貴方にそんな権限はないわよ〜愚弟が平民を断罪しようとするが、賢姉にそれを無効にされた〜
大陸の東側に位置する大国、《リーニア王国》。
他国からは〔知識の国〕〔学者の国〕と呼ばれており、リーニア王国に行けば知りたいことをほとんど知ることができると言われていたり、学びたいことを学べると言われている。
リーニアは元々、数千年前に滅んだ国の跡地に建国された国で、数百年の歴史がある。
その滅んだ国については、今ではおとぎ話として語り継がれており、小さな子供の寝物語にされている。
その昔、一人の男が神に神語を授かり、多くの人々を導き、やがて国ができ、その国に住む人々は神語を話すことができるようになった。
しかし、当時神への信仰心は確かに強かったが、人が神と同じ言葉を反すことは神への冒涜だと言われ、その国は当時存在したすべての国によって滅ぼされてしまった。亡き国の跡地には、人々が読むことのできない神語で書かれた石板が多く存在し、その神語が今では〔古代文字〕と呼ばれるようになった。
神が授けた言葉ということもあり、どんなに学んでも読める者が全くおらず、読める、話せる、書ける、聞き取れる。この中のどれか一つでも行うことができれば、神の領域に入ってると見做され、王族以上の存在となる。
そんな神に等しい存在に危害を加えたり、冒涜するようなことは、国の法律上【死罪】にあたる。
「レノレイラ!貴様を死罪とする!」
現在この国で、その神の領域に踏み込んでいるのが第一皇女、ただ一人だった。
読むことも話すことも聞き取ることも書くこともできる彼女は、次期国王候補とされている。
しかし、本来王位は男が次ぐべきだという声も上がっており、彼女が確実に王位を継ぐということはない。
王子は出来で言えば姉に劣る。優秀な姉を蹴落とし、自分が王位になるためには、彼女と同じように〔古代文字〕を読み書きし、話せる、聞き取れる人間が婚約者にならなければならない。
そして、その存在は王子が通う学院に突然現れた。
――― シレーナ・ヴィクスン
ヴィクスン伯爵家の一人娘で、その容姿は愛らしく、立ち居振る舞いは優雅。身分も性別も種族も関係なく、みな平等に接していた。
ただ、唯一の欠点としては、あまり勉学に関しては優秀ではないことだった。
そんな彼女が古代文字に関する資料を学院長に提出したのをきっかけに、すぐに王子との婚約が決定した。
これにより、王女と王子の立ち位置は一緒になり、貴族たちはどちらにつくかと、品定めをしている状態だった。
そんな中で、ある問題が起きている。それが今、王子から一人の女子生徒が死罪宣告を受けている状況だ。
彼女、レノレイラは平民出身の特待生である。
学院は、能力があれば平民でも入学することができ、彼女もその一人だった。
貴族からのいじめも多少なりともあったものの、彼女の優秀さは学院でも一目を置くほどだった。
そんな彼女が今こうして死罪宣告を受けているのは、彼の婚約者であり、神の領域にいるシレーナが原因だった。
優秀であるが、平民出身であるレノレイラ。
優秀ではないが、貴族出身のシレーナ。
学院内では全員が平等とは言われているが、貴族社会の縮図と言われている。
これはある意味暗黙の了承である。
だから、平民が貴族に気軽に話すことは、マナーが悪い行為とされている。
ましてや、危害を加えるなどもってのほかだ。
今回の問題は、レノレイラがシレーナに嫉妬して危害を加えたというものだった。
本来であれば、学院内で起こったことのため、王国の法律は適用されない。せいぜい退学にするぐらいしか対処はできない。
しかし、今回は相手が悪かった。
相手は、神の領域にいる存在。冒涜も、危害も、神に対する反逆行為と見做される。
よって、平民も貴族も王族も関係なく。全ての身分の人間が、彼女にそのような行為を行えば、問答無用で死罪判決が下される。
「君は平民にしては優秀な人間ではあるが、傲慢な人間だ。シレーナに嫉妬し、彼女に危害を加えた。しかもこんなことを口にしたそうだな」
――― 本来であれば、殿下の隣は私の場所なのに!
