混乱
ようやく「歌」が終わった。
俺はアシュハイムに来たことをかなり後悔していた。今すぐにでも中央都市に帰って、とてもヤバい年間行事がありました、魔物はいたかわかりません。という内容を報告してこの任務を放棄したいと思っている。3分だと言われていたが、精神が消滅するまで続くと思わされるような時間だった。時間という尺度で捉えられるものではない。二度と聞きたくない。まだ耳にうなり声が残っている。
「この後は、歌の後はなにが起こる」
「歌の後は夜明けまで歌いが町を徘徊します」
「単語の説明を求める。」
「歌いの徘徊はまあ屋内に居れば問題ねえんだ。だから説明をしちまった方がいいだろう。俺たちの精神回復のためにもな」
男はちらりと横目で床に倒れ伏している議員や、ゲタゲタと笑っている議員や、抱き合い涙を流して懺悔している議員を示した。惨憺たるありさまだ。幸いそのうち回復するらしい。
「俺はヴァージル、こっちのバリケード愛好家はベッケンだ。」
扉を開けた方がベッケン、セローの事を俺に問いかけた方がヴァージル。議論の中でも中核を担っていた二人だ。あの歌を耐えたのは俺を含め三人だけである。二人は涼しい顔をしているが、それでも歌が始まる前よりは疲れた様子に見える。
「観光目的での渡航禁止はこれがあるからか?」
「無論だ。」
ため息を付きながらヴァージルが答えた。
「これが歌狩りか」
「その単語は誰から聞きました?カイエゲルダですか?」
首を縦に振る。
「歌狩りはまだ始まってねえ」
「歌狩りは2日後ですね」
「後2日も続くのか?これが?」
「歌があるのは明日までです」
絶望。結局歌狩りが何なのかわかっていないが、二度と体験したくないと思っていた歌がまだ続くということに後悔の念を強めた。
「……明日もあるのか」
「今日より声がデカい。安心しろ」
どこにも安心できる要素がないと言いかけたその時、ゴンゴンと扉を叩く音がした。3人同時に身構える。ヴァージルがバリケードを批判している。
「開けろ!セローのお帰りだ!おい、頼む開けてくれ!おい聞こえとんじゃろボケ!」
ヴァージルが応じた。周りに何もいないか確認しろ、と前置きし扉が開かれた。
セローを名乗る男は議会に飛び込んだ。言うほど禿げてはいない。と同時にドロドロとした不定形の人間のような何かがなだれ込んだ。
「おいふざけんなハゲ!『歌い』連れてくんな!」
「ギャー――!クレフ殿、あれが歌いです。歌いが出た!切ってください!切っても意味ないんだった!何とかしてください!」
「誰だお前!クレフとかいうのか!この化け物から俺を助けろ!」
「魔物以外の盗伐は禁止されています」
「ふざけろ!」
動きがとろい。触った感じ毒性はない。見た目よりも粘度が高いようで、引きちぎれることは無かった。つかんで外に放り投げた。
「あんたすげえな」
「セロー!良かった無事だったんですね。その腕は?歌いにやられましたか?」
セローには切り傷が見られた。それなりに深い傷のように見える。
「ちょっと色々あってな。だが俺は無事だ。何しろこの俺の無事はアシュハイムの無事だからな。」
ベッケンが席を立った。おそらくセローの手当てのためだろう。
「こいつはクレフだ。中央の勇者さんだとよ」
セローに会釈する。
「勇者か!この俺に加えて勇者までいればアシュハイムは安泰だな。そうだゲールは元気か?」
ゲール、ゲールグリフ。俺の依頼を仲介した人間であり、機関の最高執政官であり、俺の師匠……?だ。
「ああ。この間また引退を宣言した」
「元気そうだな」
「雑談している場合ではありませんよ。クレフ殿には状況説明が済んでいないのですから」
戻って来たベッケンが本題に戻そうとしたところでセローが割り込んだ。
「そもそもなんで勇者がここにいるんだ?」
問いかけながらセローは受け取った包帯を腕に巻いている。
「俺はカテリーナからの依頼で魔物の調査に来た。カテリーナ消息不明のためここにいる」
カテリーナの名が出るとセローは舌を出して吐き真似のような表情で大げさに嫌悪感をあらわした。
「その依頼、どうも引っ掛かるんですよね。魔物が出たという場所は?」
「町裏手の用水路とのことだ」
「魔物の報告なぞ自警団からはあがっていないな。」
