クラウディア_5
クラウディアが頭を抱える存在、その一人は異母姉妹の「二コラ」だ。
このフランチェスカ家は元々クラウディアの母親であるシャルリーヌの生家であり、レオナードの生家はブランシェット子爵家で次男に当たる。
当時の侯爵でありシャルリーヌの父は愛する娘が恋したレオナードと結婚することまでは許したが、格下の子爵家の次男に爵位を譲る気は毛頭なく、直系に男子がいなかったこともありシャルリーヌが爵位を継承した。
16歳のシャルリーヌは社交界でも人気が高く、その容姿はローラピュアの妖精と例えられた。
明るい性格で愛嬌もあり、多くの貴族から求婚されていたが、とある舞踏会でレオナードに一目惚れをし、父親である侯爵に頼み込み、半ば無理矢理レオナードと結婚をした。
レオナードは当時18歳で子爵家の次男であることから幼いころから自由に伸び伸びと育ったこともあり、結婚などまだ随分先の話だと思っていた。
そのため、急な展開に心がついていけなかった。
確かにシャルリーヌは美しい。ただ、侯爵令嬢ならではのやや強引で我儘な性格や時折見られる高飛車な態度にレオナードは苦手意識を持っていた。
結婚して一年後に侯爵が流行り病に倒れ、シャルリーヌが爵位を継いだその更に一年後、シャルリーヌ18歳、レオナード20歳のときにクラウディアが誕生した。
レオナードが自身を愛していないことなど、シャルリーヌはとっくにわかっていた。
だが、自分が気に入ったもの・自分が好きなものは絶対に手放したくないという思いもあり、子どもが産まれれば自然と家族愛が芽生え、自分のことも愛してくれるだろうと期待をしていた。
そんな期待とは反対に、クラウディアが産まれてからレオナードは屋敷を留守にするようになった。
別に欲しかったわけでもない赤ん坊にどう接していいかわからなかったのだ。
結婚するまで付き合っていた仲間は、毎日酒場で酒を飲み明かしたり狩りをして遊びまわっている。
自分もそうだったはずなのに、シャルリーヌに目をつけられたばかりに侯爵家に入れられ、訳も分からない政治に関する仕事を押し付けられ、欲しくもない娘が産まれ益々自由を奪われて散々だ、と感じていた。
中々家に寄り付かないレオナードに、シャルリーヌは寂しさと状況が思うように進まない焦りから苛立つことが増えた。
どうしたらレオナードに好いてもらえるかばかりを考え、ドレスの新調が相次ぎ、化粧品や宝石を山のように購入し散財するようになった。
クラウディアの世話は乳母に任せ、クラウディアが泣けば五月蠅いと物に当たる。
そんなシャルリーヌの様子に侯爵家の危機を感じた従姉妹の夫であるロータス伯爵が、侯爵家を切り盛りするようになった。
そんな日々が日常化しクラウディアが2歳になった頃、月に一度帰ってくればいい方であるレオナードが産まれたばかりであろう赤ん坊を抱いた若い女性を連れて屋敷に帰ってきた。
レオナードの帰りを心待ちにしていたシャルリーヌが怪訝な顔で女性を見ると、レオナードが重そうに口を開き、女性を紹介した。
「彼女はマリサ。ブランシェット家のメイドだ。」
ブランシェット家からメイドを引き抜いてきたのだろうか、そう思いシャルリーヌはマリサを下から上までじっと見つめた。
マリサは少し震えているようだった。
彼女の髪は手入れが行き届いていない傷んだ赤毛。抱いた赤ん坊も同じ赤毛だった。
でも、その赤子の瞳の色はクラウディアと同じ澄み切ったガラスのような青色だったのだ。
そう、その色はレオナードの瞳の色だった。
レオナードの帰宅を喜んだのも束の間、その赤ん坊を見た瞬間シャルリーヌの表情は絶望に変わった。
声にならない声を出すと、レオナードはシャルリーヌから目をそらしてこう言った。
「先月産まれた、彼女との子だ。クラウディアの妹だよ。名前はマリサと相談してニコレットにしようと思っているんだが…」
そこまで駆け足のように話したレオナードに向かって、ティーカップを投げつけた。
カップはレオナードの足元で割れ、入っていた紅茶がレオナードとマリサの足を濡らした。
カップだけでは怒りは収まらず、紅茶が入ったままのポットや茶菓子が乗ったまま皿、ソファーにあったクッション、先ほどまで持っていた手鏡、香水が入った瓶、手に届くものを悲痛な声を上げながら次々とふたりに投げつけた。
屋敷に向かう前から震えていたマリサは限界だった。
赤ん坊を抱きながら自ら膝をつき、体を折って何度も額を地面に叩きつけた。
「奥様!奥様!!本当に申し訳ございません!!わたしは許されないことをしました、申し訳ございません!!!」
マリサは土下座をしながら涙を流し、大きな声で謝罪をした。
その声は先ほどまでの大人しい彼女からは想像もできないくらいの声量だ。
「でも…でも、どうか命だけはお助けください!この子の母親でいたいのです!お願いいたします!!」
子を守ることに必死なマリサと怒り狂い暴れるシャルリーヌに挟まれ、情けないがレオナードはどうすることもできなかった。
ひとしきり暴れたシャルリーヌは息を上げながらソファーに力なく座り込んだ。
「クラウディアの妹?ニコレット?ふざけないで頂戴!お前は平民でしょう!?由緒あるフランチェスカ侯爵家の娘であるクラウディアの妹になどなれるわけがないでしょう!平民ごときがニコレット?冗談じゃないわ!貴族しか4文字以上の名を付けられないのを知らないのかしら!これだから教養がない人間はダメなのよ!恥を知りなさい!」
シャルリーヌがそう大声を上げると、マリサは震えながら小さい声で申し訳ございませんと謝罪を続けた。
レオナードは動揺しながらもシャルリーヌを落ち着かせようと近づくが、シャルリーヌがさらに怒号を上げる。
「汚らわしい!よくもわたくしを裏切って平民なんかに手を出したわね!!偉そうに、自分が侯爵にでもなったおつもり?!あなたはもうわたくしの夫でもクラウディアの父親でもない、離縁できたらどんなに幸せか!今すぐにでも陛下に謁見して法律を見直してほしいくらいよ!あなた達ふたりとも、その子どもも、二度と侯爵家に足を踏み入れないで頂戴!!三人で暮らせばいいわ。その代わり侯爵家からは何の援助もしないわ。お義父様とお義母様に情けなく泣きつきなさい!!!」
レオナードは返す言葉もなく、マリサを立ち上がらせて二人は足早に屋敷を後にした。
先ほどと打って変わって静まり返った部屋で、シャルリーヌは大きな声を上げてただただ泣き続けた。