第六章 8 『砕氷』
ノクト・レクネシアとセリカ・ネルハイドは広大な魔法陣の前で向かい合っていた。
「さぁさぁ!! 皆さん注目です!! フェルズガレア中央闘技場開催の武闘大会、記念すべき第一試合!! レディアライト騎士団候補生ノクト・レクネシアVSフェルズガレアの守護者セリカ・ネルハイド!!」
各所に設置される拡声器から元気な女性の声が響く。
レナは一体何処にいるのだろうと辺りを見渡していると、特等席とも呼べるような高所に存在する観覧席の端にそれらしき女性がいた。
たが、それよりも別の人物に視線が奪われた。否、視線を感じたからこそ見てしまったのだ。
その人物は中心の特等席からガラス越しにこちらを見ていた。
──ぴしゃりと視線が一致した。
白金色の長髪に透き通った青色の瞳。
一目瞭然の高貴な騎士ミシェル・アストレアがそこにいた。
レナが会釈すると、視線をそのままに優しげに微笑んだ。
そして、ミシェルの隣には見慣れない女性が座っていた。"見慣れない"と言うのもそれは種族的な話である。乱雑に湾曲する赤紫の長髪にネコ、と言うよりは狼の耳だろうか。尻尾の有無はここからでは確認できないが、獣人族であることは間違いないだろう。
レナがしばらく見ていると視線に気づいたように鋭い桃色の瞳はこちらを捉える。気のせいだろうか、ほんの少しだけ不機嫌そうに見えた気がした。
「アルテミシア、ミシェルの隣に座っている者を知っているか?」
「もちろんだとも。前に話したことがあったな。彼女がロゼリア・イシュタルだ。たがなぜミシェル様の隣に座っているかは分からない。こういう催しは毛嫌いしそうなものだけれど」
ロゼリアの生き様を考えると他者との戦闘を見世物とする催しを好むとも思えない。
「お、そろそろ始まりそうだそ」
魔法陣の前に立つノクトとセリカは手を前にかざすと正面の巨大な魔法陣は赤と青二色に発光を始める。紫に混合した光は二人の身体を覆うと消失した。
そして、二人は魔法陣に足を踏み入れると、完全に内部に入り切った瞬間、半球状に薄紫色の結界が形成される。
「さあ!! 準備は整いました!! 結界の外に出る唯一の条件は戦闘に負けるか勝つこと!! では──」
「──開始!!!!」
合図と共にセリカは剣を構え猛突進する。それに引き換えノクトは構えすらせず、眠そうにその様子を見ていた。
「まあ、それしかないだろうな」
アルテミシアが怪訝な顔で言った言葉を聞いたリゼは、
「それはセリカさんが近接戦闘を得意としているからですか?」
「それもある。が、それ以上に単純な話だ。セリカはセカンド階級、ノクトは最上位権限魔法士。仮に階級制度と実力の差が相対的に同レベルだとして、これはセカンドとアイズが戦うことと同義だ。リゼ、突然セラフィス階級のガーディアンと戦闘することになったら君はどうする?」
「それは……」
言葉が詰まる。そして、思ってしまった。
今、戦略よりも先に"勝てない"という言葉が脳内に浮かんでしまった。
剣を構えて突進するセリカは勢いを増す。
「──アイセクト」
詠唱と共に剣身は冷気を纏う。ピキピキと響き渡る音は剣本来の機能よりも、触れることが危険であることを示しているようにも見えた。
こちらが格下だと言う事実がノクトを油断させている。であればこの一撃が届くかもしれない。そんな淡い期待が口角を押し上げる。
「──ガルド・ルクセア」
ノクトは迫り来るセリカを前に平然と詠唱する。すると光が結界のようにノクトを覆う。
だが、セリカの剣は既に直前まで迫っていた。必中、そう確信したセリカは、より一層全力で剣を振るった。
そして、剣がノクトの右肩に接した時のこと。
──ゴツンッ。
剣が生身ではなるはずの無い音がした。
セリカの剣はノクトの右肩でピタリと制止していたのだ。無論、寸止めでは無い。
セリカの理解は追いついていなかった。右肩に接した剣。本来であれば致命傷だ。仮にノクトが身体強化をしていたとして、アイセクトで強化された冷気の剣身は、肉体に接すればそれだけでその周囲を凍結、破壊するほどに強力な氷系統の異能である。
それを受けて決着がつかない事実を飲み込めなかった。
程なくするとノクトはゆっくりと口を開く。
「……驚いた」
「……え」
「ステルファとは言え、ここまで拍子抜けとはな。異能など所詮外道の所業。ただの強化魔法で無効化するほど脆弱では話にならない」
「なん……で……」
「何をそんなに驚いている。元より勝てるとは思っていなかったのだろう? 最上級魔法士とセカンドの間にどれ程の差があるかを知るために一撃受けてみたのさ。だが結果はこの通りだ」
勝てるはずがないと理解していても、今なお平然と立つだけのノクトの姿が許せないと言う感情が遅れて押し寄せる。
私だってフェルズガレアを守る為に命を捧げている。それが、それなのに、こんなに不誠実な態度で踏みにじるなんて。
セリカはひたすらに棒立ちするノクトに剣を振るっていた。
何度も、何度も、自らの剣が通用しないと理解していても。
「──呆れた、芸がない。君に氷魔法の本質を見せよう」
ノエルは剣を振るい続けるセリカもものともせず、右手を前に差し出す。
「──ゼラ・グラキエス」
詠唱と共に周囲に展開された魔法陣は前方を扇状に一瞬で凍りつかせた。
その規模は魔術における『ゼラ・グラキエス』とは比較にならないほど素早く、強大だった。
程なく、氷漬けになったセリカはダメージの蓄積により魔法陣の範囲外に転移された。




