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観測地帯から望遠鏡で覗いていた白い何かに変化があった。
白亜の巨大なドーム状のそれにヒビが入ったのだ。瞬く間に繭はほどけ、内を外気に曝した。それが静かになるまで唖然としていたことに気が付き、監視対象が何かしただろうかと思案が追いついて詳細報告のために腰を上げた。長い道を先日のように何かあれば引き返すつもりだったが、特に脅威に遭うこともなく、その廃墟にたどり着いた。
流れる水は腐敗していた。この周辺地域の腐敗はここが源泉であるようだ。植物を模した何かの施された庭園のようなオブジェがあちこちに落ちている。崩れた廃墟がそこにあるだけだった。一体あの繭はなぜこの廃墟を隠していたのだろうか。神竜の地エウクライドは確かに滅びていた。
踏み入れたのは監視対象が先だろうが、私も報告者として何かしらは到達した証拠を持ち帰らなければならないだろうと、周囲に視線をやった。地面に突き刺さるように崩れている建物がエウクライドの聖域というものだろうか。文献情報ではこれをモデルに神殿という建築物が波及したらしいが、あまり似つかないように思えた。帝国の首都に聳える塔の方に印象が強い。どこも崩れてはいるが、繭のおかげか保存状態は良い。これはまずどの部門に伝えるべきか慎重になるべきか……。
監視官の職務上あまりあってはならないことだが、今回に限っては監視対象にコンタクトをとっておいた方が良いと判断した。対象には適当にごまかせばいい。ともかくエウクライドの報告で混乱を生まないことが重要だろう。下手なところに漏れるとこの廃墟の歴史的証拠は全て処分されてしまうかもしれない。
これほど崩壊した場所でまさか建物の中にはいないだろうと周囲を巡ったが、監視対象はどこにもいなかった。観測地帯に戻って、そこで鉢合わせることを期待する方針を固めた時、塔の頂上あたりに魔法めいた何かが展開していることに気が付いた。
傾いている塔の頂上は簡単に登れそうだった。やめておけば良いものを、好奇心が勝った。
頂は風が強く、何を見たのかはよくわからない。魔法の濃度が高く、近寄ることは出来なかった。綺麗な灰色の何かが祈るように指を組んでいるのがわかって呆気にとられた。その後、それに抱えられたあちこちが人間の可動域を超えて拉げた、どう見ても死んでいる監視対象が目に入って絶句する。自分が今神聖さに心を奪われていた場面は単なる凄惨な事故の現場に変わって、そうなると超越して美しい灰色が急に恐ろしく思えた。
声をあげて逃げようとしたが、気付かずに強力な魔法の影響下にいたせいか、視界が歪んできて、数秒も持たずに意識を手放しかけている。それにしては満足な気持ちで目をつぶった。最後に人が祈っているのを見たのはいつだろうか。自分も帰ったら何かに祈ってみようか、そんな場違いな感想とともに視界は暗転した。
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気が付くと、白い都市にいた。目の前には先ほどとは比較にならない高さの聖域が聳えていて、足元の水路を澄んだ水が流れている。
茫然とするほかなかった。あれは、自分が先ほど見たものは何だったのか。それ以上に今自分は何を見ているのだろうか。壊れたはずの都市が目の前に広がっている。おかしい。壊れているのをこの目で見たのだ。
道行く人が自分を怪訝そうに見ている。おかしいのは自分だと、そういわれているように思えた。吐き気がする。生きているはずがない。人間があの腐敗した、崩壊した場所で生きているはずがない。
これも何かの魔法だろう。それも、現在使われているのとはかけ離れた超常的な規模の、恐ろしい魔法だ。そうでなければ説明がつかない。早く影響から逃げなければ。
そう思って、聖域に背を向けた。都市の外は見渡す限り腐敗した平原が広がっていた。これほど腐敗に安堵したことはない。ここの外は平常だ。一刻も早くこの異常な場所から逃げなければ。
