歌
劇場前広場を選んだのは、ここに来るための道が1本しかないこと、海から遠いこと、勝手に歌いが集まる場所だという3点の理由があった。注意を払うべき箇所が一か所だけなのは大変良い。動きが鈍いとはいえ四方八方を取り囲まれては1人で対応しきるのは無理がある。
一方で、防衛線が決壊すればあっという間に広場が歌いだらけになってしまうという欠点もある。カイエは目を閉じて海の音を聞いているらしい。
「水面が静かになった。始まるわ!クレフ、耳をふさがなくて大丈夫なの?」
「だいじょ……そういえば、君の歌は俺に効かないようにできるのか?」
「……出来ないわ」
「……」
轟音が都市を貫いた。突風かと錯覚するほど空気が震え、衝撃波に近い音の濁流と、屋内で聞くのとは比べものにならない音量が襲い来る。――歌が始まった。
「大丈夫よ!私を主人だと思い込むだけだから!」
「甘んじて受け入れよう……。」
「なに?聞こえないわ!」
「御意ッ!」
「よろしい。……ごめんなさい!準備不足だったわ!」
「平気だ」
……やっぱり俺はもうダメかもしれない。夜の闇にも、恐ろしい歌にも、打ち消すことの出来ない夜明けが俺の目の前にいる。
「来るわ!第一波と言ったところね。説明の通り、歌いたちが歌っている間は私の歌は届かないから、それまでは待機!」
ベッケンからバリケード……持ち上げて使っているからもはやバリケードとは呼ばないだろう。「とても大きい盾」を借りてきた。カイエが即席で作った掘っ立て小屋のようなステージに立つ。危険を冒して劇場の外にいるのは、カイエが主の歌を聞き逃さないようにするためだ。歌の勝負にあたって、対立する歌を最終的に1つの歌として成立させるから、相手が何を歌っているのかは大事だと熱弁を受けた。
たぶん、相手を説得するのに相手の言い分を全く聴かないのは悪手、みたいな感じだろう。
焦燥を駆り立てる歌は続く。早く逃げなければという気持ちを抑え、なんとか立っているが、全身が粟立っている。霧の道の先から響く、大きくなりつつある歌が歌いたちの接近を知らせていた。……来た。霧の中にゆらゆらと蠢く影が現れた。子供の背丈ほどのそれらは、その不定形の体を大きく左右に揺らしながら、這い寄ってきた。
数が多い。引き抜いた剣を横に薙ぎ払って手前の一体の頭(と思われる位置にある頭のような塊)を切り落としてみる。距離をとって様子を見る。それなりの質量を持って地面に落ちた頭が潰れて地面に広がったが、切られた歌いはものともせずに進んでくる。その後ろに続いていた歌いがその頭を踏んだ。足に頭が生えた。そういうのもありなのか……。
やはり切るより吹っ飛ばした方がいいだろう。直剣を腰の鞘にしまい、背中に下げている大剣に持ち替える。剣が鞘から抜けないように固定する。路地の手前の建物の壁の切れ目を限界ラインと決め、バリケードを置きなおした。歌いがそこを超えないよう、さらにカイエから離れ過ぎないように注意する。頭がなくなって体が軽くなったのか、先頭の歌いの進む速度が速くなっている。高さがないから剣を当てるより蹴り飛ばす方がいいだろう。
……これも海に連れていかれた誰かなんだろうか。カイエの歌が効くのなら、意思もあるのだろう。足を肩幅にひらき、剣を体の後ろで構え、振り上げる。鞘の先端が地面に掠ったようで金属の削れる音が鳴り響き、歌いが弧を描いて飛んで行った。蹴るのは何となく忍びなかった。
ざっと数えて20体。最初の個体以外、動きにそれほど違いはない。身をかがめて地面に対して角度が付くように薙ぎ払う。子供ほどの質量の人型5体が後ろの列を飛び越えて飛んでいき、ドスドスという音を立てて地面に落ちていった。これを繰り返せば難なくこの波は超えられそうだ。なおも、彼らは歌っている。頭が痛くなってきた。
一体、足の速い個体が生まれてしまったのが厄介だ。それは先ほどの攻撃もものともせず、ずいずいと他の個体をかき分け、一直線に先頭をはしって俺の方に向かってきた。もう一度吹き飛ばすには、後列が詰まりすぎている。直剣を抜き、壁に歌いごと刺す。後列の処理をし、直剣を壁から引き抜く……歌いが剣を離さない。
「……ッ」
力まかせに振り下ろし、地面にたたきつけた。それは蠢き、俺の足にしがみついた。目前に迫った歌いの列を吹き飛ばし、足にしがみ付いた個体の腕を懐の短剣で切断し、振り払う。もはや原型をとどめないそれをさらに切断する。
「頼む。頼む、頼む……」
さっきの頭は別の歌いに吸収されていた。一個体として機能するのには限界の大きさや単位が存在する、という一縷の望みにかけた。防衛ラインを下げ、切り刻まれた歌いから距離をとる。もぞもぞと泥の塊が集まり始め再生した。だが、今度は頭が戻ってきている。動きも遅い。問題は解決しただろう。ほっと胸をなでおろすと、焦りで視野が狭くなっていたのを感じる。振り返ると、限界ラインまではまだ十分に距離があった。
刻まれた泥から歌が聞こえていた。ここまでして彼らは、何を歌っているんだろうか。
視線を前に戻す。ふと、波の音が聞こえた気がした。潮が引くように残響を残して、歌が終わった。作業をしていた分、昨日よりも早く終わったように感じられた。沈黙した歌いたちは少しの間呆然としたようにゆらゆらと揺れて、再び劇場を目指して行進を始めた。明かに最初に数えた時よりも数が増えている。静寂が歌いたちの這い回る音を強調した。一年に一度とはいえ、これは堪える。このあたりに空き家が多いのも納得だ。
「【友柄よ、ともに歌え。水底の泥は船、伝えしは主が歌】」
歌が静かに、しかし鐘のごとくに響いた。
――すべての音が彼女の歌の前にこうべを垂れ、聞き入るだろう。
静かに始まった歌は、廻るように変化しながら旋律を紡いでいる。歌からは確かな歌詞を感じるが、それは聞いたことのない言語で歌われていて、意味を知ることは出来なかった。
剣を振るいながら、聞き入らないよう無視しなければならないことを恨む。沈黙している歌いの群れの中に、早くも元の歌と別の歌を歌い始める個体がいるのか、音が増えていった。歌は最後まで聞かなければ効果がないとカイエは言っていたが、おそらくあの歌の繰り返しのひとつひとつが歌として機能しているのだろう。そうでなければ、歌いたちは歌が好きなのだろう。
歌いは次から次へと湧いて出てくる。どこから聞いても歌になるというのは中々名案だと思った。




