挿入されしカルネ村音楽エピソード 要点は「なんか雨が降ってきました」になります。
ずいぶん前の事だ。いくつかの煩雑な手続きがあって、息子を連れてヴェルギリアに行った。そこはずいぶんと大きな都市で、世界の中心であるというのも間違いではないと思った。
都市の先には我々のエントを滅ぼした敵、機関の牙城である建築物が優美な姿をさらしていた。私はそれに用があって、この都市の何を見ても讃える事のないようにと心に誓って道を進んでいった。私は息子にもそうあれと望んだ。幼い子にこれが我々の敵であると学ばせるために連れてきたのだった。のうのうと生きることが罪とは言わない。しかし、我々から奪ったものの対価に何も差し出そうとしない彼らは、確かに罪びとであると感じた。
だが、息子は私の思惑など知ったことではないというように、露店や曲芸に目を輝かせていた。私は説得しようと思った。しかし、あの土地に新しく起こした村は、あまりにも殺風景だった。目に映ったものを私に逐一教えてくれる我が子が哀れで、私はそれを叱るにはあまりにも無責任だった。
今思えば。家族が戦の灰を被らないようにとあの戦いから逃げて、幾度となく復讐を唱える同胞から逃げて、私が中央を憎むのはその逃避による罪悪感が故だったのではないか。それでも、中央を憎んでいる限り、私はエントの民が言う「我々」に参加していると思うことが出来た。家を失ったその時の私には、拠り所が必要だった。
息子は広場で詩を吟じている風来坊をいたく気に入ったらしかった。都市から離れ、村に帰る間ずっとその男が弾いていた物語を誦んじていた。勇者と魔法使いの物語だったか、確かそんなようなものだったと記憶している。
しばらくしても物語の熱は冷めなかったらしく、息子は友人を見つけたようで彼と音楽をやり始めた。そんな折、カルネの村から少し離れた交易路にあの詩人が持っていたのに似たような楽器を見つけた。妙な形のそれは外世界由来のものらしく、そうであるのなら中央とは関係のないものである。息子の驚き顔を思い浮かべて、資材を買わずにその楽器を持ち帰った。ほんの気まぐれだった。
息子には師がいないため、楽器の才を伸ばすのは難しいことであったに違いない。そうであっても、大変下手くそで、とても才能があるとは思えなかった。息子は度々楽器を放って、別のものに熱中した。煩わしいと思っていた歌も聞こえないと心配になるもので、また購入者である手前、楽器に愛着も湧いてしまい息子が音楽から離れている間こっそりと弦を鳴らしてみたりもした。正直言って私の方が息子よりも上手な弾き手であったと思う。
息子は別のものの熱中が冷めると決まって音楽に戻ってきた。私が勝手に楽器を調律したことに気がつくと、怒った。娘も言葉がはっきりしてきて、息子の歌に合いの手を入れては叱られていた。
私の弟も呼び、家で演奏を発表させた。まだ妻も生きていた。息子の友人も招いた。軟派でどこぞの家のものとも知れない少年は好ましい友人ではなかったかもしれないが、喋ってみると楽しく、笛が上手だった。また大変素直で面倒見のよい少年でもあった。
ただ、息子は、彼とっては叔父である人に冗談めかして言われた「下手くそ」の言葉に酷く落ち込んだらしく、私が「よく練習したのはわかった」とかける言葉を間違ってしまって拗ねていた。次の日には忘れたのか、私に新曲を発表していた。
楽しい日々だった、何も心配はいらなかった。あの嵐の日、魔物が出たあの日、息子が楽器を持ってどこかに消えるまでは。
私は謗りを恐れた。村長の息子が義務から逃げたと、村人たちは彼に、私に非難の目を向けた。村の安全のためには兵が逃げることなどあってはならないことなのだ。逃亡を許すわけにはいかなかった。楽器など与えなければ、いや、あの都市などに連れて行かなければ、息子は逃げ出さなかっただろうか?私は、村のために息子を、また息子を唆した音楽を悪にする他なかった。それが私の責務だった。
だが、私は、逃げ続けた臆病者であって、息子を批判することなど到底できない人間なのだ。責務などという都合の良い言葉の盾に身を隠しているだけなのだ。私も逃げた。息子は間違っていない。帰ってくればそれでいいのだと思う心があった。
そんな私の弱い心を見透かされているような気がして、息子の友人が恐ろしくなった。
どこかから私が壊したはずのリュートの音色が風に乗って聞こえてきた。ついには感情に任せてへし折ってしまったあの楽器は、その音は、私にとって呪いのようなものだった。目を背けなければ村長などと呼ばれるたびに恐ろしいことをしていると、自責の念が襲い掛かってくるのだ。どうして、こんなに自分は弱いのだろうか。
懐かしい音色が聞こえる。
でも、……私は、楽しかったんだ。あの子と過ごして楽しかったのだ。壊してしまったものが、何故今になって聞こえるのだろうか。私の心の迷いが聞かせているんだろうか。
あるいは、もしかしたら、あの子が帰って来たんじゃないかと。
家を飛び出してしまった、音の出どころを探る。もうすぐ帰って来た村人たちが再び帰る準備をする頃だ。いつもであれば、祭りの後の日常に戻ることを惜しむ様な昼下がりであるはずが、今は誰もいない。リュートの音だけがかすかに聞こえる。どこからだろうか。まさか、村の中をさまよう時が来ようとは思ってもいなかった。
もし、もしも本当にあの子だったら、どう迎えればいいのだろうか?父から悪のレッテルを張られていたと知って、あの子は許してくれるだろうか。ただ、あの子だったらきっと、アルルが私に知らせに来るに違いない。いや、もしかしたら話が弾んでしまって、あるいは演奏中だから……。なんて謝ればいいんだ?あの子も謝罪をすべきなんじゃないか?
