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アシュハイムの主がいるはずの予備プールは、他二つのプールとは異なり、都市にかかる橋梁の先にある。橋梁はやや海にせり出して建てられた古い館風味の城に接続されていて、プールは名前の通り、先ほどまで居た棟のプールの予備動力として運用されている。その程度のことしか知らない。
橋梁へは、城からだと政治部門の棟を経由する必要がある。都市内部にもいくつか橋にあがる用の接続塔があるが、海が近い南門の方にある。別館の入り口は橋以外にもあるが、それも都市の中だ。これだけ城の中をうろついた後に都市に降りるのは良い考えではない。
やはり、扉以外の動力は死んでいるらしく、政治部門への立ち入りのための認証は壊れていた。政治部門に立ち入ったことはあまりなかったが、他部門よりも一階層が縦に長く、天井が高いため格式高い雰囲気に思えた。だが、今はやたらに豪華な敷物が血や体液に塗れていて見苦しかった。借金の証書や何等かの文書を抱えて死んでいる人間が沢山いた。封鎖扉はこれらの文書を守るためにも重要だっただろう。証書を燃やそうと城に入る人間は年に何人かは必ずいるという話だ。
静まり返った棟内に俺が走り回る音と、徘徊者の足音だけが響いていて不気味だ。他部門と比較しても機密の情報が多いからか、構内図がどこにも見当たらなかった。橋梁に出る扉は5階にあるはずだが、階段がどこにあるのかわからない。議場や法廷のある2階、3階はゲールクリフに連れまわされただとか、そのほか色々で立ち入ったことがあったから迷わなかったが、それ以降の階層では片っ端から扉を開けてまわる羽目になった。4階から5階にあがる階段、昇降機がどうしても見つからず、徘徊する発狂者に話しかけるほど迷うことになった。話しかけても無論、無駄だ。
灰の山で、ここにも封鎖扉が作動したのだろうとわかる箇所がいくつかあった。迷っている時間が長くなるにつれて、カイエは本当に別館にいるのだろうかと疑いの気持ちが強くなってきた。今からでもさっきの棟に戻って探したほうが建設的なのではないだろうか。今通った廊下を、数秒の入れ違いで彼女が通ったのではないか。そう思うと足が竦んだ。
まだ、時間はある。彼女が動ける状況ならば、俺と出くわさなくたって封鎖扉が壊れたことで逃げ出せるようになった。大丈夫。彼女はしっかりしている。
5階への階段は2階にあった。吹き抜けを作ったせいで妙なことになってしまったたようだ。
「ふざけやがって」
うっかり叩いた階段の手すりが折れてしまった。
「……」
ちょっといい木で出来ている。勇者部門の手すりはささくれだらけだというのに……。
ようやく5階にたどり着いた。階段を上がってすぐに認証付きの扉がある、癖で身構えたが、壊れているので進むのに支障はないことを思い出した。扉を開けると、中は展示所のような内装になっていて、久しぶりに悪臭のしない空間に出たように思えた。
広々とした内装のあちこちに立ち入りを制限する赤いロープが張られていて、室内には模型やその解説板が置かれている。内容からして機関外部の人間向けの展示だ。
思い出した。別館と接続されているこの5階は一般公開されていて、いくつかの歴史的な資料や、別館の建築に関する展示などが置かれている。橋梁は都市を一望できる箇所としてそれなりに人気がある。橋のついでにここに来る人はいなくはない。(橋が長すぎて戻るのが大変だから少ない。)
ロープをまたいで橋への接続口を探す。案内板に従うだけでよさそうだ。方向を確認して走った。横目に動力プールに関する展示が映る。既に読んだことがある。再読する価値はない。
扉を開け放った。雪が降り始めたようだ。ヒューという音とともに室内に粉雪が迷い込んだ。橋はこれでもかというほど長い。ところどころ晴れた重く灰色の空に、吹きすさぶ風で冬季祭の色とりどりの旗が乱暴にはためいていた。冬季祭りは中止だろう。
大剣を持っていない分、いつもより楽に走れる。肺に冷たい空気がしみ込んだ。耳と鼻が冷たいが、淀んだ城の中よりもずっと良かった。まっすぐ前を見ていないと、かなり高い位置を走っているのが目に入ってしまう。それだけではなく、城付近に封鎖が敷かれていて閑散としているのも、否が応でも目に入ってくる。例年なら冬季祭に関しての申請やらなんやらで相当にぎわっているはずなのだ。ようやく、混乱を遠くから眺めて、酷い現状に気が付いてしまったような気分になって泣き叫びたくなった。
別館はまだ遠い。
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別館にも数名の犠牲者がいた。本当にフェルミは動力プール間近以外の個所は回ったらしい。どれも倒されていた。
