アウェー
足を踏み入れた瞬間に悪寒が走り、足がすくんだ。視界の先には暗闇が広がるばかりだが、ここで起きている異変の中心は、間違いなくこの場所であるとひしひしと感じ取れる。空気が、重いのだ。
建物を雨が打つ音と、何かの低い振動音のようなものが絶えず響いている。外観から察するに奥行きはそれほどでもないはずだ。だが、音は四方八方から響いているように思えた。おそらく天井が高いか、吹き抜けになっているのだろう。俺は剣を構えつつ先に進む。
なにかを踏み抜いた。それは、例えるなら鳥の骨のような、軽く脆い構造物だったようでパキパキと小さな音をたてた。それがことのほかよく屋内に反響した。
「……誰かいるのか?逃げろと言ったであろう」
声は上から聞こえた。雨音に掻き消されるかと思うほどか細く聞き取り辛かったが、ご婦人の声だ。
「何があった」
「君、よく関わろうと思うよね。」
ご婦人からの答えはなく、嘲笑う様な声が、耳元で聞こえた。とっさに振り返る。何も見えない。気配もない。
だが、間違いない。声の主はさんざん俺にちょっかいをだしたあの黒服、エンデだ。予想外でも何でもない。驚きはゼロだ。
「お前、何者だ」
改めて問うてみる。
「さあね。僕の名前はこのみすぼらしい機械に取られてしまったから。名無し、かもね?」
上からコンコン、と硬質なものを叩く音がする。
「知りたいのは名前じゃない。お前は何なんだ。」
暗黒に向かって問答をするのはストレスだ。しかも相手が誠実でない。
「おしゃべりな魔法使い?」
「何故フェーデの邪魔をする?」
「それさっきこの女性にも聞かれたんだ。もう1回言った方がいい?」
どこから声がしているのかわからない。相手は俺の位置を分かっている。圧倒的に不利だ。せめて明かりがあればな……。
「俺はいなかったからな。」
「私怨。まあ、あとは、そうだな。僕は魔法使いだし、魔法がなくなるとちょっと嫌でね」
「おしゃべりを自称するなら、もっと長く説明台詞を喋ってほしいものだな。」
ちょっと嫌で、という理由でフェーデの扱っている魔法を日照りから雨に180度内容変更するなどと言う嫌がらせじみた真似を行うのが理解できない。エンデの口調には余裕があるが、底知れない苛立ちのようなものが滲み出ている。あるいはこれが魔力というものなのかもしれない。
こいつはフェーデの目的が魔王を復活させることであると言った。それはご婦人の言っていたフェーデの目的とは完全一致しない。しかしながら、魔法を消すという内容は知っているのだから、目的の理解を間違えている訳でもないらしい。
ともかく、声の出どころを探るために耳を澄ます。
「おしゃべりは大概 的外れなことしか言わないものだろう?要点が絞れないからおしゃべりなんだよ」
「御託はいい」
右から聞こえる気もするし、左から聞こえる気もする。
「じゃあ、1つ君に答えてもらおうか。君はここの人間ではない。この場から離れてしまえば、何の影響もない。何故この件に関わる?」
仕事だから、ゲールに任せろと言ってしまったから、そんな理由がつらつらと頭の中を駆け巡った。
「特等席の用意があると聞いていたもので?」
相手に答える気がないのであれば、俺も答える必要はない。
「そういえば僕、そんなことを言ったな」
――後ろだ。
剣を引き抜き、出せる最大の速度で振りぬいた。斬撃で風が鳴った。空気が踊る。手ごたえは、ない。
見誤ったか?攻撃を誘われた?
目の前で、確かに何かが、一瞬光った。
死。
よぎったのはそんな言葉だった。
音がついてこない。暗闇を光が走る。頭の片隅の警鐘はそのままに、視界が低速度で流れていく。
視界が真っ白に埋め尽くされた。
「……なんだ、避けたのか。花くらいは供えてやるつもりだったのに」
なにが起きた?何故俺は生きている?……避けられた?
尋常じゃない音がした。耳がおかしい。あの一瞬で頭が煮えるかと思った。強烈な死が俺の眼前で瞬いていた。パラパラと何かが崩れる音がする。恐る恐る後ろを振り返ると、壁に巨大な風穴があいていた。もはや、屋外にいるのかと思うほど、巨大な穴が。施設を囲う防壁すら貫いて、その先が見える。
あれは、あれはなんだ?光線?エネルギー波?恐怖?そう言った、……わからない。明かな死が俺のすぐ真横を走り抜けた。
心臓がうるさい。足が動かない。冷や汗が止まらない。
俺の目の前にいるのはなんだ?
