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「それで、水門を破壊した犯人は修復されるからいいと思った、などと供述しています。神官様、いかがなさいましょう」
「どのような処分を下すにしても、高貴な方を連れているのであれば、私が出なければならないでしょう。まったく、巫女は逃げるし、お忍びで兵器が来るし、うんざりですよ」
神官は本日の当番であることを嘆いた。大きくため息をつくと、広くよく讃えられるその角と長い髪を鏡に映して指で整え、満足げに頷いて広間の扉を開いた。
本来、聖域は聖職者と巫女にのみ許された領域であるが、この広間は謁見や陳情のため、市井に開かれている。
下品で粗野な人間が3人、哀れな水門の番人が1人、神の子が1体。神官はその形の良い眉を顰めた。いくら開かれているといえども、下劣な人間がこの広間に入り、また自らの視界の端を汚したことも許しがたかった。
神官は裾を直して客人を対応するための椅子に腰かけた。その優美さは高名な画家をしても損なわずに描き切ることはできないであろう。
「陳情の時刻はとうに過ぎています。本来であれば明日を待ち正式な手続きを踏まなければならないのですよ」
「申し訳ありません。神官様の公正さと寛大なお心をありがたく思います」
水門の番人の従順な態度に神官は気分を良くした。
「そこの人間」
人間は三人。神官は水門を破壊した者がどれであろうと構わなかった。そもそも見分けがつかないのだし、つける必要もない。ただ己の矮小さと下される罰を恐れていれば良いだけの存在である。
「どっちだ?」
それが、口答えをした。
「――処刑」
「危ね」
「避けるんじゃねえ馬鹿!不敬なのそれ!」
光の槍が人間の首をすんでのところに突き刺さった。避けた人間を水門の番人が叩いた。神官は困惑した。確実に首を撥ねるはずであった魔法が避けられた、神官にのみ譲られている神の処罰を、縛られている人間が避けうるはずもない。神官は己の白く美しい手を見て、罪人であるはずの男を見た。槍はしばらくして輝きを放って消えた。
「エンデュミオンの客人に手を出したね!」
人間のうち、女が口を開いた。神官は混乱に、怒りと名を付けた。人間が、神の子の名を呼び捨てるなどあってはならない。
「おお、不死なる神よ!高貴なる方よ、何故そのような者とともにおられるのですか?」
神の兵の中でも最も優秀とされた個体はそこにいるだけで他の光景が霞むほど見目が良い。神官は陳情に来るのがこのように美しい者だけであればよいのに、と思った。
「僕もよく知らない。それから、勘違いがあるみたいだけど、この女は女の肉をかぶっているだけで中身はポリュデウケスだよ」
「変な言い方しないでくれるかな」
女がエンデュミオンに向けて怪訝な顔をした。
「し、失礼いたしました。」
どうしてそのようなわかりにくいことを。そして、そうだ。神の兵は思考を読む権能を持っているのだった。
「権能じゃなくて魔法ね。君がなぜか三人称視点っぽく、やたら自分の容姿を讃える描写を入れていることも筒抜けだよ」
「!?……ぐ……」
「へえ、その人そんなことしてたのか。冷静になれて良いかもしれないな。今度から俺も三人称視点で思考を」
「やめてくれ」
「うん。やめてほしいかな」
「殺さないで……違うんです……やめてください」
「口を慎めよ!ここは聖域だぞ!」
眩暈がした。あまりにも混沌としている。こんな、こんな者どものせいで私の休憩時間は削られたのか……?私が何をしたと言うのだ。他の怠惰な神官連中の仕事をも引き受け、片づけ、市井の声に私が最も頼りになる神官だと評され、陳情が増え、ちょっと失敗しただけで評価の減少分が他人より多い。
真面目にしているだけで何故私だけ仕事が増えていくのだ?何故割を食う。枝毛が……増える……。
「わかったぁ!あなた神の処罰を避けましたね!神判によりあなたは無実です!」
「あれ神判だったのか」
「あなたは水門を破壊していません!!第一修復されてしまいますから証拠がないじゃないですか!!そうですよねぇ!番人!あなた困っていませんよねえ!」
「神官様……疲れちゃったか?」
水門の番人とは結構長い付き合いだ。多少融通が利く……だろう。
「おお、あなたこそ末法の世を照らす光……魔王を倒すものに違いありません!あらゆる罪の許された者!だから神の子が付き添っていらっしゃる!」
立ち上がって大げさに礼拝する。こんなに大声を出したのは久しぶりだ。
「あ、魔王について聞きたいんだ。それでここに来たんだが」
……きょ、狂人のふりが効かないだと!?