切り立った崖に作られたこの建築物だが、土台の崖には海蝕洞が形成されていて、中央が保有している船舶の多くはそこに保管されていたはずだ。あまり大きい船はないはずだが、アシュハイムの主を運ぶのに使ったあれはかなり大きかったなと、晴れた日が脳裏によぎった。あの時はまだ秋だった。
戻りたい。
別館は中庭を囲むような構造で作られていて、橋と繋がる扉正面の窓から中庭が見えていた。ここには構内図があった。橋やさっきの5階と同様に一般公開されているからだろう。どうやらここは3階で、プールはこの建物でも地下にある。昇降機は中庭にあるようだ。
階段は正反対の廊下の側にある。窓から飛び降りた。
枯れつつも手入れされている低木の並木を駆け抜けて、昇降機に飛びついた。これも魔法具の一種だから、俺では一般的な呼び出し方法が使えない。扉を叩いて検知してくれる仕掛けがこれにも導入されていると祈って実行するが、動きがない。そもそも、動力が切れているから動かないのではないだろうか。さっきまでその方が早いからと階段を使っていたせいで気が回らなかった。
カイエを城に連れてきたときは、見栄をはって昇降機を使った。鼻で笑えるような見栄だ。カイエが知らないことを知っていると、中央は面白い場所だと、そんな傲り。
「……クソ。」
昇降機以外の手段が必ずある筈だ。だが、構内図には特に書かれていなかった。こんなところで足止めをくらうとは。この建物が作られたのは城と同時期だが、動力プールが作られたのはローレンツ殿が執政官になった後で約10年前だ。その後に地下に設備を増設したのであれば、この建築物から地下に降りる手段を残していない可能性がどうにも否定できなかった。
「無駄足か……」
昇降機の動力が駄目になっていて、階段もないなら、カイエも降りられるはずがない。膝を抱えた。もう探すべき場所が思い当たらない。指輪をつまんで眺めた。
「カイエ。……エンデ。」
ダメ元で呼びかけてみる。返事はない。雪がはらはらと舞っている。
これが約束を蔑ろにしようとした罰か?死んでほしくないという祈りを無下に扱った報いだろうか?ならもう十分だ。
君が生きていなければそんな約束意味がないじゃないかと、ため息をついた。俺に価値はない。もしあるならば、それは周りの人間の値打ちだ。握りこんだ指輪が冷たい。どうしてこんなことになったんだろうか。因果など存在しないだろう。あったとして、カイエは絶対に無関係だ。
唐突に背後で昇降機がこの階についたことを示す音が鳴った。
「は……?」
振り返ると、音の示す通り、昇降機はこの中庭に口を開けていた。奇跡には相応の気持ち悪さが伴っていた。祈りも奇跡も祝福も、碌なことを引き起こさなかったのを見た。
「エンデ、お前か?」
相変わらず返事はなかった。
乗るしかないだろう。俺が足を踏み入れると、せかすように扉が閉まった。こうこうと音をたてて昇降機がおりていく。ここを降りるのは初めてだ。昇降機は問題なくしばらく降下した後、止まった。
扉が開いた。予備プールの放つ薄い紫の光が天井を照らしていて、足音一つない。
「カイエ、……カイエ。いるなら返事をしてくれ」
数歩歩いて、プールを挟んで向かいに人がいるのに気が付いた。だが、カイエではない。彼女よりも背が低い、エンデやルキと同じくらいの背丈の、少年か少女か判別のつかない容姿の人物だ。生気のない白すぎる肌に紫の薄明りが反射していてあまりにも不気味だ。
「あんたは……。魔法兵器だ。」
向かいの人物は笑みをたたえたままゆっくり頷いた。
「怖くないのかい。」
エンデも、ルキも目の前のこれも似たようなしゃべり方をする。
「それどころじゃないんだ。カイエを見なかったか?水色の髪で赤い目の女性だ。」
「……幸せな、あの人たちの子供だろう。生きているよ。都市を魔法で包むのに協力したのは私だ。」
「あんたが、ヘレネ。……アシュハイムの主」
以前見たときと様子がだいぶ違うように思える。あの神聖な柱の姿はどうしたのだろうか。
「あれでは大きすぎるだろうよ。これは君の幻覚だ。実際には姿はない。君のエンデュミオンの助力を得て、今ここにいる」
ヘレネはクスクスと小さく笑った。構内は広く、俺の声は反響したが、ヘレネの声は全く響いていなかった。
「動力プールの漏洩はあんたらが起こしたのか」
「違うさ。僕らが人間に好んで害を与えると思うのかい?まあ、海にすべて沈めようとした私の言えたことではないかもしれないけれどね。」
「カイエは?無事なのか。」
「保証しよう。」