「仕留めるつもりだったんだけどなあ。君、失礼じゃないか」
化け物だ。正真正銘の。戦ってはいけない、格上。
貫通した外からの明かりで、灰色の髪をした何かが、面倒くさそうに服の裾を揺らしているのが見えた。
「暗くて照準が合わなかったんじゃないか?」
なんでもいい、何でもいいから時間を稼がないと、次の一撃で死ぬ。落ち着け。……落ち着け。あれは冷静でなくて避けられるほど甘い攻撃じゃない。
「いや、僕は……。ああ!君あれか。見えないもんね。明かりつけてあげよう。感心するよ。よく避けたものだ」
エンデは人が変わったかのように悪意を感じさせない声でそう言うと、こちらに背を向けて上を見上げた。
雨脚が一瞬弱まった。次の瞬間、吹き抜けの頂上からガンと聞いたことのない音がして視界が明るくなった。
少し遅れて周囲の情報が頭に入ってくる。さっき踏んだのは赤い結晶のような何かだった。床には十数名ほど人形のように脱力している人影があった。円柱形の監視塔には、壁に沿うように螺旋状の通路が取り付けられている。その通路を目で追う途中、塔の中腹ほどに否が応でも目に入る巨大な何かがつり下がっていた。鳴り響いている振動音はこの機械からしているようだ。それが天井からの明かりを遮って床に影を落としている。ご婦人はその機械に、雑に括り付けられていた。
「落ち着いたかい?」
エンデは俺に背を向けたまま、目線だけをこちらに寄こした。穏やかな笑みを浮かべている。なんか、むかつくんですけど~。
「あと2発避けたら僕の目的を詳しく教えてあげようかな」
あんまり嬉しくない報酬だ。俺はコイツに関わりたくない。帰りたい。もう帰ります。帰してください。
エンデがかなりわざとらしい乾いた笑みを浮かべた。なんだテンションおかしいのか?さっきまで露骨にイライラしていた癖になんで今こんなに楽しそうなんだ……。そんなことを考えている場合じゃない!
既に魔法は展開されている。何かが、下から迫ってくる気配がある。
避ける余裕があるか考える。不可避の攻撃を繰り出すような奴じゃない気がする!というかそうじゃないと俺は死ぬ。
前触れなく俺から離れたところで魔法の1つが発動した。黒い何かが天に向かって異常な速さで伸びた。連鎖するようにあちこちで何かが直上してく。
――真上に伸びる魔法、人質っぽいご婦人と、大事そうな増幅器には魔法が当たらないようにするはずだ。多分!
ならば、その真下は安地だ。そう予想して中央目がけて突っ走る。足元に緊張感が走る。飛びのいた直後に地面を割って黒が出現する。進路を妨害するように魔法が伸びていく、何とか身を捻ったり転がったりして辛くも直撃は免れている。ようやく、増幅器の真下……!
目の前を黒が通って行った。塞がれた、右、左、無駄。足元は……そろそろ魔法が発動する。ダメもとで目の前の黒に大剣を当てた。ほんの一瞬、噴水を切ったように魔法が途切れた。その隙間に体をねじ込んだ。
増幅器の真下に転がり込んだ。急いで体勢を整える。俺を閉じ込めるように周囲を黒い、……ツタ?木?が取り囲んでいる。それが引っ込む様子はない。避け切ったか……、否。これは、一撃目だ。
「いつも思ってたんだ。なんで避けられるような攻撃を打つんだろうって。確実に当たる全範囲攻撃をすればいいのに。」
声が上から聞こえた。
「今わかったよ。逃げ惑うの見るの、面白いなって。」
真上で、増幅器が煌めいた。魔法の射出口がわざとらしく、広がっていく。一撃目の安地の大きさ程度に……。
「て、テメェええええええ!」
「アハハハハ」
ゴエ~~~!死ぬが?どうする?やけにゆっくり魔法が展開しているのは嫌がらせみたいなものだろう。あの魔法は降ってくる。一撃目の魔法は、上に伸びた。
二度目のダメ元だ。目の前の魔法に刃を入れた。今度は完成した魔法だからか、黒い木は切り倒された。瞬く間に魔法は再生を始め切り口が上に伸び始めた。それに短剣を力任せに刺して、あとはもうお祈りする。どうか刺さったままになってください!
