく進んだ。中から大監の訴える声が聞こえる。

 大監は太皇太后の宮の者がやって来て、居室の掃除をし、集めた女たちを放ち、挙句に皇帝から酒を取り上げていると訴えていた。


「これから行って確かめることにしよう。火はぼやの内に消さねばならぬ」


 その劉宰相の声を聞くや、翔は外廷から内廷への道を走りに走った。

 手に持っていたものをどうしたかも覚えていない。それほど必死に最速で走った。

 翔の知らせを聞いた皇帝は紫羽たちに即座に言った。


「すぐ逃げよ。急げ。太皇太后様の宮に逃げ込め」


 だが、素早く頭を巡らせていた紫羽は皇帝にきっぱりと言った。


「逃げても得にはなりません。これは今後、突破口として使えるかも知れませんし」


 そして紫羽は星羅や他の宮女たちに言った。


「さあ、この部屋を元に戻しましょう。誰かお酒を持ってきて。急いで。それでこの部屋に酒を振りまくのよ」


「得にならないとは? はて?」


 皇帝が首を傾げている間に、宮女たちは紫羽の発案を理解して動き出している。

 翔と護衛の武官、栄樵も手伝った。

 持って来た酒を室内に振りまく者、酒器を床に転がす者、着衣や室内の道具やらを散らかす者。素早い動きをしながら誰かが言った。


「片付けるより、散らかす方が楽しいわねえ」


「それが終わったら皆さんは酔ったふりをして寝乱れた風に横になってね。顔を見せては駄目よ」


「はーい」


 宮女たちは何だか楽しげにそれぞれ裾をめくったりの工夫をして横たわった。

 翔が心配して紫羽に言う。


「君は? 君が一番危ないんだぞ」


 皇帝が聞いた。


「劉に顔を知られているということか?」


 頷いた翔を見て、皇帝は寝台を指さした。


「あそこが安全だ。余の奥へ横たわっておれ」


 紫羽は迷うことなく「では失礼いたします」と、寝台の奥側に飛び込み掛布を被って顔を隠した。

 何とか整って、翔と武官が隠れたと同時に劉宰相と大監が入って来た。


          〇


 と、こういう次第であった。

 皆はほっとして、それから紫羽と星羅と宮女たちは、再び掃除に取り掛かり部屋を清潔に整えた。

 翔も交えて落ち着いたところで紫羽が皆に言った。


「まず、陛下のお傍からあの大監を取り除きたいのですが、難しいでしょうか? あの者が陛下を貶めていることがよく判りました」


「同じ思いではあるが、そなたたちが関わっては、災いがふりかかるのは明らかである。関わってはならぬ」


「陛下お一人では無理です」


 紫羽が反対した。


「ここに連れて来られた女子(おなご)たちは無事か?」


 星羅が答える。


「宮仕えの者はそれぞれの宮に戻しました。ただ、外から連れてこられた者が一人おりまして、とりあえず太皇太后様の宮に隠しました」


「外からとは商人の娘か?」


 女たちに聞き取りをした紫羽が答えた。


「いえ、それが都近くに領地をお持ちの親王様に仕える侍女でございました」


「何と、都近くと言えば、趙王様か?」


「はい」


「趙王様は、先々代皇帝、余の祖父に当たる方の弟君だ。親王であらせられる。大監め、何と不敬な真似をしておることか」


 その言葉で紫羽が閃いた。


「その不敬をもってして大監の罪を暴けないでしょうか」


「侍女を攫われるなど親王家をないがしろにしている、とご不興は明らかだろうが」


「親王様に訴えて頂くのです。そうなれば大監は女子を売り買いした罰を受けます」


 翔が口を挟んだ。


「しかし、それによって陛下まで罪を被られることになったらどうするんだ」


 考え込んでいた皇帝は翔の言葉に首を横に振った。


「それはない」


 皇帝は事の次第を皆に聞かせた。


「余に命の危険はない。余がいなくなれば皇族の中から新しい皇帝が立つ。そうなれば劉の座る場所はなくなる。余に罪を着せるのも劉にはまずいことだ。それこそ全力で余を守ることだろう」


