黒
エントの首都城下は、人が廃墟に望むであろうものの多くを取り揃えていた。悠然と聳える石柱は繁栄と幸福を、朽ちた征服の旗は人間の蹉跌を、亀裂の間を縫う緑の萌芽は再生の賛歌を歌っている。斜陽に沈むかつての国家は、赤々とその最後の輝きを放って眼前に広がった。
崩壊とは、地続きの土地が突然虚無に呑まれ、帰ってくることもあれば、帰ってこないこともある現象だ。手に負えるものではない。そして、エントは戻って来た。戻ってきて、静かにその滅亡を伝えている。
街道の終わり、エントの破壊されつくした正門をくぐる。時ですら沈黙するこの地で、足音を鳴らすのも憚られた。権威の強調のためだろうか、城下は東西に伸びていて夕日が城を照らしている。城の方から日が出てくるのは圧巻だろう。その構造のせいで街道からだと城の裏手が見えるばかりで内部に入れず、正面へと回るのに時間がかかった。昔々の影を追いかけながら、城下町を進む。もうすぐ夜が来る。そうなれば探し物は朝日を待たねばならない。大理石で出来た翼の生えた人のモニュメントを見上げ、掲げていたであろう本を象った石が地に落ちているのを見下ろす。彫刻は好きだが、恥ずかしいことに全くの我流であるため、これがどのような背景をもって作られたのかなどは知識が及ばず検討がつかない。また、黒い箱も見当たらない。
誰かに見られているような気がして周囲を見渡す。何かの気配が複数……。さっさと箱を探して帰った方がいいかもしれない。
「君が、カルネの兵か。」
モニュメントを通り過ぎたところだった。背後からの不意の声に、アシュハイムでの思い出が蘇る。もっとも、声の主がカイエでないのは明らかなのだが。振り返ると、西日が目に飛び込んできた。まともに目が開かず、像で日を遮って初めてその縁に黒服が腰かけているのに気が付いた。
「探し物はこれか」
その白い手には黒い立方体が収まっている。黒い箱だ。……もっと大きなものだと思っていた。敵意は感じられないが、やや不審であるので、黒服に視線を戻す。目深にかぶったフードで表情は窺えない。特に飾りなどされていないローブから一般の構成員であることがわかるが、その声にはただの一人物ではないと思わせる影があった。
「たぶんそうだ。……受け取るぞ」
差し出されている黒い箱を取るために近づく。黒服はモニュメントの影で微動だにしない。
……黒い箱は簡単に手に入った。その手は人の物とは思えないほど冷たく、箱を受け取ってもこちらに差し出されたままだった。とある違和感を覚えて、フードを脱がす。無抵抗だ。
「……石像?」
それもそのはず、俺が黒服だと思ってしゃべりかけていたのは黒服を着せられた、モニュメントの一部である石像だった。無機的でいて豊かな頬と唇の稜線は今にもしゃべりだしそうなほど写実的で、像の出来栄えを象徴していた。無論、像なので喋らない。
慌てて周囲を見渡すが、声の主は見つからない。
「ああ、愉快だ。たそかれどき、良い時間だと思わないかな」
「誰だ。どこにいる」
「まあ、そう怒らないでくれよ」
モニュメントの裏から、後ろ手を組んだ若い……男(たぶん。判然としない)が出てきた。黒の法服を身にまとい、その裾を楽し気に揺らしている。石像に着せてしまったからかローブは着用しておらず、薄鈍色のあちこちに跳ねた中途半端な長さの髪を露にしている。
「仕事の手間が省けただろう?」
石像と大差ないほど白い肌のせいで聊か不健康に見える顔は、ぞっとするほど整っていた。
「あんたは……」
「紹介はなかったと見える。まあ、当然か。僕はただのフェーデ所属の研究員さ。さて、帰ろうか。もうここに用はないだろう?」
耳なじみのない言葉があった。研究員は俺を待つでもなくすたすたと正門の方へ進んでいってしまうので、石像に着せられたローブを持って追いかける。
「フェーデというのはお前たちの組織の名前か?」
「はは、知らなかったか。そうだとも。外世界の言葉だ。自力救済という意味だそうだよ」
年齢は、顔立ちからすれば俺よりたぶん年下……カイエよりも下かそれくらいに見える。だが、少年と言えるような雰囲気でもない。言葉には曰く言い難い絶妙なイントネーションの違和感があり、おそらく出身地はエントではないだろう。年齢、性別共に何となく断定できない不詳な雰囲気だ。
「おっと、外套を忘れた。……君、気が利くな」
