停滞
ヴェルギリアに帰ってきて8日経った。全ての批判と後悔に蓋をして無聊を託っていても仕方がないと、許可を得て訓練場に足を運んだ。人はそれなりにいたが、俺が来たせいでてんでにどこかに行ってしまった。来たのは良いが、何にも手が付かなかった。壁際に腰かけてぼうっと、俺に気づかなかったか、珍しく俺を怖がらない残っている人間を眺めた。ここで俺が何をしたと言うんだろう。特に人に手出し口出しをした覚えはない。強いて言うなら突っかかってくた人間を返り討ちにしただけだ。
「浮かない顔だね。何かあったかい?……僕のせいか。」
突然横に誰かが立った。もはやなんの感情もわかなかった。横目に見ると長い法衣の裾と、妙な造形の、踵が高くつま先に向けて傾斜のかかった黒い足が見えた。女性の履くヒールの靴に似ている気がするが、これは靴なんだろうか。背が高く見えるのは錯覚ではなくこの足のせいか。
立ち上がって、細い肩を壁に叩きつけた。にやついた警戒心のない紫の目がこちらを見上げる。輝く白い剣を抜いて、腹から上向きに突き刺した。手ごたえはわからない。何か硬い殻を突き破ったような音がした。
「僕の言った魔法攻撃への対処法を実践しているところ悪いが、これがエウクライドに行ってほしい理由さ。この剣は弱すぎる。」
ほんの一瞬痛痒に顔を顰めたように見えた。彼は突き立てられている剣に手を這わすと、何か魔法が光って剣がへし折れた。
「は……」
次の瞬間には、剣は千の欠片に砕け散っていた。欠片が床に散らばっていくのを、どこか遠くで見ているような心地がした。
この剣以外に何が俺を勇者たらしめていただろうか。人との結びつきが途絶えて、もはや修復が叶わないのではないかという漠然とした不安が鎌首をもたげる。いや、もうどうでもいいか。
「それと、今から散歩に付き合ってくれ。入りたい建物がいくつかあるんだ。」
「わかった、行こうか」
全てがどうでもよくなってしまった。あるいは、このまま勇者をやめるのもいいかもしれない。今から何かやらかして逃亡し、叛徒として討滅を掲げられれば、きっと一生戦っていられる。その場合、真っ先に送り込まれるのはフェルミドールだろうか?だったらその生活で楽しいのは最初だけかもしれない。真っ向勝負で俺を殺せる人間なんか、この機関にはいない。やめだ、謀反はなしにしよう。肺のあたりで、逼迫した笑いがこみあげている。
――――――
「そうか、それ身分証だったのか。悪かった、ごめんよ」
海沿いの道まで来た。機関の城は遠くに見え、夕闇を街頭がかき消している。不夜城はここからが本番であると歌を歌い始めた。かなりの距離を歩いたが、移動は気が滅入るほどゆっくりだったため、疲れは感じない。潮風が鼻腔をくすぐる。
「構わん。それよりも、エウクライドにはお前も来るんだろう?そうでなければ俺の手足に関する約束は果たされない」
ベンチに座ってその辺で買ったパンを齧る。なぜこう普通の食事は旨いほうなのに、保存食はアレなんだろうか。そういうことを考える余裕が戻ってきた。人と話している方が落ち着くのかもしれない。そんな考えがをちらついて、またカイエを突き放してしまったことを後悔した。
「行かなくても履行できる算段はあるよ。だが、そうだな。一緒に行くかい?君に修行をしてほしいわけじゃないんだ。道中は楽な方がいいだろう。あと、その剣を貸せ。修復する」
砕けた盟約とできる限り拾い集めた破片を包んだ布を渡した。
「君は、あまり人を憎まない類の人間なんだね」
海を眺める、視界の端に仄かな光が映った。
「みんな、自分よりはマシなもので」
「それほど悪意に曝されてこなかったと見える。僕はもっと人を疑うべきだと思うよ」
「暴力で何とかなってきた。」
「幸運か。いつか運命に轢かれる」
同じベンチの端っこに座っているエンデを見ると、どうでもよさそうに海の方を見ていた。剣は勝手に修復されて行っているらしい。
「あの子、カイエゲルダと言ったよね。あまり、魔法を使わせない方がいい。」
「何故。助言か?だが、伝えられない。……カイエは、もう俺のところには来ないと思う。」
「そうは思わないけど」
エンデは間をおいて続けた。
「強い魔法は、本来人間が扱うようなものじゃない。僕らみたいなのに使わせておくものなんだ。使い続ければ、近いうちに必ず、精神が壊れる。」
「お前は、結局、魔法兵器なんだよな」
「憧憬と言い、変な呼び方が流行ったものだね。そうだよ。人間じゃない、ただの道具だ。」
エンデは相変わらず、どことなくイントネーションに違和感のあるしゃべり方をする。訛りみたいなものだろうか。クスクスと笑う横顔からは厭世的なきらいは読み取れなかった。
ローレンツ殿は憧憬の魔法使いが魔法兵器だということを知っているのだろうか?あれから会っていない。面会に来たゲールの話によれば仕事中以外は研究室にこもって出てこなくなったらしい。代わりに黒髪の少女が頻繁に話を聞きに来る。
「あの海に沈んだ子が、壊れた音がしたんだ。ヘレネなんて名前が付けられていたかな。僕ら曖昧に感覚や記憶を共有しているから、だんだん皆狂っていくのを、何もできないまま、ぼんやり聞いている。カイエゲルダからあの子を感じる。あれに会ったかい?この都市にいるような気がするんだ」
この海の先にはアシュハイムがある。エンデが言っているのはアシュハイムの主のことだろうか。
「今は、砕かれて動力になっている。アシュハイム……カイエの出身地を海に引きずり込もうとした。俺たちが止めた」
アシュハイムについて補足しようかと思って、様子をうかがった。今日しゃべってみて思ったことだが、こいつは今日の勢力図には詳しくない。機関についても知らなかったらしい。エンデは目を伏せて笑った。
「そうか。ありがとう。」
齧るパンがなくなってしまった。すっかり夜の風が吹いている。
「僕ら、むやみに人間を祝福しないようにと、それは人間には重すぎて呪いになってしまうと、そう言ったのはあの子だったはずだ。あの子を唆したのはどんな愛だっただろうね。」
エンデは遠くを見てつぶやいた。その愛の夢に思いを馳せる口ぶりに幸せを願った、その末路を思い出した。




