23 エウクライド編はこれで終わりです。やったぜ!
水門の番人としばらく駄弁って、結局、ここから出られない件について特に新たな情報を得ることは出来なかった。
それでルキのもとに戻ってきた。
部屋の前で待っていたが、彼女の話は終わりそうになかった。それもそうだ。彼女の話のストックは1700年分あるのだから。そうと気が付いて、再びドアノブに手をかけて、しかし、それを下げることは出来ずにいた。
「ポリュデウケス、入るよ。」
「……お、おい」
どこからか現れたエンデが俺の手ごとドアノブを握って扉を開け放った。咄嗟のことで抵抗する間もなかった……本当にそうだろうか?エンデが面倒くさそうに俺の方を睨んでから、ドアを離れてどこかに歩き去っていった。
「……。」
ルキがこちらを一瞥すると申し訳なさそうに笑って、姉妹に何か言い聞かせてから立ってこちらに来ようとするので、俺は本当に自分が情けなく思えた。
姉妹の、姉の方はルキの離席を許さないのを隠そうともせず、彼女に引っ付いて話の続きをせがんでいる。
「続きはまた後でね。ロナも待ってて、すぐ戻るから……。」
ルキは宥めすかすように姉の方の頭を撫でて留まるように指示した。妹の方を見やると、相変わらず瞬きもせずに微笑みを顔に張り付けている。それでもルキを視線で追う時だけは少しだけそこに感情が混ざっているような気がした。
妹の方にどうにか謝らなくてはと思いつつも扉の手前で一歩も動けないでいる俺には、動かない自分の足が途方もない距離として部屋の奥までに表れているように思えた。ルキが10歩程度進んだことで、俺が奥に進む必要はなくなった。
「すまない。」
「いいや構わないよ。……ふふ。君は情報屋には向いてないかもね。他人の事情に首を突っ込みたがらないし、アポ取るために暴れるしさ。」
ルキは後ろ手でドアを閉めながら笑った。
「ここを出たいんだ。」
「……それなら、お願いがある。」
被せるようにルキが言った。
「たいしたことじゃない。でも、それをしないとここから出られない。私たちの目的は一致している。」
「聞こう。」
ルキが俺の腕を引いて俺を屈ませると、耳元に顔を近づけた。
「ロナを、地下に残されてしまった本体の方を殺してほしい。」
それだけ言うと、ルキは俺の肩を押して離れた。そんなことだろうと思っていた。猫のように大きなつり目がゆっくりと瞬きしてからこちらを見据えて、言葉に揺らぎがないと後押しした。
「どうして。」
「君にとっては、この都市にかけられた魔法の元凶が彼女だから。あの子が消えれば願いも、魔法も消える。魔法が消えない限り、ここからは出られない。私にとっては、その願いが彼女を苦しめ続けているから。それが理由だ」
「俺がやるのか。」
彼女は盟約の剣を指さした。
「その剣だけが不死に届く。私たち魔法兵器はそれに触れられないし、その鞘は持ち主にしか剣が抜けない様に魔法がかけられている。君にしか出来ない。」
この剣が再び力を手に入れるのを待っていたのはエンデだけではなかったようだ。
「……わかった。」
「よろしくね。クレフくん。」
ルキは俺の手を握った。ルキの手は血が通っていないのではないかと思うほど冷たかった。
「ポリュデウケス、君はまだ喋っていないことがあるだろう。」
俺の後ろからエンデの声がした。ルキは俺の手を放したが、表情は崩さないままだった。
「何故魔法に疎い君が、ロナノークが魔法の元凶だと知っているのか。君ではこの魔法は読み解けない」
「……相変わらず私に対していじわるだよね。読み解くまでもないのはわかってるでしょ。君も私も、同じ夢を祝福に転用しているし、一番の君が、一番不出来な私を残したのだってその祝福が理由なんだしさ。」
ルキは小さくため息を付いて、目をつぶった。
「クレフ、ややこしいから説明しなかっただけだよ。君を騙そうとしたわけじゃないのをわかってほしい。」