「陛下なくして己の権力は保てないと知っているのですね」


 翔は悔しそうに拳を握った。


「何と卑しい男でしょう。では親王様に告発状をお書きいただいても劉宰相に握りつぶされますね」と、紫羽も不安を浮かべる。


 すると皇帝が言った。


「皇城に鎮無司(ちんぶし)という部署がある。官僚や宦官、後宮の妃の汚職、謀反等々、罪人の取り締まりの任についておるところだ」


「あそこは皇帝直属の部署で、皇帝をお守りする任もありますね」と、翔も言う。


「余がこの有様だ。直属が機能しておるかどうかも判らぬ。しかし」


 皇帝は思い起こすような遠い目をした。


「数年前になるが、そこの長官である指揮使着任を報告に来た者がおった。余の所にわざわざ挨拶に来る者がいることに驚いたが、その者が言ったのだ。陛下がお立ちになると決意された時は必ず役にたつと」


「それはつまりお味方になるということですよね」


 翔は身を乗り出した。

 皇帝の決断は早かった。帯に下げていた皇帝のしるしである玉牌(ぎょくはい)を翔に渡した。


「その指揮使の名は張彦高(げんこう)。張にこれを見せて伝えろ。余は立つ、と」


「承りました!」


 翔はきっぱりと答えた。


「それから、明日、趙王府へ侍女を戻しに行くのは誰だ」


 星羅が答えた。


「司音を外に出すのは危険ですから、私が行きます」


「これから親王様に告発をお願いする文を書く。告発文のあて先は鎮無司の指揮使、張長官宛として頂く。余の文を何とかして趙親王様ご本人にお渡しせよ」


「はい。かしこまりました」


 いつもおっとり、のんびりの星羅が顔を引き締めて頭を下げる。

 紫羽は事が進んでいくことにわくわくした。


 太皇太后の宮に戻った紫羽は、司膳部から貰ってきた二枚貝である蛤の内側に一対となる絵を描き始めていた。御所車、季節の花、鳥、蝶などを描いていく。

 宮女たちが「何をしているの?」と物珍し気に覗き込む。


「こうして二枚貝の裏に一対の絵を描いて、でも貝ごとに違う絵にするの。そしてね」


 宮女たちは丸く伏せられた貝の前に座ってたちまち夢中になった。

 一枚開けて、その絵と同じ絵の貝の片割れを探すという、紫羽が権大納言廷で遊んだ倭国の遊びだ。


「確かさっき見たわ。えー、どこだっけ?」


 攫われた侍女を連れて趙王府へ出かけた星羅を除く紫羽と宮女たちは、皇帝の居室に昼食と貝合わせの貝を持って来ていた。宮女たちはここでも夢中だ。

 紫羽は黙って見ている皇帝を誘った。


「これは女子の楽しみでございますけれど、陛下もお気持ちが紛れるかも知れません。お入りになりませんか?」


「やってみよう」


 皇帝は輪に座っている宮女たちの中に座り込んだ。

 皇帝の記憶力は凄かった。次々に貝を開けて、手元にため込んでいく。

 紫羽はそれを見て、嬉しくなった。


(昨日の陛下の即断即決は、優れた資質をお持ちだからこそだったんだわ)


 大監がその様子を覗き見て、歯嚙みして悔しがっていた。


「よくも騙してくれたものだ。おのれら、これで済んだと思うなよ」


 そして大監が何食わぬ顔で酒を持って現れる。


「陛下、御酒でございます。酒処からの献上品ゆえ、格別な味わいでございましょう」


 一人の宮女がその大監に声をかけた。


「私は酒問屋の娘ですから詳しいんです。どこの酒か当ててみましょうか?」


「お前ごときの口に入るものではない!」


「そんな事言って、大監だってそのお酒の味を知らないんでしょう? ただ運ぶだけではつまらないじゃないですか」


 宮女は大監を座らせ、なみなみと注いだ酒を大監の口に流し込んだ。


「やめろ、私は酒に弱い体質なのだ」


 むせて咳き込む大監に、宮女は更に流し込んだ。


「美味しいでしょう? 陛下だけにお飲ませしないで、飲んで、飲んで。さあさあ」


 そうして宮女は酒に弱い大監が目を回して倒れるまで飲ませてしまう。

 倒れて寝入ってしまった大監を見て、皇帝は思わず宮女のやり方が痛快で笑った。

 皇帝は本当に何年ぶりかで笑ったのだ。

 紫羽たちも、強引なやり口で大監をぶっ倒してしまった宮女に喝采を送ったのだった。

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