雨
本当にどうするか。別にここから出てさっさと逃げればよいのだが……。
雨量は先ほどよりも増していて、空洞の牢の中では反響するようにくぐもった轟音と、天井の格子から小さな滝のような雨水が断続的に降り注いできている。牢の中で排水の仕組みが整っていないあたり、この周辺地域はそもそも雨が少ないのかもしれない。
やり残したことがないか考える。カルトを構成する人員については詳しくわかっていないが、ご婦人の顔は見えた。似顔絵くらいは描けるだろう。混乱に乗じて何か書類でもないか探すのはまあ、やり取りのあった団体や個人でも知れたら意義があるかもしれないが……。他、目的は判明したし、手段もある程度わかった。
壊滅させろという指示に関してもこのままなら勝手に崩壊しそうなので、放っておくだけで良い。そもそもゲールに頼まれている仕事内容の根幹は村の安全確保であるわけだが、あの村があるのは崩壊が起きても巻き込まれる圏内ではない。十分に安全だ。日照りも既に解消されている。
ヨシ、帰るか。10数えて何も起こらなければ帰ろう。
10。なんて報告するかな。……組織の名前はフェーデでした。フェーデは勝手に壊滅しました。なんか変な奴がいましたが俺には関係ないので放置しました。とか?9。流石にふざけているか?でもエンデはフェーデの人間ではないのは本当だ。やたらめったらに介入して大事故が起きることも少なくないのだ。8。そういえば、牢の上で叫んでいた黒服の言う増幅器エンデというのは何だろうか。おそらくご婦人や番兵たちがエンデの名を聞いて研究員ではないと即断したのはその機械(?)のためだろう。7。じゃあアイツがエンデと名乗ったのには何か意図があるのか?本名じゃないのか?あんなに勿体ぶっておいて?6。ご婦人は魔法を消そうとしているが、魔法を消すと彼女も力を失うことになる。非魔法使いが魔法を目の敵にするのならわかるが……。5。あとは、明かに危険な魔物と、我々にも益のある遺物と魔法を並べるのは妙だ。どれも信仰対象になるという共通点はあるか。4。ご婦人の言っていた魔法を消す理由は微妙に薄い。帝国以前に無かったからない方がいい、とは随分短絡的だ。そもそも歴史資料自体が少ないのだから偶然記述されていなかっただけかもしれないのに。3。
「おい!兵!逃げろ!」
どたどたと足音が思考をかき消した。黒服の一人が荷物を取り落としそうになりながら階段を駆け下りてきた。彼は鉄格子に飛びつくと、身をかがめた。まもなく懐から鍵が出てきた。
カチャカチャと錠に鍵を刺しているが、その手が震えているために中々上手くいかないようだ。
「ああ!ありえない。でも事実だ……。ご婦人がやられたんだ……もうここはおしまいだ。な、お前は逃げろよ、な、どうか。どうか……」
堰を切ったように恐怖が口から雪崩出てくるらしい。一人ごつような音量で黒服は喋り続けている。どこか負傷しているのかポツリ、ポツリと血の斑点が床に現れ、牢の中に降ってその外に跳ねた雨と溶け合って広がっていく。わざわざ俺を気に掛けるとはどうにも、彼らは善良であるなと思った。運んできたのも俺の荷物だ。
「な、逃げろ。荷物はこれだけだな……。ハハ、ぼ、僕は。これで僕は、善い人だ……。救ってください。誰か……。」
そう言うと、彼は動かなくなってしまった。鉄格子にしがみ付いたままであるので、扉を押すと黒服を引きずることになる。黒服は床に転がってしまった。扉をくぐる。勝手に脱走しなくてよかったと、そう思うことにした。
――念のため首筋に触れる。……脈は正常だ。傷も深くはない、気絶しているだけらしい。不安にさせやがって。肺の中で嫌に重さを増していた空気が軽くなったのを感じる。問題が早期に解決されれば、何に祈らなくとも助かる人間だ。
荷物の中に無くなっているものがないか確認する。雨でぬれていない地面を探して黒服を移動させて、ガーゼと包帯は俺の気休めのために彼の横に置いておくことにした。……「救ってください。」とは、あて先が俺でないのは承知の上だが、動揺させることを言う。
天国と地獄が生きている者、残された者の心の慰めであるのなら、俺たちは死を待つほか何に縋ればよいのだろうか。あの紫の花に飛んだ赤黒い飛沫が脳裏をよぎって心をかき乱す。都市を脅かしたあの人は、地獄に行ったんだろうか。
俺の地獄への道程が、せめて他人の幸福のために舗装されていることを祈ろう。
……仕事の時間だ。
階段を上り、地上に出ると、雨の音がより鮮明に聞こえた。灰色の世界の中で、統率を失った黒服たちが四方で逃げ惑っていた。建造中の櫓に隠れて縮こまる者、監視塔に向かって礼拝をおこなう者。頭を抱えてうろつきまわる者。彼らの混乱をただ雨音がかき消していた。ちょっと前にも似たような光景を見たなあと、アシュハイムの海岸を思い出したが、今回は入水するやつがいない分良い。
他に向かうべき施設もないため、明らかに怪しい監視塔に向かうこととした。後付けされたであろう監視塔に不釣り合いな要塞じみた入口は物々しく、曇天の中で空を穿たんとする塔は本来の目的を忘れて久しいようだった。中からは何の音もしない。
「待って!待ってクレフ。まだ入らないで。」
「カイエ?」
振り返ると開け放たれて放置されたらしい門の方から、ずいぶん見慣れた薄水色の頭が見えた。
「なんでここに?村は?」
急いで来ただろうに彼女は涼し気だ。びしょびしょではあるが……。
「村長さんが避難させてくれたわ。魔法、何かあったのは明らかよ」
彼女は空を見上げて身震いしたように、両手で自分の体を抱きしめた。
「あなたって、本当に魔法に鈍いのね……。ひ~見ちゃった……。帰るわ。無理もう。ちょっと無理……。背中に毛虫が張り付いてるみたいな気持ちよ。」
想像して俺もちょっと嫌な気分になった。空を直視すると、魔法と言われればそうなんだろうなという感じだ。あの日照りの魔法よりヤケクソを感じる……程度の事しかわからない。あと、日照りの時よりも魔法だとわかりにくい気がする。基本的にいつも無表情な彼女がここまで取り乱しているのは初めて見た。
「あなたも早く逃げてね。どうせ戦うつもりなんでしょうけど、だから剣を持ってきたの。でも戦っちゃダメよ、推奨しないわ。じゃあまた、あとでね」
そういうと彼女は俺に盟約の剣を押し付けて静かに走って帰って行った。気を取り直して再び暗い入口に対面する。なんで俺が戦いたいみたいになってるんだろうか。俺ってそんな戦闘狂みたいな雰囲気なのか?
戦闘になっても生きて帰ればたぶん許してもらえるだろう!よし!
クレフは雑に強いので、後先考えずに行動しても暴力で何とかなってしまいます。
考えて、その後突き詰めずに思考放棄するのもそのせいですね。
計画を練るのが得意ではありません。




