第六章 20 『事象改変』
「私と一緒に観戦するのが基本になりつつあるな、ロゼリア」
「そうだな。幸いにもガーディアンの依頼も今は薄い。修練も良いが、ここには私の知らない世界があるからな。目を養うのも悪くない」
「やはりロゼリアも参加すればよかったのに」
小さく尻尾を揺らすロゼリアを前にそんな言葉をこぼす。自らの尻尾へ向けられた視線を感じ取ったロゼリアは、少し焦りコホンと咳払いをする。
「確かに期待も興味も湧いている。戦闘を見世物にするなど気に入らないと一瞥していたが、私の視野も狭かったようだ」
「そう思って頂けるとやったかいがあるというものだ。特に、ロゼリアがそう感じてくれるのは収穫だ」
「そう言えば出会ったばかりの時もそんなことを言っていたな。いい加減教えてくれ。どうして私なんだ?」
「──ラガルトセルク」
ミシェルの一言にロゼリアは表情を変貌させる。ラガルトセルクは、リセレンテシア郊外西の土地、エルドグランの火山地帯フレムグラス手前に栄える獣人族が住む土地だ。
その地名を知っている事は理解できるが、フェルズガレアでも獣人族以外は基本的に立ち入ることも無い。そんな土地の名前をアストルディア、王都アスティルフェレスの騎士団長の口から聞くことになるとは思わなかったからである。
「驚かせてしまったね。すまない。先に私のことを話すべきだった。レディアライト騎士団の多くは、王都育ちが多いのだが、私は違う」
「それは、アストルディアでも王都の外側にで暮らしていたということか?」
ミシェルはゆっくりと首を横に振った。
「──私は、フェルズガレア出身なんだ」
「なん……だと……」
「それもかなり過酷な土地で生まれ育ってね。リセレンテシアに住むことも無く、ただ己の力で生き延びていた。そして、ある日、革新的な先代の剣聖に提案され王都へ昇った」
「まあ、そんな感じでね。私を取り巻く環境も少し拗れているんだ。無論、フェルズガレアについては知っている。かつて迫害されていた"獣人族"に対する世間の目は、短期間で変化している。そして、変革を果たしたのはロゼリア・イシュタル、君だ」
「私は……きっかけを作っただけに過ぎない。今やガーディアンとして活動している獣人族の子らは多い。私だけではどうにもならなかったさ」
「それでも、世界は変わった。それは素晴らしいことだ。人生をかけても叶わないのが当たり前の世界で、君は若くして世界を変えた。だからこそ、私には君が必要なんだ」
「剣聖にそこまで買われているのは光栄だが、私はアストルディアのことは知らない。できることも無いだろう。まさか、私をアストルディアに連れていくわけでもあるまい」
「はは。それも魅力的だが、私もそこまで強引ではないさ。ロゼリアにはフェルズガレア側で動いて欲しいんだ。今すぐに、という訳でもない。ただ、影響力のある者と人脈を作って起きたかったのさ」
「私程度で良いのか? 影響力で言ったらクロスティア学院長のアスタロテ・ランヴェレダートがいるだろう」
「──彼はダメだ。王都にも有名な学院があってね、エクレスティア学院と言うのだが、そこの上層部の輩と同じにおいがする。ロゼリアも気をつけた方が良い」
「気をつけた方が良いと言われてもな……組織のトップだ」
「その通りだな。だが、現実組織のトップが腐っているなど、良くあることだ。気をつけると、心に留めておけば良い。君ほど強い心を持っていれば心配も無さそうだが」
「そうか、とりあえず助言は受け取っておこう」
ミシェルはロゼリアの目を見据え感謝する。
「ところで、そろそろ戦闘が開始しそうだ。お手並み拝見といこう」
「ああ」
二人の視線は闘技場へ移った。
晴天の下、レナとメルト・ローティシエは対峙する。
メルトのプラチナのような金髪は光を拡散させ、流線の長い髪は視線を奪った。
手に握る細身の直剣は、透明感のあるエメラルドグリーン色をしていた。それは、オリハルコンを原料に含む高品質な剣ではない。オリハルコンそのものだった。
フェルズガレアではいくら金貨を積み上げようが、物理的に手の入らない代物だろう。
開始の合図と共にメルトは高速で斬り掛かる。
魔法展開から、動作に移るまでが異次元だ。魔法も詠唱しているように見えない。
レナの頬を細い切先が掠めた。僅かな切り口から微量の血液が溢れる。
「──なっ」
『……レナ、油断しすぎじゃ……何しとる』
アウラに喝を入れられるレナ。確かに油断していた。異能による身体強化であれば、魔力や魔素の流れからある程度動きを予測することができる。だが、魔法は違う。その力の流れを感じ取ることが出来ない。
『……すまない。アウラの目に甘え過ぎていたようだ』
『ふんっ。分かれば良い、わしの主として相応しい様を見せるよ良い。それともわしの力が必要か?』
『アウラ手を煩わせるまでもない。任せてくれ』
再び高速で斬り掛かるメルトの切先を容易く弾いた。刹那の間に数十回の刃の衝突が巻き起こる。その速さに、何が起こっているか分からない者かほとんどだった。
レナの表情は無意識に緩んでいた。刹那の間と言え、剣を交えるのがこれ程楽しいと思ったことは無かった。
メルトは距離を取ると初めて詠唱する。
「──アル・グランセリア」
メルトは神々しい光のオーラを見に宿す。だが、同時にメルトの表情は無機質に変化したように見えた。
そしてメルトは斬り掛かる。レナは咄嗟に弾くことは不可能と判断し、剣に魔力を込め攻撃を受け止める。
「……刹那の間、君と剣を交えることを楽しいと思ったオレがいた。けれど、どうしてか今の君とは、その感情は沸き立たない」
レナは更に魔力を込めると、解放しながら受け止めた剣を薙ぎ払う。メルトは後方に吹き飛ぶが、体勢を立て直す。
「──グラン・セレステラ」
時空が避けるような異質な音がした。
三本の極大の斬撃がレナに向かう。ノクトが行使したグラン・セレステラとは異次元の魔法。何倍とか、そう言った物差しでは図ることの出来ない領域だった。
レナが剣に全力で魔力を込め、剣聖のように解き放てば、恐らく相殺はできるだろう。たが、レナは考えがあった。
一度、世界を書き換えたことで感覚を掴んでしまったアウラの魔眼の力。おそらく、世界を書き換えるのは本来の力ではない。本来の力は、魔力による"事象改変"。それは異能の本質でもある。であれば、答えは単純だ。
レナの深紅に染まる瞳は一瞬光を宿す。
迫る斬撃に左手を差し出したレナは一言。
「──砕けろ」
斬撃は薄氷のようにパリンッと砕けた。
その先には、オーラを解除したメルトの姿があった。その表情は無機質なものから、驚きを隠せない人間の表情に変化していた。
「──なっ、なんっ……で」
よろけるメルトに高速で斬り掛かる。
その姿は、さながら開幕のメルトの一撃のように。
一撃は、メルトを完全に両断した。
メルトは転移され、勝敗はレナの勝利で幕を閉じた。
「……神の恩恵を破壊しただと…………レナ・アステル……やはりお前は必要な存在だ」
その様子を遠方の陰から見ていた大柄の男は、にやりと口角を歪ませた。