「平民の分際でよくもこんなことを」
「私はそのようなことを口にしてなど!」
「誰が口を開いていいと許可をした!」
上から殴りつけるような強く鋭い言葉。
身分上、彼女は黙って彼の言葉を聞くしかできなかった。
反論したくても先ほどのように、発言を拒否されてしまう。
彼女は黙って、彼の言葉を聞くことしかできなかった。
「レノレイラ。貴様は領分を超えた行動をとった。先ほどの宣告通り、貴様を死罪とする」
黙っている間に告げられた言葉は、彼女にとっては身に覚えのないことばかりだった。
レノレイラは一度としてシレーナを冒涜したり、危害を加えたことがなかった。
王子が口にした罪状は、全て作り上げられたものだ。
ざわざわとする会場の中。
今日は学院の卒業パーティで、卒業生はもちろん、在校生も参加しており、多くの保護者や国の重鎮たちも参加している。
そんな中での断罪イベント。
周りは9割が貴族や王族。平民であるレノレイラではどうすることもできなかった。
「お待ちください殿下!」
そう言って、レノレイラの前に立ち塞がったのは、被害者であるシレーナだった。
両手を大きく広げ、涙を流しながし、地に膝をつくレノレイラを庇った。
「シレーナ、なぜ彼女を庇う!」
「確かに、彼女は罪深いことを行いました。でも、彼女はとても優秀な人間です。そんな人物を殺してしまうのは、国にとっては損失になると思うのです!」
「ふむ……確かに彼女の優秀さは、教師たちも一目置いている。シレーナのいう通り、殺してしまうのは惜しいな」
「はい。なので、私の侍女として雇いたいのですが、いかがでしょうか」
にっこりとした優しい笑み。
その笑みは慈愛に満ちており、周りの多くの貴族たちが彼女の表情に心を奪われていた。
自分のせいで彼女が死ぬ直前まで追いやられてしまったから、自分が責任持って彼女の面倒を見ると進言したのだ。
その心優しさに王子はもちろん、他の貴族たちも感心していた。
「レノレイラ、あなたの罪を私が許します」
シレーナは彼女の耳元で何かを囁いた後、ゆっくりと彼女を抱きしめる。
そんな姿に感動し、貴族たちは涙を流して拍手をした。
「あぁシレーナ。本当に君は素敵な女性だ。では、彼女のその慈悲深さに免じ、彼女の死罪を取り消そうではないか」
「あら、いつから貴方にそんな権限があたえられたのかしら」
会場に甲高く響くヒールの音。
まっすぐに伸びた背筋に、体のラインが浮き出るタイトなドレスに、絢爛豪華な扇を持った美しい女性。
「ごきげんよう、皆々様」
「ローザ様だ」
「相変わらずお美しい」
「久しぶりにお姿を拝見しましたわ」
「あ、姉上、なぜここに……」
「あら、可愛い弟と愛しい婚約者の卒業パーティーに参加しに来たのよ。当然じゃない」
会場の端、人混みを避けて壁にもたれかかっている男子生徒に手を振るローザ。それをされた男子生徒は恥ずかしそうにしながらも、礼儀正しい挨拶をする。しかし、挨拶をするだけでそこから動こうとしない。本来であれば不敬に当たる行為だが、彼は彼女の婚約者。そのような態度は多めに見てもらえる立場にいる。
――― リーニア王国第一王女、ローザ・リーニア
この国の王女である彼女は、この学院を3年前に卒業している。
卒業までに、彼女は多くの分野で多くの研究結果を残し伝説となっている。
その上、彼女は古代文字を読み書き、話すことができることもあり、王族の立場ではあるがもっとも神に近い立場の人間とされている。
「それにしても、何か揉め事が起きていたようだけれど、解決したのかしら?」
「はい、姉上。もう解決したので問題ありません」
「あら、本当にそうかしら」
にっこりと笑みを浮かべながらそう発言する姉に対し、王子の口の端が引き攣る。
一刻も早くことを終わらせたいが、姉が逃すまいというように、じっと彼のことを見つめていた。
「お初にお目にかかります、ローズ様。私、シレーナ・ヴィクスンと申します」
周りの目を奪うほどの美しい礼儀作法を見せるシレーナ。
その姿を見て、ローザはにっこりと笑みを浮かべて口を開く。
「 」
しかし、ローザが口にしたのは知らない言葉だった。
言われた本人も、そして周りの人々も首を傾げ、ローザが何を言ったのか考えていた。
「あら、貴女が弟の婚約者になったのは、古代文字が読み書きできるからと聞いていたけれど、もしかして言葉を話したり聞き取りはできないのですか?」
「え、えっと……じ、実はそうなんです。私にできるのは、読み書きだけで……」
「なるほど。それでは……」
ちらりと、ローザは斜め後ろで俯いているレノレイラに声をかける。
