進歩
「やあ、おかえり。勇者くん。正直言うと、大切な彼女はエウクライドには連れて行かない方がいいと思うよ。僕の魔法とも相性が悪いし。僕ら二人ともたぶん単騎で最も力を発揮するタイプだ。存分に暴れようじゃないか」
俺はようやっと自室に帰ってこれたわけだが、そういえば許可をとって訓練場に行った、ということを忘れていた。俺は昨晩失踪者だったらしい。カイエはそれとは関係なく俺を探していたそうだが、彼女がいい感じに報告してくれたおかげで医務室戻りを免れた。
で、部屋に戻るとエンデが先にいるわけだ。なぜ。
「エウクライドはどんな場所だ」
俺が知っているのは、フロンティアの先だということと、神竜の地だということだ。芋虫人間疑惑の種族がかつて居住していた地域だと言えるだろう。
「端的に言うと、猛毒の沼?」
彫刻群の中で作り物の美しい顔が人間じみた表情で笑っている。
「行きたくない」
緑の毒沼に住む芋虫が頭を通り過ぎていく。
「比喩なんだ。ただ、魔法使いからすると、そうなる。……物理的な猛毒の沼もある。」
というか毒沼って何?毒の沼ってこと?酸の湖とかではなく?なんだ、生物の腐乱死体とかからできてるタイプのやつか?
「暴れようと言ったか。そんな過酷な環境なら危険な生物やら魔物なんかはいないよな」
「残念なお知らせを発表した方がいいかい?それとも、君にとっては嬉しいお知らせなのかな?」
「……。」
まあ、手足のためなら、ギリギリ……。慣れたほうが手っ取り早いな……。割と思い通りに動くようになってきたし。痛覚ない分やりやすい部分もなくはないかも。
「リスクがリターンを上回ってる?もしかして。今からでも誰か人質に」
「……行くよ……。」
「賢明な心掛けだ、勇者くん。安心してくれよ、エウクライドはフロンティアの先だが、境界近くだ。たぶん。」
「多分とはなんだ。」
「記憶が定かじゃなくてね」
こいつ、最近のこと知らないよな。いやな予感がするな。
「――?どうした」
エンデが急に後ろを向いて、窓の方(窓は彫像で見えないが)を見た。
「い、いや。今この辺りで魔力が暴発したような」
動きがあるのを待っていると、非常を知らせる鐘が鳴り響いた。最近は頻繁に鳴るため、以前ほど動揺することもなくなってしまった。よくないことだ。
「魔法部門で誰か発狂したとかだろう、見に行くか?」
「うん。少し大ごとだと思う、たぶん、君たちが動力だと思っているものの池に誰かが落ちた。叫び声が聞こえる」
エンデは暗い顔をして不安そうにこちらを見た。叫び声は聞こえないため、それはおそらくエンデの脳内にだけ共鳴しているタイプのやつだ。
「よくあるぞ。それ。」
魔法部門には都市全体の魔力プールの他に実験目的でのプールがいくつか設置されている。落下事故は設備の厳重な封鎖からは考えられない程度にままあることだ。確実に故意でなくては落ちることのできないプールに落ちる人間を、我々は軽視している。
エンデは信じられないものを見るような目でこちらを見て、それから自分の腕に爪を立てて目をそらした。
「弱っているところを呼ばれて落ちただけのようだよ。助けられないのかい」
「落ちた人間の体は腐らずに、1日もすれば白石化してプールには影響を及ぼさないからな。一度おなじような事故で、引き上げられた人間が周囲を汚染して大混乱になったんだ。だから、誰も助けない。墓所としても、死体遺棄現場としても人気だ。」
「信じられない……信じられないイカレ野郎ども」
人間を滅ぼすと口に出したやつとは思えないまともな倫理観だ。少し意地悪しすぎたか?言わなくていい情報を足した覚えはある。考えてみれば、自分の兄弟姉妹が切り刻まれて燃料にされている上、それを都合のいい犯罪の隠蔽所に使われているのだ。大それすぎていて簡単に想像できないが、気分のいいものでないのは間違いないだろう。
「鐘も『緊急事態だが待機』を知らせている。悪いな、俺たちにできることはないよ」
すぐさま緊急事態解除の鐘が鳴った。
「そうか。……そうか。この動力源をほかの都市で使う予定はあるのかい?」
「俺は詳しくない。機関の支部がある都市なんかには敷衍されつつあるらしい。」
俺は、本当に詳しくない。ローレンツ殿の手を離れつつあるということは知っている。
「灯りはまあ良いとして、空調やら火の魔法やら、上下水道の浄化なんかは正直言って多くの住民にとって生活と不可分だ。なあ、お前の目的が達成されたら、そういう魔法も失われるのか」
動力が失われれば、例えば郊外の農園に水をやる仕組みも失われる。食糧不足が起きるだろう。……水をやるのに雇用が増えて悪いことばかりじゃなさそうだが。この都市の人間がそういうことやるかとなると違う気がする。
魔法が広く一般化されたのは人類史で見ればごく最近だが、旧世代の技術なんかは場所を取るだけだと言って最近は処分されつつある。誰もかれも魔法の影響で進歩だ進化だと口々に言うが、動作原理や構造を理解せずとも一律な結果を得られるような道具を用意されているだけで、それで遊んでいる使用者たる人間は何ら進歩などしていないように思うのは、俺が魔法から疎外されているからだろうか。だが、まあ道具を使うのが人間だ。道具の進歩は人間の進歩なんだろう。思考がどうでも良いほうにそれてしまった。
「こんなに、使えるようになるのは想定外だった。だが、やらなくちゃならない。絶望の火の粉が、未来ある技術である内に。僕が悪である内に終わらせる。そうでなければ君たちが不必要な責任を負う。」
「過保護じゃないか?」
「うん?聞こえがよかったかな?完璧だった僕らという存在が、人間によって汚され、人間を汚しているのが気に食わないだけさ。」
エンデは片側の口角だけあげて笑った。
俺は世界を変えるほど大それたことに加担させられようとしている。根底には楽観がある。人間は進歩などしていない。俺が好き勝手して世界がどう変わろうと、人間は人間の撒いた種で争う。やってることはいつも同じだ。魔法が消えようとも、資源をいつか棄てた石炭に戻して、炉に火をつけて争うようになるだけだ。
エンデに賛同できなくなったときは、俺が責任をもって敵対しよう。こいつはきっとちょっと悲しい顔をしつつも、それを受け入れて殺しにかかってくる程度にはいい奴だ。
「エウクライドに行くための休暇を申請してくる」
クレフ・レインハイム
成人済み、男性
急に中学生が塾で読む論説文みたいなことを考えはじめる。思考が地に足ついてない。(悪口)