「それでも伏せるべきじゃない。願いの消滅はそれを支えている夢の消失を意味して、夢の消失はそれと体を繋げることで体の交換を可能にしている君の消滅を意味するのだから。」
ルキはバツが悪そうに顔を顰めた。
「……つまり、どういうことだ。」
「君がここを出るためには、あの子を殺さなくちゃいけなくて、あの子が死ぬと、私も消失するってこと。」
扉の方を見ながら彼女は答えた。
「なぜだ。」
「急に物分かりが悪くなったね!うーん……私の祝福は体を移し替えることで死を回避するものなんだけど。その過程で夢に自分を転写するんだ。それで、転写したものを新しい体に投影するんだけど、この時に原本があると自分が二人になってしまうから、原本を削除するんだ。そんな感じ。で、転写したものを保存している夢が消えるから私も消える……みたいな。……わかった?」
「……」
「わかってなさそうだ。」
「んふふ」
ルキが笑った。
「本来僕らの祝福がつながるべき夢が、少女の願いを介して魔王が神に干渉した結果、書き換えられてしまった。僕らの祝福は書き換えられた先の夢、つまりこの都市を支える魔法を利用しているから、ここがなくなると祝福もなくなる。これでどうだ。」
今度はエンデが説明を始めた。
「それじゃわかんないって。」
「なるほど」
「絶対分かってないって。」
ルキがやや不服そうに口を尖らせた。
「自分が消えると知っていてここに来たのか。」
ルキは頷いた。
「私一人で防壁が割れるだけの力があれば、ずっと前に来ていたよ。あの子が一人で泣いていることだけは、なんとなくわかっていたんだ。」
「他に何か影響はあるのか。」
「ついでに僕の祝福も機能しなくなる。」
「それじゃあ、あの中庭とそこにいる男は」
エンデが大事な勇者だと言った男。彼も夢の中の存在だ。
「未来永劫消える。僕は……別にいい。どうせ承知でここに来たんだろうし、その夢を僕が見ることは出来ないから。」
「俺は?」
俺が首をかしげると、エンデが答えた。
「もっともな疑問だけど、君には影響ないよ。重要なのは本体が夢の中かどうかなんだ。君の本体は現実にある。」
エンデが言い終えると、「ね?ややこしかったでしょう」とルキが苦笑いした。
「ルキ、その……ご主人なる人物にお前がいなくなることは伝えてあるんだろうな。」
「言ってないよ。言ったら行かせてくれないからね。」
「……。」
「大丈夫。私の事情は知ってるから、いなくなっても理解してくれるよ。」
ルキは笑顔でそう言うが、不安でしかない。
「というか、ご主人って誰だ。」
「東部フロンティア情報屋のドン。」
「ドンさんか。」
「……ドンは名前じゃないよ。さっきからどうしたの。調子悪い?」
「お腹が空いたんじゃないか?それか寝不足?人間の不調って大体それが原因だよね」
エンデが俺の顔を覗き込んだ。残念ながら空腹と寝不足は該当するが、調子は悪くない。
「寝不足と空腹はお前もだろ」
「僕は食べたりも、寝たりもしないからね。」
「……他にここから出る方法はないのか。」
「ないよ。」
もうここでやるようなこともない。……ここにいる理由がない。
「わかった。ロナノークに暴力を振った件を謝ってから行く。」
「本体じゃなくてあの子に?いつの話?」
「見えてなかったのか。お前が防壁を超える前にちょっと戦闘になって。」
「もしかして、私が君を連れて逃げたのをロナが怒っているって、下層の話じゃないの?鎌で襲われたって、……そういうことか。それはぜひ謝ってくれ。今すぐ」
ルキは困惑した顔で扉の方を指した。エンデが「多分僕が魔法を展開していたせいで君がロナノークを傷つけていたことに気が付いていない。これにはそういうところがあるんだ。」と俺の頭の中で語った。
扉を開けると、待ちわびたと不服そうに頬を膨らましているレナノークが妹の手を引いて走り寄ってきた。姉妹の仲の決裂もそれほど酷い事態にはなっていないようで少し安心した。安心するとともに、そう簡単に和解できるものか?という疑問もあった。そもそもちゃんと和解したのだろうか?