声をかけられて体をびくつかせた後、まるで怯える子猫や子犬のように震える彼女に、愛おしさを感じたローザはクスクスと笑い、彼女の頬に優しく触れる。
「そう怯えなくていいわ。私が許可するから、さきほど私がなんと言ったか言ってみて」
「え、えっと……」
「大丈夫。言ったでしょ、私が許可すると」
それでもと、視線を彼女は泳がせる。
だけど、ローザと目があい、彼女が優しい笑みを浮かべた瞬間、強張っていた体から力が抜け、レノレイラは息を吸い、言葉を口にする。
「誰が挨拶することをいつ許可した?礼儀のなっていない女狐め」
その発言にシリーナの顔が真っ赤になり、同時に周りが平民ごときがと口にする。
しかし、彼女がそう発言したのはローザが許可をしたからだった。
だというのに彼女を非難したことで、ローザが鋭い視線で発言した貴族たちを睨みつけた。
びくりと肩を震わせ、彼ら彼女らは素知らぬ顔をし始める。
「流石ねレノレイラ。やっぱり、ルキウスの言った通りね」
「え?あ、あの……」
「レノレイラ、正直に答えなさい。嘘をつくことは許さないわ」
さっきまでの笑みは消え、圧を与えるようなその表情と口調に、レノレイラの背筋がゾッとする。
わずかに体が震える。俯きたいのに、ローザに顔をあげられているせいで、じっと視線が交わし続けることしかできなかった。
「貴女、古代文字を読み書きできるわね」
「……はい」
「聞くことは?話せることは?」
「……できます」
ほぼ尋問のような雰囲気で、周りの貴族たちも緊張しながら二人のやりとりを見つめていた。
そのせいで、レノレイラが古代文字を読み書き、聞き取り、会話ができることに驚くことができなかった。
「なぜ、黙っていたの?」
「……王子の、婚約者になるからです」
「王族との結婚は嫌?」
「はい。平民の私にとっては、苦痛でしかありません」
「そう。では、なぜシレーナが古代文字に関する資料を学院長に提出した」
ゆっくりとローザの手がレノレイラから離れていき、そしてレノレイラも先ほどまでの緊張はなく、ポツポツと真実を口にした。
レノレイラは自身が古代文字を読み書きできること、聞き取ること、会話できることに悩んでいた。
それは、とても評価されることで誇っていいものであった。
しかし自分は平民。貴族社会に馴染むことはまず難しい上に、自由に何かを学ぶことができなくなることは苦痛でしかなかった。
そんな時に声をかけたのがシレーナだった。
彼女が提案した内容は、お互いの利害一致だった。
シリーナは妃になりたく、レノレイラは妃になりたくない。
シリーナが古代文字を読み書きできるとなれば、彼女は王子の婚約者になり、レノレイラは妃にならずに好きなことができる。
だから、彼女はその提案に乗り、彼女が提出する古代文字に関する資料制作をして、それをシリーナに提出した。
それからの接触はほとんどない。
ローザがすでに大々的に古代文字の読み書きや聞き取り、会話ができることが数年前に発表されたため、学生の身である彼女に話が来ることがなかったからだ。
時々先生や好奇心旺盛の生徒たちが古代文字に関して聞きに来ることがあり、それを代わりにシリーナが行う時だけだった。
だから今日、こんなことが起きるとは夢にも思っていなかった。
さきほど彼女がレノレイラを庇い、耳元でこう囁いた。
「一生私のために働いてね」
その時、賢いレノレイラは悟った。最初から、シリーナは自分を利用して妃になろうとしていた。そして、自分を絶対に逃さないためにこんなことをしたのだと。
「なるほど。では、本当の愚弟の婚約者はレノレイラ、貴女だったということね」
「違うわ!」
ローザの言葉を遮るように、怒鳴るように否定したのはシリーナだった。
彼女は全てが出鱈目だと、王子が言ったことは全て事実だと口にした。
しかしローザは聞き耳を立てなかった。なぜなら彼女は、それらが出鱈目だとわかっているからだ。
「シレーナ・ヴィクスン。貴女、誰に向かってそんなことを口にしているのか、わかっているの」
「ぁ……わ、私は」
「貴女は今、次期リーニア王国の王に意見しているのよ」
その瞬間、あたりがざわめく。
そして、その発言に誰よりも敏感に反応したのは、彼女と王位を争っている弟だった。
「姉上!なぜそのような発言をされるのですか!自分が次期王など」
「あら、この子が嘘の婚約者だったのだから、貴女と私が同列なわけないでしょ?」
「くっ……だったら!俺がそこの平民……レノレイラと婚約すれば」
「残念だけど、たとえ婚約してもすでに陛下が決定されたことよ」
「父上の……?」
学院で起きていることは、ローザの婚約者であり、弟の同級生であるルキウスから随時報告されていた。
