カイエゲルダ
「あなたを待っていたの」
彼女は少し首をかしげて俺に語り掛けた。美しい髪が風に揺れている。呼応するように、ゆらゆらと泥が形を持ち、彼女を守るように並んだ。形を持った泥は、昨夜見た歌いと同じ姿をしている。スカウターは魔法の反応を示した。ゆらゆらと揺れていた歌いが一瞬硬直し、一体の歌いがこちらに向かって突進した。躱し、つかんで投げる。彼女の次の句を待つ。
「あなた、その力がありながら、歌いを傷つけなかった。」
彼女は投げ飛ばされた歌いに目をやった。小さく首を傾げた。
「それは、なぜ?」
「俺の仕事が魔物を狩ることだからだ」
「歌いは人を連れ去る化け物よ。魔物と何が違うの?」
彼女の視線はまっすぐこちらを捕らえている。
「職業柄、人が化け物に見える魔法なんかにさらされることも多い。危険は避けたい」
「そう。」
彼女は相変わらず無表情だ。歌い達はその場にとどまったまま動いていない。
「こちらからも質問をしていいか」
「ええ。いいわ」
セローの侵入口、劇場2階の割れた窓ガラス。劇場にあの事態を引き起こした人間は、2階の窓を突き破って飛び降りた。彼女の腕には包帯が巻かれている。
「クジラ座の人間を眠らせたのは、君か?」
「そうよ。」
彼女はあっけなく答えた。しかし、その一言でこの状況の危険度は跳ね上がった。今、目の前にいるのは100人近くを3日近く眠りっぱなしにさせられる人間だ。
「何故だ」
「答えられないわ。」
彼女の目的はなんだ?なんのために俺を待っていた。俺が邪魔だから殺そうとしている?なら声を掛けずに魔法と歌いを使って襲撃すればいい。魔法の発動条件が特殊なパターンも考えられるが、わざわざ待ち伏せしていたのなら、準備は行っているはずだ。その準備として考えられるのは、今地面に敷かれている泥だが、この泥はあの一体の突撃以降依然として動きがない。
俺に助けを求めたい場合、そう言えば良い。目的の開示は出来ないとなれば、その理由はなんだ。相手に重要な情報を開示できない場合を考える。それは相手が敵である場合と、味方かどうかわからない時ではないか?劇団におこなった事を自白したのは、それを受けてのこちらの対応を見るためか?
ならば、味方の証明になるまで問答を続けよう。できうる限り、真実をもって答えよう。敵対が明らかになれば、その時は対処する。勝算はある。
「その変な機械はなに?」
彼女はこめかみに指をあてた。俺のスカウターを示しているのだろう。このスカウターは機関の正式な技術ではなく、兄が勝手に制作したものだ。遺物を原料としているため、再現性もない。彼女が機関の敵だったとして説明しても機密漏洩などには当たらないだろう。
「これは計測器のようなものだ。対象が魔物かどうかの判別や、どんな魔法が使われているのか判定できる」
「それに私はどう映っているの?」
「魔法使い、と。」
「歌いは?」
「魔法が検出されたが、種類かはわからない」
「便利ね。」
少し間をおいて、彼女が別の質問に移った。
「どうしてアシュハイムに来たの?」
「依頼があったからだ。」
「誰からの?」
「署名はカテリーナだ」
カテリーナからの依頼であることを証明することは出来ないな、と思い当たった。機関にとんでもない依頼が届くことは珍しくない。それとは別にこれらの応答に俺はなんとなく機関に入った時受けた特に意味のない面接を思い出していた。
「あなたは誰から、その依頼を渡されたの」
ずいぶんと細かいことを聞く。ただの勘だが、これはきっと彼女にとって重要な質問だ。
本来、集計された依頼は機械的に駐在する勇者に分配される。そこに機関の最高執政官であるゲールクリフが介入することはまれだ。俺自身、つい3日前ゲールから書簡を渡された時、どんな厄介な依頼かと身構えたものの、内容は単なる魔物の調査で何か裏があるのではないかと勘繰ったことを覚えている。勘繰りは外れていなかったようだ。とにかく、この質問には、正直に答えなければならないだろう。
「ゲールクリフという人だ」
「そう。」
彼女が一呼吸置き、歌い達を泥に戻した。剣を、鞘におさめる。……素手でも勝算はある。
「あなたの名前を教えて」
「クレフだ。クレフ・レインハイム」
「クレフね。その苗字、きっと領地を持つ王族か、貴族でしょう」
「地位も、領土も二十数年前に失った」
当時の事を幼かった俺はよく覚えていない。彼女は微笑んだ。微笑んで、言葉を紡いだ。
「これまでの数々の非礼をお詫びいたします。私の名前は、カイエゲルダ。」
彼女がゆっくりと膝をついた。
「夜を終わらせるために、どうか力をお貸しください」
まずったなと思った。彼女と舞台の上にいる様な感じがした。劇は進む。結局俺はしどろもどろに「ああ」と答える事しかできなかった。彼女は立ち上がると、どう?昔の臣従礼の真似をしてみたの。と笑った。スカートが泥だらけになっていた。