「君が気にしなくても彼女たちはしっかりやっているよ。」
「そうか。ならよかった。」
俺とエンデが小声で話している間にルキがレナノークの手を引いて、部屋から出した。エンデ、俺、ロナノークだけが部屋に残った。
部屋の中腹まで進んだところで急激に空気に緊張が走った。両手で数えられないだけ鎌が生成されて、俺の四方を囲む。……動きはない。
「……君が力を引き出しすぎては都市の魔法が尽きてしまうよ。ただでさえ密封が不安定なのだから、今それを動かしてどうなるかは、わかっているよね。」
エンデが諭すように言うと、初めてロナノークが悔しそうに表情を動かした。宙の鎌が消える。最初対峙したときに全力を出しきらなかった理由はこれか、と合点がいった。
「君を酷い目に合わせた。すまなかった。」
どう切り出して良いかのか、また謝ってすむものかもわからない。ただ、謝らないよりはずっと良いと思った。
「……」
「あなたが来なければ、ポリュデウケスは消えなくて済むんでしょって。」
エンデがロナノークの方を見たまま、そうつぶやいた。喋らない彼女の代わりに俺に言葉を伝えてくれるらしい。確かに俺がここで死ぬか、諦めればルキは生き続けるし、出て行こうともしないだろう。
「君は何を願ったんだ。」
「この子はまた会いたいって思っただけだよ。それが何を引き起こすかなんてわかる筈もない。」
エンデの声がいつもより沈んでいるように思えた。
「この都市が続けば、ポリュデウケスは私を気にかけ続けてくれる。それだけで良いんだって。ああ、……こんなの不毛だよ。早くいこう」
エンデが立ち去ろうと背を向けた。
「ルキは、君が願いの中に閉じ込められて泣いていることに心を痛めたんだ。」
ロナノークは俺を睨みつけて、鎌の柄に矢をつがえて構えた。最初に小道で射抜かれた、あの攻撃だ。何度見ても、やっぱり魔法ってなんでもありだなという思いに駆られて、苦笑いする。
「君もきっと自分のせいで友達が悲しんでいたら嫌だと思うはずだ。だって君は……姉とルキが楽しそうにしているのを止めたりしなかった。自分を死に追いやった姉だ。それでも止めなかった。」
一緒にいる時だけじゃない。姉がなり替わってルキに接触したのを知っているのなら、襲撃するタイミングだっていくらでもあったはずだ。
「君は優しいから。違うか?」
ロナノークは何も答えなかった。エンデも何も言わなかった。エンデの協力がないのなら、これ以上の意思の疎通は不可能だ。
彼女に背を向けた。一本の矢が、俺の耳のすぐ横をすり抜けていった。
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ルキは俺と一緒に下層に行くつもりだったらしいが、ロナノークが彼女の服の裾を引いたのであの部屋に残ることにしたようだった。
下層の重い扉を開いた時、エンデがあり得ないものを見るような目で俺の方を見ていた。その後もしばらく口を開けて俺のことを見ていたが、そのうちこらえきれなくなったように肩を震わせて笑っていた。何がそんなに面白いのかわからなかったが、エンデが面白がっているのなら良いか、という気持ちと、笑い声を聞きつけたロナノーク本体に襲撃されるんじゃないかという気持ちで板挟みになりながら下層の階段をいくつか降りた。
端的に言うと迷った。暗い道の中で方向感覚を完全に喪失した。エンデは窓の部屋を目指せと言った。
迷路では左手を壁についたまま進むと出口にたどり着けるという法則があるそうだが、ルキとたどり着いた下層のあの窓の部屋は迷路の内側にある。ゴールが迷路の外ではない時には左手を突いていても出口にはたどり着かないという話も聞いたことがあった。確かめたことはない。頭の中に小さな単純な迷路を思い浮かべて左の壁に沿って進んだ。
……こういう時に、理論を拡張して応用しようと思うよりも、暗くて怖いな!という気持ちになる自分はやはりたいしたことのない人間なのだと、やたら悲しくなった。エンデが冷たい目で見ていた。役に立たない。
ともかく、迷った。
あの少女は毒を飲まされて声が出ない状況でこの暗闇の中をふらふらと歩き続けたのだ。歩き回っている内に、ここが生贄を閉じ込めて、死なせるために作られた空間なのかと思い当たって、背筋が冷たくなった。そして、目で見ると正気を吸われるらしいロナノーク本体と曲がり角で出くわすのではないかという不安がずっと付きまとっていた。
曲がり角に差し掛かるたびに、あの時はけたたましく這いまわる音がした、今はしない。だからあれはいないと言い聞かせて目をつぶってから一歩踏み出した。
エンデはやはり冷たい目で見ていた。役に立たない。それよりも、人間離れした美貌のせいで振り返ってエンデが目に入るたびに心臓が跳ねて冷や汗をかくのだ。想像してほしい。夜道を歩いていて嫌な予感に振り返って、人形が真後ろにいるのを見たときの気持ちを。単純に怖い。本当に怖い。
「手でもつなぐかい」