お祈り効果か知らないが短剣は刺さったまま魔法が伸びていく。
下向きの魔法なら、安全なのはその射出点の上だ。
頑張って短剣に捕まって、魔法ごと上昇する。体感すると余計にこの魔法の速度が異常であるとわかる。足の方に血が全部行ってる気がする。振り落とされないので精いっぱいだ。
増幅器の射出口が広がってきていて、増幅器と伸びる魔法の間にある隙間が小さくなりつつある。完全にふさがっては増幅器の上に乗ることはかなわない。ギリギリ、間に合う、……か?!思いっきり体左側の肘とケツが射出口に掠り、服との摩擦で千切れるかと思った。すげえ痛いが何とか間に合った。
短剣は諦め、魔法を蹴って増幅器に着地する。
「ああ、痛そうだ……。お前、可哀想に」
「僕も同感」
「どうも」
雑に括り付けられているご婦人が俺を憐れんでいる。そんな場合じゃないと思う。括り付けられた位置は一応射出口よりも上ではあるが。
……さっきの上昇のせいで頭に血がまわっていないのか、やたらフラフラする。目の奥が暗い。
少しして魔法が発動したのだろう。誰もいない地面に向けて何かが落ちていった。のだが、音がやばい。見えてない分正気を吸われなくていいかもしれない。生理的に受け付けない音がしている。馬鹿でかいナメクジとか這ってる?
「ねえ、僕の攻撃なんかキモくない?こんなはずじゃないんだけどな。」
だ、そうだ。
「目的を教えるんだろう!兵は避けたぞ!教えろ!」
ご婦人、元気そうだ。心配する必要もないかもしれない。
「ふむ。約束だからね。そうだね、僕は、僕の望む筋書きでこの世界を終わらせたいんだ。そのために魔法がなくなると困るんだよ」
魔法で世界を終わらせる、ということか?
「極悪じゃねえか」
「ああ、誤解があるか。観測されるものが世界だよ。観測に足るものでなくなれば、それは閉じる。」
ガー!魔法使い嫌い!意味わかんないもん。
「完結したら本読むのやめるだろう?」
「ああ、うん。そういうことね。」
もう全然わからん。わからんから適当に返事してしまった。……この世界を物語だとして、コイツがストーリーだと思っている部分のいざこざが完結すればコイツの目標は達成というわけだろうか。いや、普通に喋れないのか?なんかもっと魔王を倒すとか、そういう具体的な内容を言ってほしい。そういえば、いつの間にかナメクジ行進は終わったらしい。ムチョ、ムチョと粘着質の何かが蠢く音は消えた。
「フェーデを邪魔する理由だが、もう1つ。この増幅器に用があってね。……う~んさっきの一撃で地下の核はおおかた破壊できたかな。」
エンデはそろそろ増幅器を止めないと爆縮しちゃうからね、などと言いながらおもむろに足元の機械の蓋らしきものを開けて何かをしている。野菜でも収穫しているのかと思うほどなんでもなさげな動作だ。
「え?ちょっと待て、核を破壊したのか?私達の計画は?私の宿世は……?」
崩れた壁の外、雨の音が止んだ。さっきの俺への攻撃は核の破壊のついで……?あんな殺す気満々の攻撃で、ついで?
「もう崩壊は起きないかな。」
「私の、私の人生は……!」
ご婦人が吠えた。時を待たずその喉に薄紫の柔い光を伴った鋭い破片が食い込んだ。おそらく魔法だろう。ヒュと彼女が息を飲んだ。
「酷く呪われたお前は、その解呪がためにそれらしい大義名分を掲げて、願いを利用しようとしたんだろう?たかが100年か、200年かそこらに及ぶ自業自得が宿世だ?笑わせる。」
エンデの薄紫色の目が冷ややかに彼女を見下ろしている。ご婦人の首に破片が食い込んで血が流れた。
「これは呪いじゃない!祝福だ!」
彼女は悲鳴に近い声で叫んだ。かなり動揺しているらしい。
「だったら一人で死ね」
彼女は絶叫した。正直、凄いアウェーだ。いつもアウェーではあるんだが……。
ご婦人の傷口から血が噴き出して尖った何かを形成する。俺がさっき踏んだのと同じような血の棘が無数に完成した。
「うわ……」
エンデの体が何故か一瞬ふらついた。増幅器を取り囲む黒い木がガラスの割れるような音を立てて崩れた。上から床に倒れていた黒服たちが落ちてくる。……意外と柱の上に乗っておけば安全だったかもしれない。彼らの体からも血が噴き出し始めた。とんでもない血みどろだ。臭い。監視塔の壁を赤が塗りつぶしていく。その中で、何百にも、何千にも見える血の棘がエンデに向けてその切っ先を向けている。
彼女の耳を劈くような絶叫は続いている。
ブシュ、とさっきから四方で聞こえている液体の噴き出す音が自分のほど近くで聞こえた。思わず首に手をやる。ふさがりつつあった首の傷が開いた。
血が手に刺さった。とてつもない眩暈がした。頭に血がまわっていない。視界が暗く、回転している……。
2024年9月15日 追記:誤字報告ありがとうございます!ありがたや~!!!!!!!