手に持っていたローブを渡す。わざと荷運びをさせたわけではないらしい。
「これからの時間は見通しが悪い。兵として進言するが、夜間にあの距離を魔物を警戒しながら移動するのは得策ではないぞ」
「ああ、そうか。黄昏の次は夜だったね。すっかり忘れていたよ。では、どこかに間借りするとしよう」
なんだこのふざけた奴は。研究員は真横にあった商館らしき建築物の扉を少し確認した後、容赦なく蹴って破壊し中へずけずけと入って行った。朽ちた木の扉は触っただけでパラパラと崩壊する。
……気配の正体はコイツではないようだ。この町には依然として何かが潜んでいる。
「君も来ると良い。倉庫のようだが、宿泊施設も兼ねているらしいよ」
「そりゃそうだ。商館だからな」
やや背の低い入口をくぐり、中を覗く。だだっ広くやや黴臭い屋内では、奴の長い法服の裾に巻き上げられた埃が踊っている。暗くなる前に明かりを灯す手段を見つけなくてはいけない。野宿するつもりだったから松明は持っているが、屋内で焚くには適していない。手当たり次第に扉を開けているが、食事処などが見つかるばかりで寝室は見つからない。まあ、この感じなら宿泊部屋は上の階だろう。
「暗いな。明かりをつけよう。」
「火打石は持っているが、火をつけるものが見当たらな――」
突然、光が炸裂した。俺の背後の窓からも光が飛び込んできた。あちこちからバチバチと音がしたかと思えば、矢庭にすべての照明器具に明かりが灯った。音は外にも伝播していっている。窓に駆け寄ると、どうやら明かりがついたのはこの建物だけではないらしかった。
「城下すべてを1つの魔法で管理するとはな。杜撰なものだ。」
「なんだ、お前魔法使いだったのか」
「ん?まあ、そうかもね」
魔法使い以外のなんだ。しかし、エントでも魔法灯が使われているというのは初耳だ。……いや、技術の漏洩があったというのは聞いたことがあったか。
「やや明るすぎるな。せっかくの夜が台無しというものだ。まあ、上階には灯りはないようだし、我慢するとしよう」
魔法灯の実装には、動力の課題があった。エントは何を動力にしていたんだろうか。人間1人の魔力で賄えているようだから、ヴェルギリアのそれよりもかなり効率の良い魔法なのかもしれない。
カラン、と外で何か鈴のような音と、走り去っていく足音が聞こえた。……逃げた?
「魔法使いなら、あの日照りを止められないか。魔法なんだろう。村が迷惑しているんだ。何とかならないのか」
階段を上っていく研究員の後を追いかける。
「へえ、あれが魔法だと気づくのが出たか。まあ無理だね。あれはフェーデの目的にとって重要なものだからさ。」
「目的があるのか」
「目的なくして、あれだけの集団が動くと思うかい?」
まあ、確かに。中央のような雇われ集団とも思えないしな。
「じゃあ、その目的を中断するのはどうだ」
「冗談じゃない。ああ、良い部屋じゃないか。調度品の趣味も悪くない」
十分な広さの部屋に高級そうな寝具が並んでいる。だが個室はなかった。城近くということもあって、もう少し待遇が良いかと思ったが、高望みだったようだ。
「埃っぽすぎやしないか」
「息をしなければ気になるものでもないさ」
「それは死んでるって言うんだ」
そうだったね、と適当な返事が返ってきた。蝋燭でも必要かと思ったが、何か物を書いたりするわけでもないし、外の明かりで十分だった。
「お前たちの目的について聞いて、俺は生きて帰れるか?」
適当なベッドの埃を払って武器などの荷物を置いた。他に机も、椅子もないので仕方ない。下に降りるのも面倒だし、手元から道具を離すのはあまり落ち着かない。
「まあ、妨害さえしなければね。」
「ならばぜひとも教えて欲しいのだが」
俺の言葉を遮るように長い睫に縁どられた薄紫の目がこちらを凝視した。すべてを見透かさんとするような視線に縫い付けられて目をそらすことが出来なくなってしまった。
……珍しい色の目だ。魔法の影響を長いこと受けた人間が稀にそういう色になるという噂を聞いたことがあるが、コイツはその例なんだろうか。
「……へえ。まあ、教えておこう。その方が面白いだろうからね。」
研究員は何かに納得したように口角を上げた。漸く目の拘束から逃れられた。瞬きも忘れていたらしく涙が出てきて、視界が滲んだ。
「フェーデは、魔王を復活させようとしている。」