……違うな。あの子じゃない。
音が近づいてきて、演奏が鮮明になるにつれて、私の緊張は杞憂であったことがわかり、道行く人の驚いた顔がだんだんと私を現実に引き戻した。リュートの音色はこんな音だったかと不可思議に思うほど、澄んでいる。ああ、息子は笑ってしまうほど下手くそだったんだな。まるで違う楽器じゃないか。
広場で楽器を弾いているのは、中央から来た、曇った水色の髪をした綺麗なお嬢さんだった。広場の中心で彼女が楽器を弾いて歌を歌っているのを、多くの人が静かに見守っていた。
望郷の歌だ。かつての帝国アウクスラーベの言葉で紡がれる歌は、観客の多くには歌詞の意味が分からないと思うと惜しかった。昔愛した人を故郷に置いてきてしまったが、もう再会がかなわないと嘆く歌だ。前にも聞いたことがある、確かどこかの騎士の残した自叙伝がルーツだ。戯曲だったり、歌だったりに大量のバージョンがあるのだと……、教えてくれたのは妻だった。
ちょっとした貴族だった彼女との思い出の歌だ。
あの時は、全て欠けることなく手元にあった。どうして零れ落ちてしまったのか。久しぶりに聞いたその歌は、創作臭いお涙頂戴が目立っていて、趣に欠けていた。彼女が歌っていた版の方が心に響いたような気がする。中央の小娘め、群衆は騙せても、私は騙せんぞ、と少し意固地になった。妻は歌を伝授したが、息子がそれを弾くことは終ぞなかった。息子は冒険譚以外に興味がなかった。
そろそろさわりだ。変則的で遊ぶような絃の運びが、これから曲が盛り上がるのだと合図を出している。懐かしいあの最初の音を期待して待っている自分がいた。歌詞はわからないだろうに、観客はみな固唾をのんで演奏に聞き入っていた。次はなんだと、音というそのものを楽しんでいるようだった。リュートの大きいとは言えない音量が誰の耳にもはっきりと響いている。
だからこそ、その一瞬の間は絶大な効果をもたらした。
誰かが息を飲むのが聞こえた。いや、誰もが息を飲んでいた。――ああ、だめだ作詞家のセンスの無さが、掻き消えてしまった。私の小さな意地は全く無駄な物だった。もう圧倒されるしかない。私の中の小さな批評家は家に帰ってしまった。「もう一度会いたい」とそう告げる歌は、防御なしに受け取めるにはあまりにも直接的過ぎた。
あの日々の輝きが、後悔が音になって私に目を逸らすなと主張してくる。しかし、恐ろしいものではなかった。悲しい、愛しいと言った純粋な感情が、理由をつけて否定するには普遍的で、単純すぎる感情があふれ出て止められなかった。
バカ息子、どこに行った。帰ってきてくれ。お前が帰ってくるまで家を離れられないんだ。もう4年も経った。帰ってこないなら、そう言ってくれ。頑張って諦めるからさ。
曲が終わった。もはや聞き終わったというよりかは、遭遇したと表現したほうが良いのではないかと思った。村民たちは茫然自失してしまったのか、彼女がお辞儀をするのを口を開けてみていた。私はみなより先に批評家が玄関から顔を出してくれたので、いち早く拍手を送ることが出来た。カイエゲルダ、と言ったはずだ。中央の娘は私を見つけて微笑んだ。もう少し目立たない場所にいるべきだったかもしれない。ようやく皆自分の感情に名前を付けられたのか、競うように大きな音で拍手をした。
拍手は手が痺れるまでの長い間続いた。やがて、賞賛を送るのに気が済んだか、がやがやと感想大会が始まった。人だかりの中心には、カイエゲルダと、うちの娘たちと、息子の友人が居た。彼らは取り囲まれてもみくちゃにされていた。
