11
空には薄れた月が浮かんでいた。城の門を叩いた時よりもずっと薄暗い。橙色の太陽が雲を照らしている。夜が明けている。朝だ。思いがけず長い間眠っていたらしい。眼下、少しだけの喧騒と、消し忘れだろう灯りのせいで異常事態であることを忘れそうになる。
「ちなみに、現時点で侵入者3人。すでに入り込んでいた2人もばっちり追い出しました。この城そんなに魅力的かなあ?もう1回感謝して」
「ありがとう。」
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ということを技研の部門長に伝えた。彼女は怪訝な顔で「まあとりあえずいいんじゃない?」とあり得ないものを見るように笑った。魔法そのものは専門外だからなんとも言えないとのことだ。窓から見える城のてっぺんに何等か数字がデカデカと表示されている。追い出した人間の数だろう。着実に増えている。楽しんでいるような気がする。
一通りの問題は解決したのではないだろうか。残る問題は、なぜ問題が発生したのかだ。フェルミは故意を疑っていたが。ヘレネには突然プールに大穴が開いたことくらいしかわからないとのことだ。……城に大穴開けたらヘレネは次何を器に選ぶだろう。今のあいつ、どうやったら殺せるだろう。盟約の剣が通用するように思えない。
「どうやったらプールに大穴が開くと思いますか?」
部門長は城に表示されている数が1増えるごとに小さく歓声を上げている。完全に移動できなくなる前に窓が見える位置に陣取ったのだそうだ。
「爆弾?魔法?手段さえあればなんででも可能さ。レインハイムの弟くん、動力プールに入ったことある?」
ついこの間何某かがプールに落ちて見に行った。首肯する。
「あるよね。ならわかると思うけど、城の中に入れるんならあそこに入るのはごく簡単だよね。ちょっと散歩に入る、ちょっと死にに入る。用意されたかのようなあの城の弱点に誰でも入れた。」
「用意されたと?」
「さあね。そうならほっといた我々が悪い。自明だ。酒ある?あー、1階の台所の棚の上の方にあるかどうか見てきてくれる?」
「……」
椅子を引いて席を立った。
「一週間前、妹が出産してね。この家で養生してたんだけど、死んだよ。2人ともかわいかったんだけどな。あんなにかわいかったのに死んだよ。やってられないね。」
部門長は窓の外を見たままだ。彼女の背後の棚にも何らかの瓶がおいてある。
「それは酒じゃないんですか?」
「ん?ここにもあったっけ?見せて。……あ~。これか。んはは。」
「……」
俺が机に置いた瓶を目を細めて懐かしそうに眺めて鼻で笑った。
「これね、レインハイムがネア……さっき同席してた女子ね。の配属祝いがどうとか言って勝手に持ってきたやつ。あり得ないくらい不味くてさ。置いていきやがった。……いいやこれで。味わからないし。」
グラスを持ってこようとしたが、直飲みで良かったらしい。
「やってられないが、やらなくちゃならない立場だ。私には義務がある。私的な事由など存在しないはずだ。なのにこのザマだ。ここに停滞することを選んだ。……なんか紙持ってきてよ。ペンも。あと判子。見りゃ分かる、そっちの棚にしまった。鍵かかってる?いいよ、ぶっ壊して」
一式を手渡すとすぐに彼女は何か書き始めた。横に立って眺めているが公的文書だからか、帝国語だ。読めない。短い数行の文章と、右下にサインと判子が押された。
エントあたりは帝国語を継承しているが、こちらで使われているのはそれとはやや源流の異なる古典帝国語だ。より純粋で、だからこそ文法的にかなり難解なので、高級な言語として取り扱われている。そもそもとして帝国語自体の発生は謎に包まれている。少し前アルバルトから帝国人宇宙人説と帝国語遺物説を聞いた。カスみたいな話題を嬉々として語らないでほしいと思った記憶がある。
「オスローに渡して。オスローわかる?わかるよね。そっちの4位?3位?の薄汚い薬中のカス野郎」
紙片は乱雑に差し出された。今なぜオスローの名前が出るのかはわからなかったが、とにかく受け取った。部門長は俺が受け取ったのを確認するとけだるそうに城のほうに視線を戻した。
「レインハイム弟君、あんたはローレンツを疑ってる」
「フェルミはそうらしい」
「あんたのことを聞いてるんだよ」
部門長は一口酒を呷った。相変わらず窓の外を見たままだ。
「俺は、疑いきれない。正直なぜあいつが疑っているのかもよくわからない。」
「だがフェルミドールの側につくんだろ?そういうことだ。……。」
「あなたは疑いが正当なものだとお思いですか?」
「……動力プールの出入りの履歴はこっちに降りてくる前に確認した。それで散々魔法を浴びてこの有様なんだがね。彼だけだったよ。ここ数日、それから事故直前でプールに出入りしたのは。複数のプールに出入りしていた記録もある。ま、それだけさ。」
「それは皆知っているんですか?」
「確認すれば誰でもわかる。……私は誰にも話してない。言いたくなかったんだ、決定的な情報じゃないし。楽しかったからさ、彼と仕事をするのは。今更だよ。だが、私は疑っているよ。だから、恨んでもいる。」
彼女はくすくすと笑った。
「ヘレネだっけ。魔法兵器の名前。」
「……」
「ありがとうと言っておいて」
城の数字が更新された。
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「ワタシに会いに来たんですね!嬉しいですよ。歓迎します」
完全に忘れていたが、こいつは医療者だった。頭を抱える。医療班のテントを案内されたあたりで嫌な予感はしていたが、白衣を着た作業者たちが長い黒の長髪をひとまとめにした長身の人物に指示を仰いているのが視界に入り、過去の嫌なあれこれを完全に思い出した。
オスローは俺を見るとすべての手を止めて気が狂ったように腕を広げた。ガチャン!とメスやハサミが落下する音が響く。
「アナタはワタシに似た、血に狂った愚者だ……!」
「どうも」
「成果を見に来たんですか?アナタに興味を持ってもらえるだなんて!こんなに喜ばしいことはない!」
作業者たちが嫌そうな顔でその場を離れていった。俺を一人にしないでほしい。
「これが非汚染者の血、こちらが汚染者の血です。アナタにも見えるでしょうか?美しい、拍動の違い……!」
血の入った袋?のようなものを両手に掲げて見せているが、拍動が見えるわけがないだろ。
「何が見えているのか知らないが、手紙を渡しに来ただけだ。早く受け取ってくれ。」
「手土産まであるのですか!?ンフフ……嫌です。アナタへのもてなしが済んでいない!アナタの血を見るまでは受け取れない!」
オスローはそのあたりに転がっていた……先ほど落としたのとは別の使用済みメスを手に取った。そして血走った目で突進してくる。
「せめて血のついてない刃物で攻撃してほしい」
「これはワタシの血だ!アナタを汚すために存在します!」
「うわもう全部が気色わるい。地獄に帰ってくれ」
拳を構えた。