「番兵!客人を全員まとめてその辺の部屋に丁重に案内なさい!」
控えていた番兵がすぐに扉から現れた。……もう一秒でも早くこの場を閉じたかった。
――――――――――
「ルキ、少し答え合わせを良いか?」
「はいはい。」
エウクライドの住人である番兵が同室にいるため、ルキを呼んで小声で話すことにした。宛がわれた部屋は5人で使う分には密談するのにも十分広い。窓際に置かれている二対の椅子の片方にルキを座らせて、俺はもう片方に座った。
「この都市は、外と……中央が定めた暦で言うと645年とその、時間がずれている。この認識は正しいか?」
「あってるね。」
「どれくらいズレてる?」
「多分1700年ちょい。私も正確には分らないかな。数えてないし。でも今この都市の季節は春だよ。変なことを覚えているものだね」
やはりここは1700年前のエウクライド。都市が異様な力によって運営されているおかげで古代であるということを認識させなかったのか。神殿の内部も特に古めかしい印象は受けない。むしろ水準は中央よりも高度に思える。
「成り立たせているのは魔法だが、その魔法には限りがある。」
「え?」
肘をついて窓の外を見ていたルキが急に顔を顰めた。
「ないのか?」
「……いや。終わりを見たのかい?だったら、防壁の破壊か、あの例外の部屋に関係しているかな。ちょっとわからない。魔法を枯らしたのはどうせエンデュミオンだろうし……」
「ありがとう。十分だ」
席を立つ。
「もういいのかい?」
ルキが座ったまま見上げた。
「悪いが、ここまでしかわかってない。後はなんだ。なぜ滅びたのかを考えるべきか?」
「いいんじゃない?」
「俺はちょっと出かける」
ルキは、はーいと言ってまた窓の外を見始めた。高いな~と独り言を言っている。
「エンデ、ちょっと来てくれ。……問題ないよな」
「いいよ。次は何を壊すんだい?」
部屋の隅の椅子にちんまりと座って半目でこちらを見ているエンデに声をかけた。立ち上がって、ゆっくりついてくる。
「あ!やめろ!勝手に聖域をうろつくな」
扉を開けて外に出ようとしたところで水門の番人が椅子を弾き倒す勢いで立ち上がり追いかけてきた。
「よくわからんが、俺はすべての罪を許されているらしいから、聖域をうろついても良いんじゃないか。」
「じゃあ、いいか……」
いいらしい。よくないだろ。
「結局神官から魔王についても聞けてないし、巫女も見つけられてない。神官の方は絶対ここにいるから置いておくとして、日が暮れる前に巫女の方を保護……保護?」
「じゃ、引き続き巫女探しか。わかったよ。」
「ああ。協力よろしく。」
すぐに人気のない路地に隠れる少女を探すのは骨が折れるだろう。夜では猶更だ。実際、ここに拘束される以前、結構少女を見ていないか聞いて回っていたのだ。全く目撃情報は出なかった。
「そうだ、エンデ。何故ここで最初に会った時俺を攻撃したんだ。」
少女が攻撃してきたのも、エンデが攻撃してきたのも未だやや理由がわからない。まだ都市に対して何もしていなかったはずだ。
「神の作ったものに従う……いや。違う、忘れていたよ。攻撃されないと思うのかい?君、子供の首絞めていたんだから。」
「……。」
「そうだ。僕としたことがすっかり忘れていた。……なんで僕この人間を生かした?ありえないだろう」
「……」
「黙るな。どうすればいいんだろうね。裁かれない罪というものは。何も損なわれないのに、この都市も病と歪を生むだろう。人間は難しいね。」
「あの子供が何故俺に刃を向けたのかを教えてくれないか。」
「君が刃を向けたからじゃないのか?」
苦虫が口の中で動き回っているような気持になった。すべての言葉が言い訳になり果てる。だが、あの降り注ぐ鎌と矢は少女のなせる業ではない。あれは一体何だったのか。エンデはその事情は知らないようだ。
「鎌と矢か。」
俺の思考の一部を拾ってか、エンデが考えるように口に手を当てた。
「……何か心当たりがあるのか」
「神に作られた僕らは、君たちの武器で類するところの槍を主に使う。神官の力も槍を模している。君、嫌いかもしれないけど、神話でも語るかい」
「ぜひ聞こう」
聖域の上層部から中層……都市へと降りる通路に至るまでの内装もどうにも似たり寄ったりで今どこを歩いているのかいまいち検討が付かない。
「帝国の塔を見たことがあるかい?」
「ある。晴れた日にはよく見えるあの白いやつだろ」
「あれが槍なんだ。僕らが攻撃手段として槍を用いる根拠のようなものか。」
神大きくないか?いや、小さいのか?
