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エンデの突然の冷やかしには驚いたが、得体のしれない存在を気取るには重要だったのかもしれない、ということにする。下層の窓の話をしているあたりからエンデだったように思うのだが、そうであれば、神殿に入った後も俺たちを見ていたことになる。あの目の文様の魔法の効果だろうか?
ともかく、この都市の状況はエンデの想定内。そして手助けはルキと、あの役に立たなそうな助言だけ。俺の手に負えるという判断か。一体俺のどこに信頼できる要素を感じているのか知らないが、期待に応えて腕と足の感覚は返してもらわねばならない。
エウクライドに着いたら返すって言ってなかったか?ふと、騙されているのではないか、という不安がまとわりつくが、……帰ってこない、ということは起こらないだろう。エンデは、信用に足るだろう。そうでなくても、信じる、信じないなどと俺の中にしかないエンデの像に縋る必要はない。
相手は1700年以上一人で何もせずにいられる奴だ。多少適当でもおかしくない。ぶっ叩いて約束を思い出させてやればいい。約束を守ってほしいのはあいつも同じだ。
「ぅ……。」
花壇の縁に寝かせてあるルキが小さく身じろぎした。目が覚めたようだ。
「ひどい目に遭った!あんまりだよ。」
勢いよく体を起こした彼女は、あわあわと周りを見渡してから、大きなため息をついた。薄茶の目が気まずそうにこちらを見上げた。俺は枕代わりに置いていた上着を拾って汚れをはたいた。着なくても寒くないため、そのまま鞄にしまう。
「腕と足に細工をしていたそうだ。大丈夫か」
「ああ。大丈夫だけど……。」
ルキはかなり不服そうに再びため息をついた。魔法兵器同士でも意識に干渉されるのは気分のいいものではないらしい。
「あの子がいると、どうしても格の違いみたいなものを思い知らされる。ずっと、寝ていてほしかった」
そういうことじゃないらしかった。
「……そうか。」
ルキの路頭に迷ったような笑顔には、彼女以外で何度か出会ったことがある。他人にとやかく言われたいものでもないだろう、と俺は思っている。
「情報収集を続行しよう。ルキは神に会ったことがあるのか?」
「母さんだもん。あるよ」
こいつらの父母碌でもないな。
しかし。実在する神。騙り得るのはどのような暴力だろうか。あまり好きじゃない。ごく個人的に喋る神と遺物である旧約聖書を考察の根拠にする解説本は信用しないと心に決めているのだ。神とは世界である。喋る奴はまがい物だ。あらゆるものは世界の影。あらゆる知覚もその影の解釈でしかない。世界の真の姿を観測することなど不可能だ。その姿を観測可能な現象として閉じ込めているものであれば、この世界に遍在している。むしろそれが世界である。投影された影であり光なのだ。見、聞き、触れるすべてが神を閉じ込めた「存在」である。すべての形は神である。すべての法則こそが、その秩序こそが神なのである。それをわざわざ神と名乗ろうなどというのは、全く見当違いだと思うのだ。俺は。とにかく、喋るなんてもってのほかだ。神を名乗って喋ったらぶっ飛ばしてやる。
「見た目は?」
「大きくて、白い?基本的に思念体だから、特定の見た目はないんだと思う。多分ね。」
……ただ、まあ俺の信じる神じゃない神も神。人間でない、世界の異物であれば神と表現するほかないこともわかる。そして社会の共同体を永遠の疑いの中に存在し得る虚構たる神に預けるのもまたわかる。ああ、出来の悪い思考の回廊よ、世界がはじけて霧散するのを見るのは楽しい。
今回の神は……魔法の祖である魔法兵器の親なのだから、強大な魔法使いと認識しておこう。
「クレフって、たまに、その……。もしかして発狂してる?」
「魔法による汚染はそれほど受けていないはずだ」
ルキが怪訝そうに笑った。まさか、ルキも思考を拾っている?しまったな。
「俺は正気だ」
「そりゃ良かった!」
「神に、生贄に儀式。……どうしたものか」
「神竜達とまともに話せないのが痛いところだね。その辺に何か記述された書物とか落ちてないかなあ」
落ちてないだろうな。
「……何か神に便宜を図ってもらうための儀式だろうと俺は思っているが。何が望みだろう」
よく生贄を伴う儀式で文献に残っているのは日照りや、川の氾濫など、天災を鎮めるためのものだ。もっとも、それは自然現象を擬人化した結果神格を得た者に対する交渉であるため人間に帰結する特に意味のないものである。今回の事例はやや事情が異なるだろう。
それに、見渡す限りの白い都市は活気に満ちていて、何かに脅かされている風には見えない。儀式は都市全体で共有された事情のようだ。生贄をささげなければ都市が維持できない……はあり得るだろうか。都市の自己修復機能や浮遊する庭園が神によるものだと考えるとそれなりに納得のいくものにはなるが。だとしたらもう少し緊張感のある空気になりそうなものだ。
やや影が伸びてきた。時間の経過は存在するらしい。行く当てがない。かといって、もう一度神殿に入るのはごめんだ。絶対に嫌だ。
神殿を中心にした視界の端に、直感的な警戒のような何かが映った気がした。
「クレフ、あの子……」
ルキが先に言及した。若草色の髪に青い大きな目、冠のような角の、小さな10歳くらいの少女。嫌なことを思い出した。
その子は狭い路地の影から、こちらを見ていた。こちらが気付いたことに小さな肩を跳ねさせて、うろたえると数歩下がった。青色の目は涙を湛えているように見えた。先ほど見たときより、幾分人間らしい様子だ。
彼女は恐る恐る周囲を見渡すと、意を決したようにこちらに手招きをした。ルキが自分たちのことか、と身振りで確認を取ると。少女は頷いた。
「行ってみるかい?」
「……ああ。」
気が進まない。手に重みを感じる。が、そう言ってもいられない。行く当てがないのだから。