レノレイラがローザと同じように古代文字の読み書きなどができること、シリーナがそれを知り、利用しようとしたこと。そして、今回の事件のことについても。
それらを踏まえ、陛下はルキウスの学院卒業とともに、王位にローザが付くことを発表することを決定した。
「それ以前に、貴方が王位につくことはできなかったわよ。私よりも不出来な貴方が、この国をよくしていけるはずがないでしょ?」
絶望し、その場に跪く弟と視線を合わせるように屈み、ローザはにっこりと笑みを浮かべて彼の頬撫でる。
「ねぇライオス……誰がいつ、貴方が王位につけると言っていたの?女とはいえ、こんなに賢くて、神の領域にいるって言われている姉がいるのに」
「それは……」
「可哀想なライオス……貴方はいつから私に敵対心を抱いていたの?誰にそんな劣等感を植え付けられていたの?」
「それは……」
絶望の中、ライオスは必死に過去のことを思い出そうとしていた。
でも、どうしても思い出せない。いや、思い出す余裕がなかった。
「本当に貴方は可愛そうね……」
それは愚かな弟を見下すのではなく、愛おしげに見つめる表情だった。
無事にルキウスが卒業したことで、予定通り翌日には国中に次期国王がローザになったことが発表された。
弟のライオスは、精神的なショックが大きかったのか、現在は部屋で療養中。
シリーナに関しては、今回は彼女単独の行動ということでヴィクスン伯爵家に何か処罰がくだることはなかった。
しかし、シリーナはレノレイラを貶めたということで、国の法律に従って、死罪が決定した。レノレイラはそれを止めることはしなかった。国の決まり事を、平民である自分が否定することはできないと。
そんな彼女は、現在ローザの秘書官として働いている。古代文字だけではなく、彼女は色々な分野において優秀だったため、ローザが引き抜きをした。
もちろん、しっかり仕事をするのであれば彼女がやりたいことを止めるつもりもなく、なんならその支援をしてあげることもできる。
「ねぇローザ、ちょっと尋ねてもいいかな」
結婚式も無事に終え、公務もそれなりに片付いて、夫婦ですごす貴重な時間。
夜の営みも何度か繰り返し、ローザのお腹には現在、新しい命が宿っていた。
王子になるか、王女になるかはまだわからないが、元気に生まれてくることを二人は願っていた。
「どうしたの。取り寄せた紅茶はお口に合わなかったかしら」
「いや、紅茶はおいしいよ。そうじゃなくて、ライオス様についてだよ」
「ライオス?そういえば、最近はだいぶ回復してきたのでしょう?使用人と散歩しているところを一度見かけたわ」
「そうだね。それでね、ライオス様が君に敵対心……いわゆる劣等感を抱いた理由だけど……君、だよね」
チラリと視線をローザに向ければ、彼女は特に動揺した様子も、心当たりがないという顔もせず、ただ優雅に、優しい笑みを浮かべるだけだった。
「正確には、劣等感を抱くように誘導したって思ってるけど」
「……ねぇルキウス。私ね、ちゃんと貴方のことを愛してるの。そして、ライオスのことも。でもね、貴方たち二人に抱く愛は全くの別物なの」
手にしていたカップをソーサラーに置き、水面に映る自分の姿を見つめる。
ルキウスに対する愛は恋愛のそれだった。この人と結婚した、子供を作りたい。ずっと幸せでいたいという、暖かくて甘いもの。
でもライオスに抱く愛は歪んでいるものだと実感していた。この子を泣かせたい、苦しめたい、絶望させたいという、澱んでいて、その澱みで相手をおおいつくしたいというもの。
いつ、そんな感情に芽生えたかはわからない。わからないけど、ローザはそれを自覚した頃には口癖のようにいっていた。
―――ライオスはダメな子ね
―――ライオスには無理だよ
―――ライオスには才能ないんだから
そんな彼を卑下するような言葉を毎日のように口にして、劣等感を植え付けていた。
それに加えて、周りがローザとライオスを比べたせいで、その劣等感は膨れ上がっていった。
「ねぇルキウス。頑張って回復したあの子を、私がまた絶望に突き落とそうとしていたら、貴方は私を止める?」
「……そうだね。多分止めるよ。でも、普通には止めないと思う」
「そうなの?じゃあどうやって止めるの?」
「ローザは僕のことを愛してるんだろう?」
「えぇ、もちろんよ。とても愛おしくてたまらない」
「なら、僕だけしかみれないように、ライオス様に構えないくらいに、僕に夢中にさせればいいだけだよ」
にっこりと笑みを浮かべる彼に対し、一瞬ローザは驚いた顔をするが、すぐに笑い出して「そうね」と口にした。
【完】