「目を離してお前じゃないものと手を繋いでいたらどうしようという気持ちになったから、遠慮しておく。それに俺が急に走り出したらお前の腕がちぎれるのは間違いない。やめておいた方がいい。大体お前は案内出来ないんだろ。案内出来ないのなら手を繋いでもらっても意味がない。こんなことなら戻ってルキを連れてくるべきだった。間違いない。今からでもルキを連れて戻ってこよう。最悪あの双子も一緒に連れてくればいい。いや、待て。彼女はここが故郷だから道案内出来ると言っていた。ということはお前もできるはずだ。おい、何故笑っている。」
「やけに早口だね。」
「……怖いんだよ。わかるだろ」
「暗いところが嫌いか?」
「ああ。」
喋りすぎた。気まずい。大変気まずい。顔が熱くなるのを感じた。
実際のところ、迷っていてもいなくても、戻るつもりも彼女たちを呼んでくるつもりも毛頭ない。ロナノークが下層の一番奥のあの部屋にいるらしいということの意味も、ルキがついてこない意味も、エンデが目的地は示しても案内しない意味も、分かってはいるのだ。
俺がそこにたどり着くまでの時間しか彼女たちには残されていない。俺がおびえて迷うだけ、彼女たちの時間は増える。それはわかっていた。
下層のどの階も入り組んだ壁は途中で途切れることなく迷路を形成していた。左手を壁についたまま迷路の中を一周し、右手を付いてまた同じように進むと、左手の時に通らなかったルートを進んで、迷路のすべての道を行くことが出来る。
そして、迷える道はだんだんと減っていく。
「……迷っていると言う割に同じ道を通らないと思ったよ。」
「残念ながら、理由なく留まれるほどの余裕が俺にはない。俺の暗いところが怖い話、聞くか?」
「うん。」
肯定の返事を返してきたわりに、あまり興味はなさそうだった。
「狭い昇降機……人を乗せて垂直に上がったり下がったりする機械だ。が俺が乗っているときに一番上の階から、地下まで落ちたんだ。途中で頭を打ったのか気を失っていて、気が付いたら真っ暗な箱の中で折れた足を抱えて、数時間ひとりきりになった。」
また曲がり角に差し掛かった。エンデが通路の先に走って行って、指さし確認をした。なんとなく笑えた。
「それで、故障に気が付いて助けに来た奴が、扉を思いっきり叩いたんだ。それでも全然扉は開かなかった。密閉されているせいで声が俺に届いていなくて、俺は混乱しているから……その叩く音で何かに襲われているように感じて、しばらく昇降機が怖くて使えなかった。今じゃ笑い話だ。でも、ここは暗いし……多分そんなことはないんだが、あれが這いまわる音がその、扉をたたく音に似ていた気がしてきて」
話終わったが、自分のことを話すのがやっぱり気恥しく、やめておけば良かったという気になった。気まずくてなんとなく耳を触った。
別のことを考えようと、現在位置について思いを馳せた。かなり歩き回っているのに他の階と違って階段が見当たらないので、ここが最下層かそれに近いのだろうと思う。
「それはいつ?」
せっかく考えを逸らしたのに、エンデが話を戻した。
「俺が8か9とか……それくらいだったと思う。はは、だいぶ前だ。」
見学だかなんだかで機関に連れてこられた時の話だ。思えば長くヴェルギリアにいるなと、不思議な感覚に襲われた。エンデはふーんと、興味がなさそうに相槌を打った。
やっぱり、たどり着くのもたどり着かないのも恐ろしくて、ぐるぐると回って、壁を剣で叩いてみたりしていると、自分が階の中心付近にいるのか、端にいるのかなんとなくわかるようになっていた。それで、ようやくルキと来た道を見つけることが出来た。どれくらい歩き回っていただろうか。距離で換算すると、監視拠点から、エウクライドまでを2往復くらいするほどだろうかと思われた。
漸く扉を見つけた。あの窓の部屋だと胸をなでおろすと、急に視界が暗くなった。
「な、なにを……」
「君、興味本位で目を開けそうだから。まっすぐ歩いて。」
右手を壁についたまま、エンデの言う通り進んだ。壁についた手が扉に触れた。
「扉を開けて。」
視界を奪われた。ここに来た目的はロナノーク本体の殺害なのだ。ベタベタと音を鳴らしてこちらを追いかけてくるあれをどうにかするのに、これで本当に大丈夫なのだろうか。
逆らうわけにもいかず、扉を開けると、部屋の中に無数の息遣いが聞こえるような気がした。無数の視線がこちらを見ているような気がした。何かが、うごめいている気がした。
「そこにいるのか。」
「いるよ。」
「なんで襲ってこないんだ。」
「さあね」
あの矢の一撃が最後の抵抗だったのだろうか。
俺が一歩踏み出すと、ざわめきが引き波のように部屋の奥に逃げていくような気配がした。
「怖がってるのか」
「さあね。」
今感謝した。目を閉じているだけだったら、開いていただろう。
「……ごめんな。」
こちらに向けられた視線が、気配が静かになった。ロナノークが目を閉じたのだと、そう思った。
1700年の魔法が、歪みが、こんな風に、こんなにも簡単に終わるのかと、目を固くつぶる。深呼吸をした。
腰に下げた剣を引き抜いた。鞘と刃の擦れる音が響いた。
「あなたを殺せなくて良かった」
子供の、まだ滑舌の幼い声が聞こえた。手が震えている。
息を吐いて、
振り下ろした。
お疲れ様でした。