それなら、と言いかけて口を噤んだ。ごく軽いめまいがした。何らかの魔法が発動したような音がする。
「早くことを済ませよう。」
ヘレネがこちらに歩いてきた。足音がしない。俺の横まで歩いてきて、一段高くなっている箇所に腰かけた。俺にもそうするように示した。漏洩の現場だというのに、先ほどの眩暈以外に何も異常はない。それがかえって不気味だ。
「あの時は、海に沈められたあの人たちの意識と混ざってしまってね。私自身、怒りが抑えられなかった。でも、あの人たちも、私も、ただ帰りたかっただけなんだ。」
「あの人たちというのは、エリスとミケラゴーシュ……」
「それに小さいアンナと、オルクス。カイエゲルダの母親と父親だ。娘を人質に取られてカテリーナの企む政変の火付け役になってしまった。」
初めて聞く名前だ。カイエは知っているのだろうか。
「あの子は、私たちを止めてくれた。今は心の底から良かったと思っているよ。あの人たちの大切なものを壊さずに済んだ。」
ヘレネが先ほどまでいた場所に目線を向けた。カイエはあっちにいるのだろうか。
「だから、彼女の望みは叶えてあげたかった。歌を手伝った。でも、すべての扉を開けたまま維持できるほど私は安定していない。彼女を城から帰してあげられなくなってしまった。」
「ここまで連れてこられるなら、城の出口の方が近いだろう。」
「わかるだろう。意識はあったけど、外に出せない状態だったんだよ。」
ヘレネは指を組んだ。薄く笑みを浮かべていた口元がかたく結ばれた。嫌な予感で鼓動が早くなった。一度発狂した者は、二度と戻らない。
「……さっき無事は保証すると言っただろう。」
「保証はこれからの話だ。」
「……何が必要だ。」
治せるのなら、既にやっているだろう。出来ないのだ。何らかの理由で。
ヘレネは満足そうに頷いた。
「話が早い。まず、その指輪が欲しい。……随分決断がはやいな。もう少し渋るかと思ったよ。もし私が失敗したら君は彼女からの唯一を失うことになるんだぞ。」
「保証するんだろ。信じている。」
「……」
呆れたような顔をしつつ、ヘレネは指輪を大切そうに受け取った。どうあれ、俺よりもふさわしい持ち主であるように思えた。必要ならば猶更だ。元々、その指輪はヘレネからできているし、ヘレネが大切に思う人達の指輪だ。
「私が見返りを要求しているわけじゃないと思っているようだが、この指輪に関しては不正解だ。でも、ありがとう。」
ヘレネは胸の前で指輪を握り締めた。
「他には?」
「汚染を止めてくれ。魔法を安定させるために不可欠だ。」
「どうやって。」
それこそ、出来るならばやっていることだ。
「この暴走は、魔法兵器個人の境があいまいになっていることで起きている。動力プールという一つの器があったことで、何とか保っていたのが台無しになっている状態だ。だから、新しい器があればそれである程度暴走は収まる。もともと壊れているから、あくまである程度だが。」
「器に心当たりはあるのか?」
「エンデュミオンなら……何とかなるだろ?君は僕たち全員を正しいところに連れて行ってくれるつもりでしょ?」
ヘレネの語気が急に弱まった。しばらく、いつものように何の返答もなかった。
「無理だ。……無理だよ。ここまで暴走しているのを一気に引き受けるなんて無理だ。壊れる。今だって君が調整しているから何とか出てこられているだけで、暴走しないように必死なんだ」
久しぶりにエンデの声を聞いた。姿はない。震える、断ることにどこかに恐怖を感じているような声がした。ヘレネは悲痛に顔を歪めた。
「器になる条件は?」
「精神をおさめられればなんでも。私には出来ない。これは実体ではないから。」
ヘレネが答えた。……実に難しい条件だ。エウクライドが帝国から神を引き取って、聖域を体の代わりにしたのが状況的に近いだろうか。であれば、形は似ている方がいいのかもしれない。エンデにおさめられるのなら、人型の何かに目星をつけるべきだろうか。
そんなものがあっただろうか。人型で、(人間では駄目だろう。)魔法兵器に性質の似たもの。
「……政治部門が隠し持っていたあの、魔法兵器もどきは器にならないだろうか?恐らく数体はあるだろう。廃棄されていなければだが。」
勇者狩りの時に戦う羽目になった雑魚だ。あまりエンデやヘレネに似ているとは言えないが、人型ではあった。そして、盟約の剣が効いた。その点は似ているだろう。
ヘレネは何のことだかわからなさそうに首を傾げた。代わりにエンデがちいさく「出来る。」とこぼした。
「……検知できるだけで十数体ある。だがプールに少し足りない。その残り程度なら、僕が……何とかしよう。」
エンデが不安そうに言葉を濁した。
「頼めるか」
「大切なんだろう?」
「ああ。」