気付けば駆けていた。足がもつれるのにも、緑色の髪の人間たちが嘲笑してくるのにも構ってはいられなかった。
都市の塀を超えた。とにかく走って、観測地帯に戻らなければ。10分程度でつくはずだ。動悸がひどく、必要以上に息が切れる。呼気に乾いた喉から血の味がする。怖くて、傍から見たら歩くような速度かもしれない、走った。閉じることを思い出せなくなった瞼が痙攣している。涙がこぼれて、鼻に入った。
喉が張り付いて閉じているような苦しさで、息を吸うたびにカエルの潰れたような声が出る。もう走れないと思った。こんなに体力がないはずがない。この不調は恐らく、魔法の浴びすぎだ。とにかく、離れなければ。
だが、いつまでたっても、景色が変わらない気がするのだ。平原は殺風景だ。腐敗した沼が服の裾を汚す。大丈夫、進んでいる。本当にそうだろうか。
それで、振り返らなければ無意味な希望は生き続けただろう。だが、都市の塀がすぐ後ろにあった。聖域は変わらぬ高さで聳えていた。
立ち尽くしていると、体に触れるほどの至近距離に天から光線が落ちて、地を焼いた。逃がさない、と聞こえた気がした。
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「ルキを責めないであげてよ。勇者くん」
「……」
「勇者くん?」
「……?」
ちょっと待て、今どこだ?
「今はルキを乗っ取って君に目的開示しようとしているところだね。どこで野垂れ死んだんだい?」
ポケットに手を突っ込んでみる。指輪はしっかり入っている。人の足音、他愛もない雑談の声、水路を水が行く音、様々な音が聞こえる。風の音は今わからない。
エンデの正面に立った。薄茶の柔らかそうな髪を見下ろしていると、弧を描いた口と紫色の目が面倒くさそうに見上げた。
「……あのなあ。……もういい。」
何か言ってやろうと思ったが、腹を立てるほど労力をこいつに割くのも無駄だろう。呆れだとか、関心を払うのも面倒だという気持ちになってきた。
「ぁ、クレフ……?」
荷物を確認してその場を発った。エンデ……ルキというべきか?はついてこないようだった。
さて、神殿に戻ろう。塔上部からの侵入より見張りを沈黙させた方が明らかに早い。持ちうる手段を行使することの何が悪い。馬鹿馬鹿しい。道の端に例の少女、名前はロナノークだったか?がいるが、もう話は聞いたので関わる必要はないだろう。そもそものエンデの目的は盟約の剣をどうにか魔法兵器に勝てる代物にすることだ。ちょうどいい、これが終わったら始末してさっさと中央に戻ろう。付き合いきれない。
背後で何か、道を穿つような強烈な音がした。
……どうせエンデが何かしたのだろう、無視だ。住民の悲鳴が響き渡って俺の進行方向に走り去る人の波が出来た。
「ちょっとそこに座れ。」
「襲撃されなければ座っていたよ。待て、なんで本体がここにいるんだ。」
「黙れ腐れ肉!僕を出せ、いるんだろ!」
「ここにいるけど」
声は間違いなく遠ざかっているが、どうにも後ろ髪をひかれて足の進みが遅くなった。構わず進むべきなんだろうが……。
「やっぱりお前が僕だな?ふざけやがって、お前のせいで人殺しだ!にやつくな。おい、剣持ってる人間もこっちに来い!」
耐えきれずうっかり振り返ってしまった。
エンデがルキともみ合いをしているところだった。腰丈の灰色の髪は風に煽られていないと長さが際立つ。
「ちぎれる!やめろ、これはルキの体だぞ」
「ポリュデウケスも僕を甘やかすな。そんなんじゃ困るんだよ!」
エンデが本当に珍しく声を荒げている。介入すべきだろうか。ルキもエンデもあまり身体的に強くないためか、もみ合いの喧嘩になっていてもなんだか、もにょもにょしているだけに見える。続けさせてもあまり悪いことにはならなさそうだ。
「まあまあ、落ち着いて……」
「――――ッ!」
あ、帝国語だ。魔法が切れて母国語のまま伝わったか。
「それは伝わらんぞ。悪いな。浅学なもので」