人の話を盗み聞くと、彼女の演奏前にはのど自慢大会をやっていたらしい。左官屋の息子が優勝した、最後のプロ演奏でかすんでしまった、あの中央の娘は一体何者なんだ。他、鍛冶屋のじいさんが中々だった、あれは声がデカいだけだったなどと色々な話が聞こえた。
私は音楽を目の敵にすることで村の風紀を守っているつもりだったが、意味のない事だったようだ。音楽は誰の敵でもなかったのだ。少し、肩の荷が下りたような気分だ。
気分は晴れやかだった。
のだが、突然雲行きが怪しくなった。それどころか、頬に雨粒が落ちてきた。
住民たちは雨に気が付くと歓喜し、また外に置いてある物資などを室内に置かなければ、と散っていく人もいた。雨乞いだあ!などと浮足立っている村民をよそに、私には焦燥があった。あの異常天候が魔法だと知っているからだ。今、何か異変が起きている。良い異変であればよいのだが……人をかき分けてカイエゲルダの方に向かう。
カイエゲルダも、状況のおかしさに気が付いているのか私の顔を見ると頷いて、人が少ない方へと進んでいった。取り残されたアルルとテルルを肩車している息子の友人が私を見て引きつった曖昧な笑みを浮かべた。手をあげて「よかった!」というと、呆気にとられたような顔をしていた。彼らにはあとで謝らなければならない。
「魔法が切り替わりました。」
1人佇む彼女は、不安そうに空を見上げていた。私は村民たちに混乱が起こらないようになるべく平静を取り繕って彼女の言葉に小声で返答した。
「魔法が止まったわけではないんですね」
「……おそらく違います。あの魔法よりも範囲の広い雨の魔法が行使されているだけかと」
空を見上げる彼女の表情は険しい。
「一体何が……」
「すみません、わかりかねます。ですが、かなり悪意のある魔法です。村にいる方、全員避難したほうが良いかもしれません」
避難の算段を組み立てる。物資運搬の皆はそろそろ帰る予定のはずだが、日照りが終ってしまったため帰る気をなくしている者も多い。
「詳しい内容は読めないのですが、急に火が降ってきたり、石が降ってきたりしかねない魔法です。」
絶対避難したほうが良いな。私がどう指示を出すか考えて険しい顔をしていると、彼女は避難指示を渋っているのだと思ったのか、魔法を使うという提案をしてきた。
「大丈夫、皆で避難しますよ。私に任せてください。これでも村長ですんで」
「ありがとうございます。あの、すみません。私この場を離れても構わないでしょうか。相方が魔法に鈍いもので、彼にも危険を知らせておきたいのです」
彼女は控えめに尋ねた。きっと心配なのだろう、だったら行かせてあげた方がいい。後悔はしないに越したことは無い。
「もちろん。ここは任せてもらって。気を付けてくださいね」
「魔法の範囲は、雨の範囲と同じです。降っていないところまで逃げれば問題ありません。どうかよろしくお願いします。」
と、走り去っていく後姿を見送った。
「父さま、何かあったんですか?」
気が付くと隣に不安げなアルルがいた。
「この雨、危ない魔法なんだそうだ。だから避難しよう。」
「え、……でも」
お兄ちゃんが、と。彼女はそれを気にしてくれる子だ。そのせいで長く迷惑をかけてしまったかもしれない。
「大丈夫、すぐ戻ってこれるし、きっと何も起こらない。中央の人がいるからね。……だが、人集めるのを手伝ってくれるか」
アルルは笑顔を見せた。
「やってみる。父さま、無理して体壊さないでね。」
あんまり、いない息子にかまけてアルルをないがしろにしてはいけないなと強く反省した。ネルルは今、あの機関の男くらいの年齢なのだ。よく考えてみれば、そんな心配するような歳でもない。記憶の中のネルルに、囚われすぎないようにしよう。