「自警団ってかお前が率いてる半グレ組織だろ。俺は認めてないからな」
セローが言う。
「そうだ。カテリーナ居たぞ。歌劇座に。」
「何だって?……待てどうやって入った。この間門を壊すしかないって結論出てたろ」
「壁のぼった。明日にでも救護に向かった方がいい」
呆れ顔のヴァージルとは対照的に、ベッケンは深刻そうな顔をしていた。
「救護?いったい何が。伝染病か何かでしょうか?」
「いや、違うだろう。あれは何らかの魔法だ。クジラ座にいた全員、眠ってやがった。」
「眠っていた?」
「ああ。」
眠りの魔法、それ自体は致命的にはならないが、かかれば無抵抗で攻撃を受けることになる。攻撃されなくとも放置されて発見が遅れれば餓死の可能性もあるなど、危険度の高い魔法だ。
クジラ座を襲ったのは、内部分裂か、外からの悪意かあるいは天災の類か。外部犯の場合、カテリーナと対立関係にある議会は動機が考えやすい。議会内部全体に視線を配る。今のところ議員に怪しい点はなかった。保留にして他の可能性も考慮する必要がある。
……何しろ、俺は魔法のことが全然わからない。
「それはこの、歌と何か関わりがあるのか?」
3人は顔を見合わせた。どうやら明確な答えがないらしい。
「おそらくは無関係かと……少なくとも今までにこのような事例はみられませんでした。」
「カイエゲルダは、クジラ座の女優か」
「ええ。そうですよ」
「いや待て、何故今彼女の名前が出てくる。カイエちゃんを疑っているのか?」
ヴァージルが身を乗り出した。疑っているわけではないが、彼女はイレギュラーな動きをしているのではないか?その疑問は解消したい。本人に聞くことが出来ればそれで良いが。
「俺はここの道中を彼女に案内してもらったが、クジラ座とは無関係のような口ぶりだった。」
「それは、怪しいかもしれないですが……」
「カイエちゃんに、案内してもらった……?」
約一名、ヴァージルだが、変な部分に食いついてしまった。
「そもそも技術的に可能ですか?クジラ座の全員を眠らせるなんて。セロー、大体何人いたかわりますか」
「100人近くはいた。住み込みの劇団員ほぼ全員と言っていいだろう。」
「そんな大規模な魔法は聞いたことがありません」
「……いや。いや、なんでもない。そう言ったって俺ら魔法の専門家じゃないしな……」
セローとベッケンは難しい顔をしている。
「おかしいぞ、カイエちゃんはよっぽどの歌劇ファンでもない限り関わり合いになんかなれねえんだ」
唐突に何かに気付いたような顔をしたヴァージルが発言した。
「それはもう良いでしょう」
「よくない。何故カイエちゃんに会えないのか。それは彼女のスタンスもあるだろうが、一番の理由は劇団、ひいてはカテリーナが囲ってるからだ。」
「はあ」
ベッケンは興味がなさそうに返事をした。
「今はクジラ座崩壊してるんだから、会えても別におかしくないだろ」
「よく考えろ、彼女は普段劇団に軟禁状態だぞ。何故被害を免れてる?」
「じゃあ彼女が怪しいってことか?」
「……」
ヴァージルは黙った。
「まあ、劇団を出て話しかけたのが勇者なんですから、何とか被害を免れて助けを求めた可能性もありますよね」
助け舟を出したのはベッケンだ。
「助けは求められなかったが」
「ともかく、カイエちゃんの様子は何か変だ。そして彼女はなにかに巻き込まれた被害者だ!絶対に!お前らが何と言おうと俺はその方針で行く。」
まあ仮説は多くても困らないだろう。
「お前本当にカイエ好きだよな」
「あの美貌と歌を見て心を動かされない人なんか滅多にいませんよ」
「……それだけじゃなねえんだが……」
ヴァージルが口篭った。
「部外者の我々が情報もなく議論したところで無駄でしょう。明日は歌いが出る前にカイエさんを探すこと、クジラ座を調査し、中の方々を救出することを目標としましょう。クレフ殿は、一応魔物が出たという場所に向かっていただけますか」
「了解した。それで、今この都市に起きている事の説明は……」
「ああ。すまん」
ハッとした様子のヴァージルとベッケン、中央がアシュハイムの状態を把握していないことに反応するセロー、相変わらず無に向かって謝罪している複数名の議員。扉の外からは何かが徘徊する音が聞こえる。まだ夜は長い。