クラウディア_8
クラウディアが10歳になった年の春、シャルリーヌが待ちに待った王命が下った。
それは第一王子であるクライシスの婚約者として、正式に任命されたのだ。
シャルリーヌはとても喜んだ。
喜びのあまり、クラウディアを初めて抱きしめた。
「やったわ!これであなたは将来の王妃よ!!」
初めて感じた母の腕の中の暖かさに、クラウディアは然程感動しなかった。
母は頑張った自分ではなく、自分を仕上げた自分に喜びを感じているのだと伝わったからだ。
レオナードが屋敷を出てから毎日のように夜は深夜まで酒を飲み、酒の力を借りないと眠れないシャルリーヌだったが、この日は喜びのあまりハイペースでワインを空け、早めの就寝だった。
「あなたがここまで成長したのはお母様のおかげよ。絶対に忘れてはならないわよ。」
眠る間際までクラウディアに寝言のように言い続けていた。
シャルリーヌがそういう度に、クラウディアは律儀にも「はい、お母様。」と返事をし続けた。
第一王子の婚約者として任命された翌日、シャルリーヌはレオナードに一通の手紙を送った。
クラウディアが婚約者に選ばれたことはもちろん、この結果は自身が施した教育のおかげだと便箋3枚にも渡る長文で書き殴った。
その手紙を受け取ったレオナードは、クラウディアを祝うために花束と手紙を送った。
クラウディアの白い肌、薄い金色の髪、自身と同じガラスのような水色の瞳を思い出し、その色をイメージした花束を贈った。
手紙には労いの言葉と、これから始まる妃教育への激励を綴った。女の子が好きそうな便箋を選んで。
だが、その花束も手紙もクラウディアのもとに届くわけがなかった。
すべてクラウディアの手元に渡る前にシャルリーヌに見つかり、シャルリーヌは怒りのままに手紙を破り千切った。色とりどりの美しい花束は、シャルリーヌによって踏みつけられ、外に放り棄てられた。
シャルリーヌは、わたしには手紙など寄こさないくせにと、涙を流しながら怒り、酒に溺れた。
その姿を見て、女中や執事はクラウディアをシャルリーヌから隠すように自室へ促した。
クラウディアは廊下に落ちていた汚れた一輪の花を拾い上げることもできず、ただただ見つめて自室に戻った。
その日を境に、5年以上に及ぶクラウディアへの熱心な教育への力が尽きたからか、レオナードへの愛を断ち切れないからか、シャルリーヌは体調を崩しがちになり、よく寝込むようになった。
起きている間は酒が手放せず、誤って薬を酒で飲んでしまい医者が大慌てで屋敷に駆け込んでくることもあった。
そんな母の姿を見て、クラウディアは自分から母に近づくことはしなくなった。
正常な判断ができない母が、周りを顧みず怒鳴り、泣き散らす母が異常に見えたのだ。
ある日の夕方、母はワインの瓶を持って部屋着のままフラフラと外に出て行ってしまったのだ。
この日はクラウディアの11歳の誕生日で、使用人たちは夜のパーティーに向け忙しなく動いていたためシャルリーヌが家を抜け出したことに気が付かなかったのだ。
たまたまシャルリーヌの様子を見に来たメイド長がシャルリーヌの姿が見えないことに気づき、そこからはパーティーの準備からシャルリーヌ探しに切り替えて使用人たちが屋敷の中から外まで、全員が探しまわった。
もちろん、クラウディアも母を探し家の庭や近くにある小さな林まで探した。林の中を探していると、母の靴が片方落ちているのを見つけた。
近くにいた執事に靴を渡し、執事とその他守衛とともに母が向かったであろう先の道を走った。
林を駆け、道が開けるとその先は崖だった。
そこに、母が小さくなってうずくまっている。
執事が奥様!と大きな声で声を掛けると、母は虚ろな瞳でこちらを見やった。
その瞳は、かつての美しく輝くエメラルドのような色は失っていた。
執事やクラウディアを視界に捉えると、シャルリーヌは悲痛な表情でワインの瓶をきつく抱きしめながら掠れた声で叫んだ。
「もう…もうワインがないのよ!これがないと素敵な夢が見られないの!!」
そう叫ぶシャルリーヌに恐怖を感じたクラウディアは執事の手をぎゅっと握った。
執事が再びシャルリーヌを呼び、危ないからこちらに来るように伝えるが、シャルリーヌには届かない。
「わたくしは社交界で妖精だったのに、レオナードに出会ってからすべてがおかしくなったわ。たくさんの人がわたくしを愛していたのに、何故レオナードは愛してくれないの…。」
そう泣き叫び、感情のまま空になった空き瓶を放り投げ、空き瓶はころころと転がり崖の下に落ちた。
崖の下の海に落ちたのか、ちゃぽんという音が遠くから聞こえた。
「ああああぁあぁ!!ダメよ、ダメ!!落ちてしまったわ、あれがないとわたくしは昔に戻れないのよ!!」
シャルリーヌは絶叫にも近い声を上げて瓶が落ちた海の方へ駆け出した。慌てて執事が追いかけるが、間に合わず、シャルリーヌは瓶に手を伸ばすように自ら海へ落ちていった。
落ちた。母が落ちた。
クラウディアは恐怖のあまり、自身のドレスのスカートを握り締めるしかなかった。