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「……もう一度確認するけれど、私はついていけないのね」
ようやくカイエの身分証が発行された。彼女が中央で交友関係を築くまでは彼女の節目を見届ける役を俺が担っても良いだろうという下心から外出に誘った。
恥ずかしながらあまり祝い方の通例を知らないもので、無難にちょっと良い食事でもと思っていたのだが、言いくるめられて俺の私服選びの旅になってしまった。結局、隣の椅子に買った服を座らせて今は小さな喫茶店のテラス席にいる。
街はずれという立地や、他の店と違って座席がテーブルごとに分かれている点からも社交場としてはあまりに寂れている印象を受けた。良く言えば風情があるのだろう、他に客もおらず、通行人もいない。彼女はここが気に入ったようだ。
しばらく改めての祝いの言葉や取り留めのない会話を交わしてから、これからの話になった。俺がエウクライドに行くつもりで、彼女を連れて行くつもりがないことについて。
「ああ。ローレンツ殿にも相談したが、やめておいた方がいいとのことだ」
やめておいた方がいいというのには、もちろん俺も該当する。あの土地に行って、帰ってきた者はいないのだそうだ。
エウクライド周辺の情報量の一方で、帰還者の不在はエウクライドに何があるのかについての文献の不存在を示している。俺も色々回って資料はないと結論づけた。のだが、どんな手段を使ったのか、口伝などをかき集めたフェルミドール先生によれば、エウクライドにはかつて神がいたのだそうだ。神竜という種族がいるのだというのも、かつてフェルミに聞いた情報だったような気がする。
「途中まででも行ってはだめ?」
カイエはムッと口を一文字に結んだ。不満そうだ。
「やめた方がいい。」
せっかく決まった彼女の仕事に穴をあけるのもどうかと思うし、何しろ道中が長い。俺はエンデに魔物が寄らないのを利用して通常取れないルートを進もうと考えていて、エントの時のようにゆっくり都市に寄ることもしないつもりでいる。初心者に必要もなく弾丸急行を経験させるのは酷だ。
「わがまま言っていいかしら」
彼女は視線をそらして小声でつぶやいた。
「……聞こう」
「私、拗ねているの。あなたが一人でどこにでも行けって言うのだもの。私はあなたと行きたいのに。」
髪を触りながら話す彼女はいつもより少し幼く見えた。むしろ普段が大人びているのだろうか。指に絡んだ水色の髪がさらさらとこぼれるのがやけにゆっくり見えた。全く、あざとい。悪い気はしないが……。
「だから、早く帰ってきて頂戴。」
「善処する」
上目がちな視線とかち合ってすぐ、彼女は目をそらしてはにかんだ。
「約束よ」
少し恥ずかしそうにふくふく微笑んでいる彼女に、わりとやられそうだった。平静を保とうとする思考が、約束はこうでなくてはと、脅し以外の手段を知らないどこぞの悪魔のような灰色に逃げた。「こんな時に浮気とは。感心しないね」
噂をすればなんとやら、正直助かった。脳内にちゃっかり居座っている思考の中の声はからかうような調子をしてはいるが、全く興味がなさそうだった。
落ち着いて考えろ。彼女は正しい存在だ。きれいな夜明けだ。俺と一緒にいては失望させることしかできない。せめて彼女の新しい一歩を飾った素敵な思い出でいたい。それは本心だ。
ポケットに手を突っ込んで、底を漁る。固く滑らかで冷たい小さな輪を指がくぐった。今すぐにでも返すべきだと分っているのに、満足そうにしているカイエを見ているとどうしても切り出せない。
それから指輪に関して、1つ気付きたくなかったことがある。サイズが俺の指に合っているのだ。アシュハイムで最初に見たときはそうではなかったと思う。しばらく俺は寝たきりだったので、測るタイミングがあったのは理解している。が、そういうことではないのだ。
とにかく、何かがとてつもなく恐ろしい。正直早く彼女の気の迷いが晴れてほしいと思っている。何故好意的な視線が保たれているのか、全くわからない。劇場の外を知らない彼女に俺を選ばせてはいけない。しかし、これ以上失望させる勇気もない。
ティーカップに、わずかに残っていた味のしない茶を片づけた。
――――――
「まあ、僕としても約束を忘れてないのなら何よりだよ。準備は出来たみたいだね。さて、行こうか。」
門の端にもたれて、どこか呆れたような視線を送ってくるエンデを横目に、ヴェルギリアの門をくぐる。エンデは都市の中ではフードをかぶり続けていた。こいつの漂白されたような色のない容姿と、整いすぎた顔面はあまりにも目立つ。隠しておくに越したことはないのだろう。
昨日も思ったが、吹き抜けていく風に絹糸のように冬が絡まっている。他所と比較してやや寒冷なヴェルギリアでは春に植えた作物の収穫なんかはもう一通り済んでいて、ここから先の季節は停滞と閉塞感が助長され、また、植えた種が凍えないかの心労が続く。雪は降り、魔法による熱で溶かされ、積ることはほとんどない。いつかすべての家に暖房が付くのだろうと思っていたが、俺はそういうものを奪うのだ。人間の歩みに軛をもたらそうとしている。
「何を考えているのか知らないけど。君は恐ろしい存在に脅されているだけなんだよ。君が思い悩まないように、もっと多くのものを奪うべきだったかな」
エンデがぽつりと恐ろしいことをこぼした。感覚を奪い、脳内を浸食してくるこいつが、人に行動を強制出来ないなんてことがあるだろうか。それをしないのは、善意、悪意どちらからなんだろう。
「あれこれ無駄に悩んでこそ人間だろ。」
とありきたりな反論を述べてみる。
「高尚だね。意思なんか所詮物質のはしためだよ」
楽観……なのか?
背の高い門を抜けると、石畳の道は終わり、遠く太陽が無機質な色で目の前の木々を照らしている。賑やかな南門や西門と異なり、城の裏手でもある北門はどこか、出入を見られてはいけない門のような独特の寂寞とした雰囲気だといつも思う。
「わかった口きくな。お前人間じゃないだろ」
「まあね。」
エンデは手を後ろに組んでゆっくりついてきた。
「歩くのに疲れたから実体は消失させるけど、近くには居るから、なにかあったら呼んでね」
エンデが霧散して忽然と姿を消した。彼がいた場所に薄紫の粒子が漂っている。申し訳程度の荷馬車の轍跡と薄暗い林の中で、ひとりきりになった。
「あ、そうだ。」
エンデが再び現れた。背後から聞こえる声に振り返ると、エンデは俯き気味に言葉を発した。わざわざ姿を現したのには何かわけでもあるのだろうか。
「その……。君の頭の中を覗くのも、話しかけるのも、控えたいところなんだ。魔法の制御がうまくいってなくてね。気を付けてはいるものの……すまないけど、しばらくはお邪魔するよ」
彼にしては珍しくなんとも歯切れが悪い。そして、謝るのも珍しいと思った。
「ここしばらくまともな話し相手がいなくてね。一人は好きだが、長すぎると退屈なものかもしれない」
そういえばこいつは他の魔法兵器と思考を共有しているんだと言ったか。閉じた輪の中で段々と繋がりのある存在が狂っていくのはどんな感覚だろうか。なんでもないように語るエンデの長すぎるというそれは、一体どれくらいのものだろうか。俺が生まれるずっと前から、魔法兵器は人類を襲う敵という認識は受け継がれているのだから、彼らが狂ったのはずっと昔だ。
「悪かったな、話し相手が俺で。それこそ退屈だろ」
「そうでもない。十分だよ」
それだけ言い残して、エンデはまた姿を消した。