「……神大きくないか?」
「神は自らの体で飛来した外の何かを刺した。あれは殻だ。僕もその当時を見ていないから、詳しいことは知らない。知る由もないんじゃないか。」
つまり帝国崩壊後の塔荒らしは神の体を荒らしていたのと同義か。その直後に闇が発生したと言うが、神は触らない方がいいものだな。魔王が発生したのも闇と同時期だと言うではないか。人間、知らないで要らんトラブル起こすな。
争って得た神の殻を囲って、新たに神を語って、打ち捨て闘争の糧にする。なんだか、やっていることのすべてが無意味の絵空事だ。どうにも勝利は全て空虚であり、生まれた被害だけが実体のあるもののように思える。人間がいるのは暗い道だな。
「で、鎌と矢は関係あるのか?」
「話を出しておいて悪いが、確実なことは何も言えない。……ともかく槍は僕らの神の象徴であって、それ以外の武器を使うのであれば味方じゃない可能性が高い。」
魔法がエンデ達の神に由来するものであるのなら、鎌や矢の勢力の使う力は魔法ではないのだろうか。とはいえあれが人間に扱える力でないことは確かだろうし、エンデのところの神に匹敵する存在が他にもいるのか?まあいい。敵対したらその時は敵だ。己の力で敵わなければそれまでだし、深く考えなくていいだろう。
「はえ~」
「なんだいその間抜けな返事は。また思考放棄したね。そういうところだぞ。」
「ともかく、少女に襲撃されて都市の修復によって埒が明かないからあんなことを」
「ふん。」
エンデはそっぽを向いた。エウクライドに来る前のエンデは頻繁に姿を消したが、今のエンデはあまりそうしない。歩くのもそれほど苦ではないようだ。俺が速足で歩いてもついてくる。
「……そうだ、お前都市の魔法のおこぼれで祝福を成り立たせていると言ったよな。」
「言ったね。」
「あの中庭はどこなんだ?ここじゃないよな」
エンデの足が止まったので振り返ると表情を凍りつかせていた。その後顔を顰めて俯いたが、すぐにいつものけだるそうな笑みに戻った。
「どこだろうね。そこで誰か見たかい」
「白髪で髪の長い男がたまに出てくる。」
「そうか。……僕も変なことをするなあ」
エンデが独り言のようにつぶやいた。
「1回目と10回目で遭遇したから、次会うとしたらもう10回死なないといけないかもしれない。この都市が壊れる前に10回死ねるだろうか?一応また話を聞いておきたいんだ。いや、忘れてくれ。あれは誰なんだ?」
エンデが再び歩きだして俺の先を進んだ。
「……勇者だよ。僕らの大事な」
1700年前に死んだというその人か?祝福の効果で一命を取り留めたという状態なのか?夢の中で一人存在し続けているのも考えるとぞっとする話だ。
「なんであんなところに。」
「さあね。僕の知らないこれからに、何か悪いことが起こっただけさ」
慣れ親しんだ表情だから違和感がなかったが、この顔は「いつものエンデ」がする顔だ。過去のエンデはもう少し真面目そうな顔をしている。かといって、中身が入れ替わっているわけでもないだろう。なんだか要らんことを吹き込んでしまったようだ。
「そろそろ地表か?」
話題を切り替えようと現在位置について質問してみる。窓がないから本当に高さがわからない。
「そうだね。あの子が見つかると良いけど。」
「なあ、お前、祈って全部解決できないのか?」
「……死なすぞ。あれは特例中の特例なんだ。易々とできるものではないし、何より不確実だ。それにあれのせいで今すごく具合が悪い。魔法にも制限がかかってしまっている。」
「支障なく魔法を使っているように思える」
「そんなことはない。攻撃魔法とごく簡単な意識への改竄と介入くらいしかできなくなっている。すごく気分が悪い。」
逆に他に何があるんだよ……。
聖域の出口は一直線だから、巫女が2人の番兵に両脇を固められ、連行されているのはすぐに目に飛び込んだ。
「いたね。」
「いるな。タイミングが良い。」




